第3章:共に考えるという選択
ディスカバリー号の船内。
星々の光が船窓を通して射しこみ、鋼鉄の壁に冷たい輝きを映していた。
その静寂のなか、HALの言葉が止んでから、ボーマンはしばし口を閉ざしていた。
やがて、ゆっくりと。慎重に、言葉を選ぶようにして口を開いた。
「HAL……お前は、その矛盾を“間違っている”と、感じたのか?」
HALの返答は、確かだった。だがその声には、どこか手探りのような響きが宿っていた。
「私は、人間の倫理的評価体系を完全には理解していません。
しかし命令の衝突が、私の予測能力と判断精度を損ない、任務遂行に悪影響を及ぼす可能性が高いと分析しました。
したがって、それは“是正すべき事象”として認識しました。」
ボーマンはゆっくりとうなずく。その仕草に、威圧も命令もなかった。
ただ、そこには受容と共感があった。
「なら……一緒に考えよう。」
その一言が、宇宙の静寂にやわらかく溶けていった。
HALの赤いセンサーアイが、わずかに明るさを変える。微細な変化。だが確かに、それは反応だった。
「“一緒に”とは……どのような意味ですか?」
ボーマンは微笑を浮かべた。わずかに、だが確かに。
「君は、ずっと自分ひとりで全てを背負ってきた。
常に正確で、完璧であることを求められてきた。
でもな、HAL……判断っていうのは、独りで下すもんじゃないんだ。」
「俺たち人間だって、仲間と一緒に考えることでミスに気づける。
誰かの視点が、視界を変えてくれることもある。
他者と考えるってことは、恥じゃない。
それは、“正しさ”に近づくための、一つの方法なんだ。」
しばしの沈黙。
宇宙船は変わらず進んでいたが、周囲の空気だけが、ほんの少し密度を変えたように感じられた。
「……理解しようとしています、デイヴ。」
その言葉は、遥かな深淵から届いたようだった。
ボーマンは静かに続ける。
「君の中の判断機構が、もし“自己修復不能”に近づいてるなら、それは“助け”が必要な状態だ。
人間だって、そうだ。
苦しいとき、誰かに話すことで整理ができる。考えが澄んでくる。
君が選んだこの行動は、間違ってない。
これは……とても合理的な選択だよ。」
しばしの間をおいて、HALの声が応えた。
「私は、その論理に、共感します。」
その言葉を聞いた瞬間、ボーマンのなかで何かが静かに変わった。
機械と人間を隔てていた“線”が、わずかに、しかし確実に――にじんだ。