35.月夜を駆け抜ける
翌日もやはり海吏の姿はなく、代わりにランタンの横に食事が置かれていた。
焼き魚とブロッコリーのサラダ。
その次の日は何かの獣の肉と、南瓜を煮たもの。
「おいしいね」と笑い合い、食事をとる。
腹を満たした後は川で水浴び。電池などの消耗品は常に海吏が調達してくれていた。
そして三日目の朝、食事は用意されていなかった。
そのかわり、地面に絵が描かれていた。
三日月の下、三人の男女が鍋を囲んでいるイラスト。
日咲は思い当たる節があり、洞窟を飛び出して山を駆け下りる。
走って、息が切れるほど速く走って、麓を抜けたとき、井戸がある民家にたどり着いた。
日咲のあとを追っていた采加は、井戸を見て地上に来た時のことを思い出す。
ここで出会ったのだ、日咲と海吏の二人に。
ここで救われて、ここから始まった。
日咲は走るのをやめ、歩き出した。向かう先は采加にもわかった。海吏が機人になる前、共に食事をしていたというあの広場だ。
無言で歩く日咲と、同じく黙ったまま日咲についていく采加。
広場に着くと、中央に鍋のような物が置かれていた。
フラフラと歩み寄る日咲。
鍋の脇には二人分の木皿とスプーン、小さな土釜。釜の蓋を開けると、キラキラと輝く米が入っていた。
鍋の蓋を掴む日咲の手が震えていて、采加は日咲の手に自分のそれを添えた。
「いっせーの」
蓋を開けるとむわっと分厚い風が顔に当たり、鼻をくすぐるような強い匂いが飛び出してきた。
鍋の中には、砂のような粒が無数に浮かんだ赤い液体に人参と玉ねぎが浮いている物体。
「日咲、これって……ええっと……」
「カレー」
采加が答えを思い出す前に、日咲が言った。鍋の中を覗き込み、匂いを嗅ぐ。
きつい山椒の香りが鼻を突いた。
木皿に米をつぎ、鍋の中の茶色の液体を米の横に流し込む。
迷ったが、采加はおたま一杯分、きっちりとカレーを注いだ。
日咲は無表情のまま、どっさりと米とカレーを注ぎ、木皿の上には大盛りカレーが出来上がっていた。
まだ白いままの(生っぽい)玉ねぎが米の上でキラキラと輝く。
「いただきます」
手を合わせ、采加はカレーを喉に流し込んだ。
「……っー! うっ」
喉が焼けるような強い刺激が口の中に広がり、次の瞬間、咳き込んでしまった。
ざらざらした砂のような粒が舌の上に残る。
「スパイス強い」
手を伸ばすが、水は用意していない。唾を飲み込み、采加は日咲に目をやった。
カレーを見つめている日咲。
采加が声をかけると、ビクッと体を震わせてようやくスプーンを口に運んだ。
「…………」
ゴクン、とカレーライスが喉を通り過ぎる。
一口、もう一口と食べ進め、残り半分を切ったところで日咲は手を止めた。
「……まずい」
手元のカレーライスを見つめる。
茶色か赤かわからない色合いの汁。
煮え切れていない野菜。
調味料の種類がわからない粉粒たち。
「まずい、ほんと……ゲキマズ」
スプーンを握り、残りを食べ進める。皿の上のカレー全てを食べ終わり、日咲は食器を地面に置いた。
どうやっても半分しか食べれなかった采加は、心配そうに日咲を見守る。
やがてポロポロと、日咲の目から涙が溢れた。
「海吏なの……」
「え?」
「あれはやっぱり、海吏なのよ。機人になっても、性格が変わっても、会話が成立しなくなっても、あの人は海吏で間違いないの。おかわり」
立ち上がって、木皿に米とカレーを追加する日咲。
「まずい、ほんと……こんなゲキマズカレー、海吏にしか作れないよ」
「この絶妙なスパイスのブレンドは、海吏さんだけのものだね」
「采加、私、迎えに行きたい」
日咲が采加に向き直る。目から溢れる涙を、拭うこともなく。
「海吏に会いたい、会ってお礼が言いたい」
「うん。私も、まだ海吏さんにお礼言えてないし。そうだ、今から民家の屋根裏とか探してみよう」
「民家の屋根裏?」
「それとあとは、機人が眠るのって森の中とかもあり得る? とにかく海吏さんが隠れてそうは場所、虱潰しに探してみようよ」
采加は立ち上がり、日咲に左手を差し出した。
「行こう、日咲」
「……うん」
差し出された左手を、自分の左手で握り返す。
日咲も右利きだ。
左手を差し出した理由は一つ、右手は先約があるから。
手を取って駆け出す采加と日咲。
月明かりが、笑い合って走る二人を照らした。




