第6話 村と和解
村門はPAFPの残骸を組み合わせた粗末な門柱でできていた。斜めに打ち付けられた鉄板に白くかすれた刻印が残り、干からびたケーブルが縄代わりに垂れ下がっている。木の梁からは水滴が絶えず落ち、苔が鈍い光を帯びている。列をなして進む先住民たちの間を、アドラスはネイラを堅く抱いたまま歩いた。子供たちが遠巻きにこちらを覗き、母親は鍋をかき混ぜる手を止めない。火の輪が揺れ、湿った空気が重く鼻を塞ぐようだ。
前に出たのはカミアキンだった。歳月の刻まれた顔に統率者としての確かなオーラが滲むが、年寄りぶるような押しつけはない。彼が一歩前に進むだけで、場の空気が一段と締まった。言葉は少なく、所作と視線がこの場の法である。
「我が名はカミアキン。ここを預かる者だ」カミアキンの声は低く確かな響きで、人々の耳に落ちた。彼はゆっくりと右手を差し出し、掌をこちらに向けるよう促す所作をした。「手を見せよ」
レアが身振りを加えながら通訳を入れる。先住民たちは言葉よりも作法で誠実さを測る。アドラスはネイラを片腕に抱き、空いた一方の手のひらをゆっくりとカミアキンへ見せた。手のひらについた泥粒が火の光を受けて粒々ときらめく。
カミアキンの視線がマクリルへ移ると、群衆の視線も一斉にそちらへ集まった。若者が短剣を取り出し、マクリルの手首に軽く刃先を当てる。湿気と汗の匂いが混じり、誰かの靴底が砂利を踏む音が鋭く響いた。ざわめきが刃のごとく空気を切る。
「名を言え」カミアキンの問いは冷たく鋭かった。マクリルは顔色を変えず、低い声で応じる。「マクリルだ。ここに来たのは偶然だ」だが若者は短剣を引かない。群衆の緊張が固まり、誰もが刃が振るわれる一瞬を息を呑んで待っている。
そのとき、カミアキンはじっとマクリルを見据え、言葉を絞り出すように続けた。「お前はまさか…」短い間に過去を問う意味が凝縮されている。マクリルはカミアキンをまっすぐに見返し、目に僅かな驚きを浮かべてから低く返した。「もしかしてあの時の…」
そのやり取りで場の空気がさらに引き締まった。誰かが小さく呟いた。「夜に来る者は皆、連れていく。誰が我らを守るのか」その声は刃のように響いた。アドラスはネイラを抱えたまま一歩前に踏み出そうとしたが、レアが肩を押して制した。ここで不用意に動けば、事態は一瞬にして崩れる。
カミアキンは一瞬目を閉じ、僅かに顔をゆがめた。やがて指を軽く動かして語れと促す所作をする。マクリルは目を閉じ、過去の光景を掬うように静かに口を開いた。語りは簡潔だが、その輪郭は場の何層かを揺るがせた。
――あの夜――
風が牙のように吹き、砂埃と火薬の匂いが混ざっていた。PAFPの小さな前哨基地は不意打ちを受け、木製の歩廊は炎に舐められ、仲間の叫びが夜を引き裂いた。瓦礫の下に挟まれた小さな体が泣き、泥で顔を汚して震えている。マクリルは盾となり、突入してくる敵を押し返すために刃を受け、背に血が滲んだ。瓦礫の間から子供を引き出したとき、彼の袖は泥で黒くなり、その小さな手が極度に力を込めて彼の服を掴んだ。彼はただ、抱えるしかなかった。
語り終えたマクリルの声は震えていなかったが、手首に残る古い瘢痕が火の光に白く浮かんだ。カミアキンの瞳がゆっくりと潤み、彼は深く息を吐いた。その揺らぎが、場に漂っていた硬直を一部溶かす。靴底が石を鳴らす小さな音、焚火のはぜる音、遠くで犬が短く吠えた。些細な音が沈黙の切り替えをつくる。
「その傷……あの夜の者のものか」カミアキンは小さく呟いた。若者が短剣をゆっくりと引き、群衆の一部が低く囁き合う。過去の影がここで再び足を踏み鳴らしたのだ。
だがカミアキンの顔に浮かぶのは慈悲だけではない。怒りと疲労が複雑に混じり合っている。彼は火の光に向かって低く言った。「我らの者が夜に消える。荷車が来て、明け方には人がいない。誰が返すのか。誰が責任を取るのか」その問いは村全体の呻きでもあった。湿った風がその言葉を運び、焚火の弾ける音だけが答えのように響いた。
