娘を嫁に
それにしても、やっぱりここは異世界だ。人食い化け物なんて、ホラー映画でしか見たことが無い。でも、この世界には間違いなくそういう存在が生息していて、住民は常に命の危険と隣り合わせなんだ。ヒカルの心の内側で、つい先ほどの出来事を恐怖する感覚と同時に、異世界を実感してワクワクする気持ちが生まれつつあった。
俺、本当にファンタジーの世界にやって来たんだ!
「ヌジーはいつも満月が近づくと姿を現します。ちょうど明日は満月、きっとお腹を空かせていたのでしょう。お二人が娘を助けてくれたお陰で、今こうして食卓を囲うことができています。本当にありがとう」
深く深く頭を下げるワイダの横で、ティダはオロオロしていた。父のかしこまった姿など、普段見ることが無いのかもしれない。
「うちの娘はこの前成人したばかりですが、やっぱりわたくしとしても実感が持てないのです。ティダはまだ、十四ですから」
「えぇ、本当に娘さんのことを愛してるんだなって伝わります。俺も、こうして家族団欒を見ることが出来て嬉しいです」
「はは、ありがたい。そうだ、旅のお方、もしよければティダを嫁にどうですか?」
突然ワイダはそんなことを言い出した。当然ヒカルは驚きを隠せない。
「え、急にそんな、え?」
だが、彼以上に驚いたのはティダだった。彼女は顔を真っ赤にして父の肩を叩く。
「ちょっとお父さん! いきなり失礼なこと言うのやめてよ!」
「だってお前、大人になっても男っ気一つもないじゃないか、ちゃんと結婚できるか心配なんだぞ!」
「だからって勝手に結婚相手決めないでって言ってるでしょ!」
「なんだ、この旅人さんはお前の命を救ってくれたんだろう? それでも嫌なのか?」
「べ、別に嫌じゃないけど……」
「ならいいじゃないか」
「だから、そういうこと勝手に決めないでってば。旅人さんにも迷惑でしょ!」
「む、迷惑なのか? どうなんだいヒカル君?」
そんなこと言われても、そりゃいきなり結婚とか考えられないし。出会ったばかりの人とそういう関係になるのも気が引けるというか。
「返事が無いなぁヒカル君。うちの娘じゃ不満かね?」
「あ、いえ。不満とかそういうわけじゃなくて」
「ほら、聞いたかティダ。大歓迎だそうだ!」
そこまで言ってねぇよ。
「ちょっと、旅人さんも断ってよ! あなた、旅してる最中なんでしょ!」
「はっはっは、娘よ。大事なことを忘れているぞ。ヒカル君はワスレナグサの声聞いて旅の目的も忘れちゃったんじゃないのか?」
「あ、そうだった」
「そうだろうティダ。つまり、この世界のことをゼロから学ぶ必要のある彼は、誰かが支えてあげなきゃならない」
「それは……そうかもしれないけれど」
「ティダ、彼のためにも、良きお嫁さんになりなさい」
頬を赤らめながらもじもじする彼女に、父は続ける。
「この村は人口減少の一途をたどっているんだ。お前も速く子供を作ってだな――」
「もうバカぁ!」
ティダの強烈な拳がワイダの頬を捕らえた。人間の体が出していい音じゃない、盛大な衝撃音と共に吹き飛ぶワイダ。ティダは真っ赤になった顔を隠しながらもじもじと腰をくねらせている。
「きゅ、急にそんな話、しかも初めて会ったばかりの客人にしないでよ!」
顔面から壁にめり込んだままの姿勢で、ワイダは親指を突き立てる。
「どうですかな客人、うちの子は体もしっかり鍛えていますから、頼りになるはずですよ!」
ヒカルは頬を引き攣らせて笑うことしかできなかった。
そんな空間に、ティダの母ティルルが現れる。
「あらあら、あなたったらまた壁に穴開けて」
またってことは、よくある光景なのか。
「ほら、皆さん。キングビートルの香草焼きが出来ましたよ。ティダ、蒸しパン持ってきてくれる?」
「う、うん。分かった。えっと、ヒカルさん。お父さんが言ってたこと、気にしないでいいからね!」
彼女はヒカルから目線を逸らしながらそう言い捨てると、台所に向かって駆けていく。そんな背中を見つめて、母は「あらあら」と笑うのだった。
「い、いつもこんな感じなんですか?」
ヒカルがそう問うと、ティルルは香草焼きをヒカルの前に置いて頷く。
「えぇ、これが我が家よ。ようこそ。もし婿入りするなら、いつでも大歓迎だからね?」
「もう! お母さんもやめてよ!」
台所からティダの声が聞こえてきた。
「うふふ、聞こえていたみたい」
両親揃って、こういうノリなのだろう。ティダは相変わらず頬を真っ赤にしながら、蒸しパンを籠一杯に入れて持ってきてくれた。
「それよりあなた、そろそろ食事よ、出てきなさい」
「はい……」
顔面を木屑やささくれまみれにしながら、ワイダが壁から頭を抜く。よく見れば、壁には複数の板が張り付けられている。何度も補修しては壊してを繰り返しているのだろう。
「み、皆さん丈夫ですね……」
「ははは、君もここでの暮らしに慣れたらきっと頑丈になるさ」
ワイダの言葉に、ヒカルは上手く返すことが出来ず乾いた笑いを浮かべるのみだった。




