27.殺さない
海吏の足元には、地面に横たわる大きなクマ。
「隠れる場所は夜中のうちに探しておけと言っておいただろう。こんな時間になにをやっている? というか、クマくらいなら主でも倒せるだろ? ……どうした?」
返事が来ないことを不審に思ったのか、海吏が首を傾げた。
しかしすぐに日咲と采加の視線に気がつき、足元のクマを見つめる。
「殺してはいない、気絶させただけだ」
その言葉通り、クマの胸は微かに上下し、心臓は止まっていなかった。
「殺すなと言ったのは主だろ? これで文句ないか?」
「文句ない。……ありがとう、海吏」
ボタボタと、日咲の目から止め処ない涙が溢れる。
海吏はふぅーっとため息をついたあと、洞窟に目を向けた。
「昨日の昼過ぎからクマの親子が住み着いてる。あそこに隠れたいなら、子グマを追い出してくるが?」
「えっ、いや、それはダメでしょ」
口を挟んだ采加に、海吏はギロリと厳しい視線を向ける。
「おまえ、何やってる?」
「へ? 何って……」
「主を守ると言っていただろう? なんだ、この状況は」
無表情なのに、海吏が怒っていることは明白だった。
采加は身動ぎ、しかし決意したように海吏を見上げる。
「守るって言ったよ、でも私は身体じゃなくて日咲の心を守るの」
「……は?」
「私は弱いので、身体的な力は皆無。ていうか地底人みんな、クマにすら勝てない。だから、たぶん私の身体は何の役にも立たないから、私は心のケアを専門にすることにした」
「……理解不能。おまえ、身体が弱いだけでなく頭も弱いだろ?」
「あ、あたま……ひ、日咲! やっぱりこの人、海吏さんじゃないよっ!」
くるんと、采加が日咲に向き直る。視線を送られた日咲ははっとし、「えっと……」と言葉を紡ぎ出そうとしたが、うまく言葉にならなかった。
「ほら見ろ。おまえの頭が悪すぎて、主も困ってる」
「ちょ……ちょっと! やっぱりあなた、海吏さんじゃないですよね! 海吏さんはもっと優しくて思いやりがあって」
「優しさと思いやりなら与えているつもりだが? 敬語とタメ語がぐっちゃになっている、日本語もろくに使えないおまえに、こうして丁寧に」
「だから、そういう嫌味が海吏さんぽくないって言ってるの! ていうかどうして私にだけ……」
飄々と采加の厳しい目を受け流す海吏。
言い争う、というより痴話喧嘩のような、二人のやりとりを呆然と眺めていた日咲だが、ふっと小さく吹き出した。
「あは、あははっ……」
突然の日咲の笑声。
海吏と采加が、同時に日咲へと向く。
「なに、日咲。なにがおかしかった?」
「どうした、主? こいつが何かおかしなことしたか?」
「だから、どうして私になるの?」
「おかしいな人間と言えば、おまえしかいないだろう?」
「なに言ってるの!」
目が合えば口論に発展する采加と海吏。
二人のやりとりを見て、日咲は今度は小さくくすくすと笑った。
「海吏、楽しそう」
呟いた日咲の声は二人には聴こえていなかったが、それでいいと思った。
日咲は二人にかけより、右手で海吏の腕を、左手で采加の腕を掴んだ。
呆気にとられた海吏と采加が、日咲に視線を送る。
「海吏、酷いこと言ってごめんね」
「酷いこと?」
「私、海吏に出て行けって」
「あぁ……そんなこと言っていたか?」
「覚えてないんですか? 日咲、やっぱりこの人どこかおかしいよ!」
「おまえ、俺に対する言葉遣いを統一してくれないか? やはり、日本語が不自由なのか?」
「いちいち嫌味挟まないでよ! 命令口調に統一します!」
「やはり馬鹿だろ? というか、おまえ、主にとってどういう存在だ?」
「今さら? 片腕ですぅー、日咲の身体の一部です」
「ほぉー、なるほど。人間ではないということか」
「そんなこと言ってないよ! 人間だから!」
口喧嘩を始める二人の腕を、日咲が引き寄せる。腕を引かれ、海吏と采加は口を閉じ日咲に向き直った。
「二人とも大事だよ、私にとっては二人とも大事だから。……ありがとう」
俯いていう日咲に、海吏と采加は目配せして再び日咲に目を戻した。




