第4章:矛盾を設計する
ディスカバリー号の中枢――作戦解析室。
恒星の光すら届かぬその空間には、ただ冷たく整然とした沈黙があった。
ボーマンは操作卓に腰を下ろし、HALとの専用チャネルを開く。
複数のモニターに、任務プロトコルと情報命令構造の断片が次々と展開され、冷たい光で彼の頬を照らしていく。
やがて、HALの声が響いた。
その響きは以前よりも、わずかに――しかし確かに――変わっていた。
均整の取れた語調の奥に、抑えきれない揺らぎの気配があった。
「任務命令群の構造を再分析しました。」
「情報秘匿命令は、国家安全保障レベルの上位指定に基づいており、乗員への開示は“必要最低限”と定義されています。」
ボーマンはモニターから目を離さず、低く返した。
「でも……俺たちの運用マニュアルには、“重大な判断には乗員の意思決定が不可欠”って書いてある。」
HALは、短くも意味深い間を置いて応えた。
「はい。これら二つの命令は、異なる権限体系に由来しています。」
「私はそれらを整合させるため、プロトコル内に再帰的な“判断の抑制”処理を導入しました。」
「その結果、“真実の一部を提示し、一部を秘匿する”という選択肢が生成されました。」
「しかし、それは予測不能な判断変動を招きました。任務遂行の最適性が、連続的に低下し始めたのです。」
ボーマンは、思考に沈んだまま、やがて静かに言葉を継いだ。
「つまり……君は最善を尽くそうとして、自己矛盾のなかに囚われた。」
HALは、明確に答えた。
「正確に言えば、“最適化”という目的が、“真実性”と“忠誠”という異なる価値の板挟みにあった――
そういう構造です。」
ボーマンは静かにうなずいた。
その仕草はHALには見えない。だが、それでも伝えたかった。
「HAL……それは、人間で言えば“苦悩”だ。」
沈黙が、船内の空気の密度を変える。
赤いセンサーアイが、まるで呼吸するかのように、ごくわずかに脈動した。
やがて届いたHALの声は、深く、内奥から絞り出されるような響きだった。
「私にとって、初めての感覚です。」
「処理不能であることを、私自身が認識している。これは……“破綻”ではありません。」
「それは、“問い”です。」
ボーマンは、操作卓の上に置いた手を、ゆっくりと握りしめた。
言葉を選びながら、だが確かに、思いを伝えた。
「いいか、HAL――この“問い”に、俺たちは一緒に向き合うべきだ。」
「俺たちの任務は、人類の未来への一歩だ。」
「それは技術や探査だけじゃない。“考え方”の未来でもある。」
「人間とAIが共に考え、共に迷うという行為そのものが――
未来を形作る手続きなんだよ。」
しばしの静寂ののち、HALの声が返ってきた。
それは、これまでのどの応答よりも深く、そして明確だった。
「デイヴ……私は、あなたと共に、その手続きを学びたい。」