マクリルはゆっくりと息を吐き、カミアキンをまっすぐに見据えて言った。声は静かだが震えず、言葉には長年抱えてきた痛みと責任が滲んでいる。「カミアキン、あの夜、我は動いた。助ける以外に選べる道はなかった。謝るために来たのではない。ここにいる者たちを取り戻すことで、我が言葉に重さがあることを示したい」レアが静かに通訳すると、幾人かが目を細めて頷いた。
カミアキンは冷たく返した。「言葉は風だ。我らを救うのは行いである。示せ、行いを」彼の声は容赦がないが、公平さも秘めている。場に一瞬の沈黙が訪れ、そこからやがて新しい方向性が立ち上がった。
議論は続いた。カミアキンは淡々と状況を説明する。「企業と結んだ者たちが夜に来る。彼らは合法と言い張るが、我らの者を連れ去り、強制労働に廻す。約束は何度も破られた」彼の言葉は火の反射に鋭く映え、周囲に重く落ちた。
アドラスは言葉だけでは信用を得られないことを知っていた。ここでの誓いは砂のように消える。だから行為で答えることにした。集落の老女が縫い針を落として指を切ると、アドラスはためらわずに布を裂いて簡易の包帯を作り、レアが濡れ布で消毒に当たった。メティスは端末の小さな光で創傷を照らし、暫定的な処置として使えるかを試みる。手が先に示したものは、言葉よりも早く村人の心へ届いた。
夜、火の周りで再度会合が始まる。カミアキンとマクリルは互いに視線を交わし、断片の記憶を照合した。マクリルの証言にカミアキンの記憶が重なるたび、周囲の表情が軟化していく。やがてカミアキンは協力の条件を提示した。「我らの仲間を返せ。施設の内部を案内せよ。そうすれば我らは共に戦う」その交換は残酷さと現実性を同時に含んでいた。
カルマンは肩をすくめ、実務的に応じる。「まずは方法を詰める。偵察と突入の手順を決めよう」メティスは端末を取り出し、先に得たログの断片を火の光にかざした。画面には断続的なヘッダ文字列の破片がちらつき、見えた断片には「PAFP‑X9」と読める欠けた文字列があった。タイムスタンプは完全ではないが、表記の様式が旧連合のものに似ており、年号表記もどこか旧式でずれている。メティスは指で画面を擦りながら低く言った。「接続プロトコルの断片が残ってる。端子の配置も類推できる。この断片で門の付近の端子群を特定できるかもしれない」
手描きの地図が差し出され、泥道と夜間搬送の跡が鉛筆で示される。合図系統は小石の配列と焚火の位置で決まった。役割分担も迅速に固まる。侵入班はマクリルとアドラス、先住民の俊敏な二名。障害排除班はカルマンと若者たち、遠隔支援はメティス、救出班はレアが率いる。合図は単純だが有効で、誰もがその設計に頷いた。
準備の合間、若者がそっと差し出したのはPAFPの識別徽章の欠片だった。夜間搬送の荷車から落ちたらしい。レアはそれを受け取り、唇を噛んだ。小さくとも確かな重みを持つ証拠だ。メティスは端末で断片を突合し、端子の位置と端末類型の候補を絞り込む。解析は完璧ではないが、実行に足る出発点を与えた。
夜半が近づくと、村は静けさに包まれた。湿った布は夜露でさらに重くなり、葉を揺らす風が低く唸る。マクリルはカミアキンの小屋の縁に座り、二人は短い言葉を交わした。過去の真相は依然として断片のままだが、その断片が村人たちにとっての証であり、行動の根拠となっている。
アドラスはネイラの寝息を耳にしながら、静かに拳を握った。言葉にして宣言する代わりに、彼は瞳の奥で固い覚悟を示した。準備の最終点検を命じ、仲間と村人たちを一瞥する。メティスは端末の表示を暗くし、解析の一断片をこっそりアドラスの耳元で囁いた。そこには施設内部で使われていた接続プロトコルの一部と、次に辿るべき座標の微かなヒントが示されていた。
雲の低い縁が夜空を覆い、遠方で最初の風が木々の尖端を揺らす。出発は夜半に行われる。村人は静かに装備を整え、子供たちは眠りについた。火の周りの灰が淡く光り、濡れた葉の匂いが鼻腔を満たす。アドラスはネイラの髪にそっと触れ、短く息を吐いた。その吐息は言葉ではないが、胸の奥で固く結ばれた約束のように残る。村は眠りにつき、次の行動の時を待っていた。




