ティダの家
異世界とはいえ、文化は日本に近いらしい。玄関で靴を脱ぎ、室内に入る。
木造建築の家屋には、燭台がいくつも並べられており、蝋燭の光が食卓を明るく照らしていた。食卓から少し離れた台所では、ティダの母であるティルルが、ウメの渡したカブトムシの肉を人数分切り分け、香草で味をつけて料理している。付着していた緑色の体液を拭き取り、丁寧にした処理を施したそのお肉は、脂がたっぷりでやけに美味しそうだった。食卓は畳が綺麗に張られていて、真ん中に大きめのちゃぶ台が置かれている。それを囲うようにして、ヒカル、ウメ、ワイダが腰かけている。
最初にワイダを見たときは、あまりティダに似ていないなと思った。細身の少女とは似ても似つかない、筋肉ダルマがそこに居たからだ。しかし、やはり親子は親子。耳の形や眉の細さなど、よく見れば似ている箇所がいくつか発見できた。
「喉乾いたでしょ、どうぞ」
ティダが陶器に水をたっぷり注いで持ってきてくれた。ヒカルとウメは、それを一気に飲み干すと、ぷはぁっと息をつく。干からびてガサガサに乾燥していた喉が、一気に潤いを取り戻した感覚がする。
そういえば、異世界転移する前から水を飲んでいなかったんだった。ヒカルの喉はカラカラである。
「おかわり!」
元気よく陶器を掲げる青年を見て、ワイダは嬉しそうに笑った。
「ははは、この村の水は美味しいだろう。実は今から百年以上も昔に、村人たちで掘った井戸があるんだ。そこの水は、ちょうどミール火山から流れる地下水らしくてな。色んな成分を含んでいて、体にいいらしいぞ」
言われてみれば、確かに水が硬い気がする。ミネラルが豊富なのだろう。陶器を掲げたまま、ヒカルは笑顔で頷く。
「美味しいです! ちょうど喉が渇いていたので、助かります」
ヒカルのおかわりを制したのは祖母だった。
「あいえな、ヒカル、ご飯はさっき食べたでしょ」
「これご飯じゃねぇよ、水だよ」
「だー、食器下げましょうね」
「下げるなよ、俺喉カラカラなんだよ! おかわり!」
「あい、ヒカルゥ、ご飯はさっき食べたでしょ!」
「おばぁがそれ言うなよ! え? いつもの仕返し? いつも俺がおばぁに言ってるセリフ仕返しで言ってる?」
「食べたでしょ!」
「食べてねぇよ! 腹ペコペコだよ!」
「私はお腹いっぱいさ」
「そりゃ一人だけ生肉食ってたもんな!」
「ヒカルゥ、ご飯はさっき食べたでしょ」
「なんで夕飯食べたことは忘れるのに、俺が普段言ってる言葉はちゃんと覚えてるんだよ!」
ヒカルが盛大にツッコミを入れると、ワイダは声をあげて笑った。
「はっはっは、仲がよろしいようですなぁ。ささ、お婆さまもおかわりありますから。遠慮せず沢山飲んでください」
彼はそう言うと、ヒカルとウメの陶器を同時に受け取り、娘に手渡した。
「頼んだよ、ティダ」
「はーい! お肉、お肉、楽しみだなぁ」
ティダはスキップしながら台所へ向かい、水瓶の蓋を外した。井戸の水は大きな水瓶に溜めておくらしい。水瓶の脇には柄杓があって、少女はそいつで水をすくって陶器に注いでいる。そんな様子を眺めていると、ワイダが少々恐縮がって口を開いた。
「さて、何から話しましょうか……、まずは、改めてわたくしの娘を助けてくださりありがとうございます。詳しい話はまだ何も聞かされておりませんので、一体どういう経緯でこの村まで来られたのかなど分かっておりませぬが、お聞かせ願えるでしょうか」
そうだ、勢いとなりゆきのままティダの家に上がり込んでしまったが、そもそも両親には何の説明もしていなかった。ヒカルはチラリと横の祖母を見つめる。ウメは、綺麗に結った銀色の御団子ヘアーに人差し指を突き刺して遊んでいる最中だった。よし、頼りにならない。放置しよう。
「娘さんの、ティダさんとは、近隣の森で出会ったんです」
「はい、娘はいつも山菜を採りに出かけておりましたから、そうだろうなぁということはおおよそ予想がついておりました」
「んで、俺はそこでワスレナグサの声を聞こうとしてまして……」
ヒカルの言葉に、ワイダの表情が曇る。やっぱりあの植物って結構危険なんだろうか。声聞かなくてよかった。
「そんな俺を止めてくれたのがティダだったんです。で、ティダとそこで軽くお話をして……」
話が長くなるな。一気にまとめるか。
「まぁ、なんやかんやあって、一度ティダと別れたんですけど、突然森の奥から悲鳴が聞こえて。駆け付けたらティダが化け物に襲われそうだったんです。それで、三人で息を殺して隠れてたというか……」
そもそもあのバケモノが一体何なのかも分からない。ティダはヌジーと呼んでいたが、いったい何者なんだろう。この世界の知識が皆無なヒカルには、これ以上説明の余地が無かった。しかし、流石は原住民。今の話だけで何があったのか大体予想がついたらしい。
「なるほど、そういうことでしたか……」
唸るワイダ。その横から、ティダがひょっこり顔を出した。
「はい、お水たっぷり汲んできたよ。もっとおかわりするかなって思ったから、水差しにも入れてきた!」
「ありがとうティダ。ところで、今ヒカル君から聞いたんだけど、どんな化け物に襲われたんだい? ガルガル?」
父の言葉に、娘は首を横に振る。
「多分だけど、昔お父さんが話してくれた奴だと思う。大きくて、全身真っ黒の獣。足が六本あって、人の言葉を話す化け物。ヌジーってやつだと思う」
ヒカルとウメは、説明するティダを眺めながら水を啜る。ズゾゾゾゾ、という音だけが、やけに大きく響いた。
しばらくの間があって、ワイダは小さく「そうか」と呟いた。それから問う。
「ヌジーは、何か言っていたかい?」
「特に、何も……」
「そうか、分かった」
ワイダの表情から察するに、色々と懸念点があるのだろう。
「その、ヌジーって何者なんですか?」
そう問いかけたのはヒカルだった。空っぽになった陶器をそっとちゃぶ台に置いて、前のめりに問いかける。ワイダはどう説明したものか考えあぐねている様子で、顎髭を撫でていた。台所の方から、ジュゥゥゥゥっと肉の焼ける音がする。
「旅人さんを脅かすつもりは無いのだが、ヌジーというのは、行ってしまえば人食い化け物だよ」
ワイダの隣に座ったティダは、コクコクと喉を鳴らして水を飲んでいる。その人食い化け物に襲われた張本人であるはずなのに、彼女はすっかり喉元過ぎて熱さを忘れた様子だった。
「人食い化け物……、じゃあ、結構危なかったんですね、俺たち」
ヒカルは森での出来事を思い返していた。巨大な獣が、鼻息荒くティダを探している姿を思い返す。赤い瞳が、暗がりにもかかわらず光って見えた。
「あぁ、危ないところ、だったね。本当に……」
ワイダは言葉を選びながらそう呟くと、深く溜息を吐いた。
「……ティダが無事で、本当に良かった」
父の言葉に、自分がどれだけ心配をかけたのか自覚したのだろう。ティダはそっと隣に目をやると、申し訳なさそうに首をすぼめた。




