9.しぬ
馬車の下に蹲ったまま、采加は身じろぎ一つせず身体を硬らせていた。
あれからどのくらいの時間が経ったのか、時計がなくて感覚がわからない。
月明かりに照らされた草本が風に揺れる。
獣の鳴き声、
樹々を揺らす音、
それだけ。
しかし突然、がさっと木々をかき分ける音が聞こえた。
顔を上げると、馬車のすぐ横に人の足が見えた。
「なんだ、これ……」
聞こえてきた声に、聞き覚えのある声に、采加の身体が跳ねる。
馬車の床で頭を打ったが、そんなことはどうでもよかった。
「海吏さん!」
「え、……うわっ」
馬車の下から這いずり現れた采加に驚き、海吏は二、三歩後ずさった。
「さい、か?」
おずおずと顔を覗き込む海吏に、采加は顔の表情を緩ませて近寄る。
「はい、私です、采加です!」
「その怪我どうし……」
言いかけて、海吏は馬車の中を覗き込んだ。
つられて馬車に目を向けた采加が見たものは、惨状。
馬車の壁に飛び散る血と肉片、真っ二つになった人間の胴体と、天井にへばりついているバラバラの両足。
二人いたはずだが見当たる身体は一つしかなく。
おそらく、塊となって散らばっている肉片と臓器、それがもう一人の身体だったものだろう。
「ゔ……ぅえぇっ」
目をそらし口元を押さえる采加だが、指の隙間から溢れた吐瀉物が地面に落ちた。
ポタポタと、涙とともに地面を濡らす。その色が赤であることに気づき、采加は自分の手を見つめた。
赤黒く染まった手のひら、自分じゃない血。
「どれくらい経った?」
海吏の言葉に、采加は口元を押さえたまま立ち上がる。
「機人に襲われて、どのくらいの時間経った?」
「あ……っと、えと……ごめんなさい、よく覚えてない、というか頭がぼーっとしてて」
「血が、まだ乾ききってない」
采加の頬を摩り、海吏は辺りを見渡した。
ざぁっと風の流れる音。
半月の明かり、梟の鳴き声はもう聞こえない。
「行こう」
血塗れの采加の手を握り走ろうとする海吏。
しかし采加は身体が動かず、その場に座り込んでしまった。
「采加、立て!」
「ご、めんなさい。立ちたいんだけど、足が」
カタカタと、足だけじゃない全身が震えていた。
海吏は舌打ちし、采加の身体を肩に抱え上げる。
「え? 海吏さん、大丈夫です、下ろしてください」
「自分の足で走れんのかよ!」
「それは……」
「まだ近くにいるかもしれない。出来るだけ遠くに……いや、まずは日咲と合流したい」
海吏に抱えられながら、采加は遠ざかって行く馬車を見つめていた。
樹木の中にポツンと残された馬車
目を見開いたまま横たわる馬
明と呼ばれていた男の下半身
ふいに、なぜか、涙が溢れてきた。
「ごめんなさい……」
采加の謝罪に、海吏は足を止めぬまま首を傾げる。
「なんで謝るんだよ」
「だって、私だけ……」
「夜間奇襲は運だ。どこで誰が襲われるかわからないし、うまく逃げれる可能性もある。それに謝るべきなのは采加じゃなくて、機人を起こした地底人だろ」
「地底人? 機人を起こした?」
「日咲が話しただろ? 機人は夜は睡眠状態に入ってて、触れない限り起きない。俺たちは眠ってる機人を起こすようなことは絶対にしない。機人を起こすのは……」
「地下都市の、人間」
「実験かなにかだろうけど、迷惑な話だよ。くそっ、なんでこんな日に」
背の高い雑草をかき分けて山を下る海吏。
徐々に雲が遠くなり、やがて采加にも見覚えのある場所までたどり着いた。
「ここ、私が最初に……」
「地下都市を追い出されて、俺たちと出会った場所だな。悪い采加、自分で歩けるか?」
井戸の近くまで寄ったところで海吏が膝をつき、采加は慌てて自分の足で立った。
「ここまでくれば大丈夫だろ」
「ごめんなさい、こんなところまで」
「ほんとだよ。普通なら馬車で移動する距離だぞ」
息を整えながら、苦笑いを浮かべる海吏。
「いざって時のために身体鍛えてたけど、さすがにこれはキツい」
井戸の淵にもたれかかり、空を見上げてケラケラと笑う。
その姿を見て、采加はようやく安堵のため息をついた。
「ありが……」
「でも、采加が無事でよかった。あ、ごめん、今なにか言ってた?」
「いえ、えっと。私、海吏さんには助けられてばかりですね」
「確かにな」
「なにか、恩返し出来ることがあればいいんですが」
「いいよ、そういうの。よかった、無事で」
ポンっと、采加の頭に海吏の手のひらが触れる。くしゃくしゃと髪をかき乱したあと、海吏が微笑んだ。
「よし、帰るか。日咲が待ってる」
「あ、はい……ありがとうござ……」
言い掛けた言葉を、采加は途中で飲み込んだ。
黒い影が宙を舞い、月光を遮ったから。
瞳に映るのは海吏の笑顔と、その背後にいる整った顔の男。
顔だけが人間らしくて、下半身は機械。
腕には大鉈のような鋭利な刃を振り上げていた。
「か……海吏さんっ!」
叫んだ時には遅かった。
機人の持つ刃は海吏の肩にめり込み、血飛沫が辺りに散った。
「……っ」
顔を顰めた海吏が大鉈の柄を握り、機人へと押し返す。刃は海吏の肩を外れ、機人の顔に突き刺さった。
ガッシャンと音を立て、機人の身体が地面に崩れ落ちる。身体を打ちつけながら、機人は刃を抜こうともがく。
「や、ば……やばい、これ」
動かない左肩、溢れ出る血を見ながら海吏が呟いた。
「しぬ……え、ちょっと待って、俺しぬ」
手が震えていた、なぜか口角が上がっていた。
なにもおかしくないのに、面白くもないのに海吏の表情に笑みが浮かぶ、感情がこみ上げる。
やばいやばいやばい
頭の中で声が響く。
やばいやばいやばい、
しぬ、と。
「ひなた……」
海吏の呟きにハッとした采加が、荒野の向こうに視線を向けた。
目を凝らすと、茂みの向こうに小さな灯りが見えた。
焚き火の灯だ。
「行きましょう」
「……は?」
「日咲さんのところにいきましょう!」
「なに言っ……」
火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか。采加は両腕で海吏の身体を抱え上げ、肩に担いだ。
「なにやってんだ、采加!」
「ごめんなさい、海吏さん。痛いかもしれないけど、少し我慢して」
重い、とてつもなく重い。
腕には海吏の血が滴り、うまく持てない。
「采加おろせ!」
暴れる海吏の身体を押さえつけ、地面を蹴る。
抵抗する海吏だが力が入らないのか、采加の歩みを止めることができなかった。
一歩、また一歩と日咲のいる広場へと近寄る。
「大丈夫です」
「なにが大丈夫だ、そうじゃなくて」
「お世話になったので、今度は私が」
「違う、馬鹿采加、降ろせ! でないと……」
海吏が抵抗するのはこの体勢が恥ずかしいが故だと思っていた。
だから彼の言葉に聞く耳持たずで、采加は足を進めた。
「マジでやめ……行くな、日咲のところに行くな!」




