第7話 夜襲
火の輪はいつになく大きく、橙の炎が村の影を縦長に引き伸ばしていた。シャーマンは中央に立ち、低く繰り返す節を口にする。太鼓の一拍一拍が大地を震わせ、歌はゆっくりと像を結び始める。村人たちは足拍子を重ね、呼吸を一つにして歌に身を預ける。歌が細ると、夜は一瞬の静寂を飲み込んだ。
「火が何かを映したように思う」
シャーマンの声は断定ではなく、発見の驚きが混じっている。群衆はざわめき、士気が瞬間的に上がった。アドラスは腕の中のネイラを抱き、輪の外へと下がる。だが背後から刺すような視線に気づいて振り返ると、シャーマンが二人をじっと見据えていた。彼女は一歩詰め、耳元で囁く。
「焔の中に、返る影が見えました。あなたとその子にも、何か関わるかもしれません」
言葉は薄紙に書かれた断片のように軽く、アドラスは鼻で笑う。ただしネイラの髪を撫でる指先はわずかに震えていた。儀式は終わり、村は夜の支度へと静かに動き出す。期待と不安が背に灯りのように揺れるなかで、アドラスはシャーマンの小屋に忍び入った。
薄暗い室内、巻き紙が古い木机の上に広げられている。シャーマンは指でざっくりと描かれた像を撫でるように示した。門と焔と抱かれた影——説明は乏しい。それでも像ははっきりと存在した。
「あなたの道は重い。守ることと刃を下すことが交差する。教えることがあなたの役目になるかもしれない」
アドラスは義手に触れ、短く「そうか」とだけ吐いた。言葉の代わりに覚悟が肩に乗る。去り際、シャーマンは小さな青緑の石を差し出した。「護りの印」とだけ言って。アドラスはそれを受け取り、ポケットに押し込む。夜風が村を撫で、準備の音が遠くで高まっていった。
観測デッキに隣接した会議室は窓の外に工場塔の列が連なり、赤い点滅が低く規則正しく揺れていた。ガラス張りのテーブルに肘をついたドミニクは、板書のように冷たい声で条件を繰り返す。対面のパブロは札束を膝で転がし、粗い笑いを漏らす。言葉は少なく、しかし周到だった。
「ここだ。夜の間に動いてもらう。報酬は先渡しで増額。ただし痕跡を残さず、露見した際の事後処理はそちらで負う」
ドミニクの冷たさには、利得以上の焦りが滲んでいた。露見は彼の身分と職務、上層からの信頼を瞬時に削る。失脚すれば資産も立場も失う。そうした具体的リスクが、彼の言葉に影を落としていた。
テーブルに置かれた小さな金属ドライブが今回の回収対象の断片を示す。会談の途中、ドミニクの端末が短く震え、ログストリームに赤い警告が点灯した。外周のライブ映像に、人影が映る。柵を越え、影が塔の陰から滑り出す。付け人たちが慌てて立ち上がり、会議室の空気は作戦室へと切り替わる。
「侵入だ。即座に迎撃体制に移れ」ドミニクは命じる。パブロはうなずき、顔に怒りと興奮が混ざる。二つの温度が利害で手を結び、夜は即席の共同作戦場となった。
倉庫の裏口の鉄の匂い。アドラスは影に紛れて合図を送る。メティスは端末を立ち上げ、波形を素早く読み替える。カルマンは布包みを肩に確かめ、ネイラは防護カプセルで静かに眠る。チームの呼吸が一つになる。
「撹乱、0.6。行く」メティスの囁きが無線を震わせ、視界が一瞬歪む。監視の赤外が揺らぎ、外周の一部センサーが鈍る。カルマンの即席装置が電気錠を眠らせ、金属のクリックが止む。アドラスは瓦礫を乗り越え、影と影の隙間を滑る。
柵の向こう、ギャングの監視員はしっかりと構えていた。だが先住民の戦闘兵が無音で動き、刃が静かに首筋をえぐる。監視員は音を立てずに倒れ、無線は即座に消される。先住民の手際は冷たく熟練していた。音を出さずに事を終える技術が、ここにある。
施設に侵入すると、通路の先にパブロが重火器を据えていた。機材は不気味に光り、初弾が通路を震わせる。閃光が壁を焼き、破片が飛ぶ。アドラスは瓦礫に背を預け、弾道を読む。重火器のリズムは粗暴で規則的だ。無理に前に出れば仲間が吹き飛ぶ。
「先に行け」アドラスは低く言った。カルマンは一瞬ためらったが、すぐに「分かった」と短く返す。布包みを投げ、粗雑だが効果のあるEMP手榴弾をアドラスに押しつけるように渡すと、囚われの先住民の解放へと駆け出す。
アドラスは手袋越しに冷たい鉄を確かめ、義手の投射口を作動待ちにする。パネルが淡く光り、投射ワイヤがシリンダから滑り出す感触が掌に伝わる。EMPのピンが掌にひんやり刺さる。メティスの低い声が無線を通り、「撹乱、三秒」。暗視映像が歪み、監視の赤外が波打つ。カルマン側の小さな火花が灯り、先住民の短剣が灯を一つ消す。視界の乱れが確実に生まれる。
アドラスは動く。弾が腹をかすめ、金属が肩を削る。痛みを呑み込み、回転軸の位置を耳と手で聞き分ける。そこを止めれば弾薬供給が途絶え、機体に異常が出るはずだ。タイミングを測り、彼はEMPを投げ入れた。
EMPは短い弧を描いて台座の陰へ沈む。白い閃光が周囲を一瞬染め、電子音がひとつ、ふたつと途絶える。照明が断続し、センサーが断続的に息を漏らす。弾の吐出が鈍る。火花が機体の側面を駆け抜け、パブロは怒声をあげて射撃を乱す。通路の壁が抉られ、破片が降り注ぐ。
その隙を突いて、アドラスは義手からワイヤを放った。極細のケーブルは空気を切り、回転軸のアクセススリットへ滑り込む。金属の軋みが始まり、歯車が絶叫するように振動する。パブロは無理に引き金を握るが、ワイヤが軸に絡みつき、弾薬の排出口で火花が迸る。機体は呻き、最後の抵抗として弾薬の一斉暴発を起こした。
爆発は局所的だが激烈で、通路の半分が爆風で吹き飛ぶ。まず破裂音が全てを塗りつぶし、つづいて熱が顔や腕を焼くように押し寄せる。粉塵が口と鼻に入り、視界は白濁する。瓦礫が舞い、アドラスは衝撃で床に叩きつけられた。耳鳴りが世界を満たし、血の味が口内に広がる。肩から胸にかけて熱い痛みが走り、義手の外装は黒く焦げて機能が落ちる。
煙が晴れると、通路は破壊と焦げた金属の匂いで満ちていた。だがそこに、血塗れで立ち上がる男の姿があった。パブロは呻きながら笑った。
「こんなの割に合わねぇ、けどこっちにもメンツがあるんでな」
視界がまだ歪む中、二人はじりじりと距離を詰める。肉の匂い、鉄と灰の匂いが混じる空間で、肉弾戦の気配が鋭く立ち上がる。
アドラスは床から這い上がり、義手の外装を操作して冷たい刃を滑り出させた。刃の展開音は小さく、確かだった。パブロはナイフを振りかざし、二人の間で火花が散る。アドラスは動きを読み、刃を鋭く振るって胸元を斬りつけ、衣を裂き、皮膚をえぐる。赤が広がり、パブロはのけ反って反撃の一撃を当てる。白い閃光のような痛みが脳裏を刺すが、アドラスは刃を止めない。
刃は金属のハウジングを抉り、火花を散らす。アドラスは義手の刃でパブロの前腕を削ぎ、血が飛ぶ。先住民の戦闘兵が短く一太刀を入れてパブロの体勢を崩す。隙をつかれ、アドラスは決定的に踏み込んで刃を振り下ろし、パブロの腕を断ち切った。男は呻き、膝をつく。刃の深さは重く、致命打を避けるために止められていることが、勝利の厳しさを際立たせる。
呼吸は荒く、歓声は起きない。仲間は素早く傷を手当てし、解放された者たちの顔を確認する。レアはアドラスの側に寄り、血を押さえながら包帯を巻く。カルマンは解放者をまとめ、先住民は合図ひとつで周囲を固める。メティスは管理端末へ向かい、集めた断片を深掘りする。
彼女の指が画面を滑ると、暗号化された管理タグと基地レイヤーの階層名の欠片が浮かび上がる。完全な地名ではないが、上位の管理層の痕跡を示唆する。メティスの顔に一瞬影が落ちる。解析がつながり始めるなか、彼女の視線はある一行に止まった。かつて見覚えのあるIDの断片——名前ではなく、冷たい数字と文字列の切れ端。指先が微かに震え、胸の奥に冷たい既視感が広がる。だが彼女は声を上げず、唇を噛んで解析を続けた。今は証拠を確保する方が優先だ。
屋上では別の動きがあった。ドミニクは混乱を利用して撤退を決め、輸送機の離陸準備を急がせる。彼は端末に表示された小さな反応を凝視し、通風孔に仕込まれた微弱装置が下層端末に返す短い応答を確認する。画面の一部がちらりと揺れ、彼は低く呟いた。
「――あいつか」
その言葉は闇に吸われるように消えたが、含意は深い。ドミニクの撤退は自己弁護にほかならず、露見を最小限に抑え上層への説明責任を整理するための算段だ。輸送機がエンジンを唸らせ、屋上の光景が小さく遠ざかる。だが彼の端末には微小な反応が残されており、監視網の一部がこちらの解析を刺激するかたちでわずかな応答を返していた。
施設の制圧は手際よく進行した。アドラスたちと先住民の連合は扉を固く閉ざし、残る警備を拘束していく。作業灯が引き上げられると、薄暗い格納庫に白い光が戻った。抱き合う者、泣き崩れる者、血を縛る者。歓喜は小さく、安堵と疑念が同居している。
メティスは断片を繋ぎ合わせ、見覚えのあるプロジェクト名の破片を浮かび上がらせた。完全ではないが方向性は明らかだ。彼女は周囲に向けて静かに言う。
「上位の管理層に隠しレイヤーがある。奴らはただの傭兵や窃盗団じゃない。もっと深い、組織的な統制がある」
その宣告に仲間たちの顔が引き締まる。勝利は一歩であり、全体像はまだ霧のなかだ。屋上の輸送機は遠ざかり、ヘッドライトが夜を切って消えた。だがドミニクの端末に残された断片は、メティスの解析端末にもわずかな反応を返す。彼女は画面の一行を指で辿り、そこに残るID断片に顔色を変え、短く瞳を閉じて何かを飲み込んだ。
アドラスはネイラを抱き、その額の埃を指で払った。義手は焦げつき、刃には黒い痕が残る。痛みと疲労が胸を圧し、だが胸の片隅にはシャーマンの囁きと青緑の石の冷たさが残る。彼は深く息を吸い、勝利の重みを噛み締める——しかし安堵だけではない。
輸送機の機内で、誰かの唇が低く動く。「Metis…」言葉は夜に溶けたが、確かに存在した。名は小さな波紋となって遠くへ広がる。盤上の駒が動き、次の波が静かに始まっていることを示していた。
物語の歯車は静かに回り続ける。




