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22.違う


 洞窟に戻ったからといって、特にすることはなかった。

 勿体無いからと、海吏の用意した食事を二人で片付ける。


「魚、久しぶりだな」


 そう言って頬を膨らます日咲の目から、ツゥーっと涙が落ちた。本人はそれに気付いていないのか、涙を拭うことなく川魚にかぶりつく。

 お腹を満たし、そういえば水浴びをしていない事に気がついた。

 明日は川に行こう、そのついでに新しい寝床を探そうと日咲は言った。昨晩みたいなことが再びあるかもしれない。居住点の目星は複数あってもよいから、と。


「海吏が起きたら話しようと思う」


 ランタンの灯を見ながら、日咲が言う。


「なにを話すかって言われたら困るんだけど。とにかく、話をしようと思う。機人になった海吏と」


 決意したように顔を上げる日咲。

 采加は微笑み、ぎゅっと日咲の手を握った。


「大丈夫だよ、日咲。私がついてるから。どんな結果になっても私は絶対、日咲の側にいるから」

「ありがとう、采加」


 手を握り返すと、采加が笑った。

 時計の針が動く様を無言で見つめ、短い針が5時に近づいたとき、洞窟の出入り口の穴から物音が聞こえた。

 同時にその音に気付いた日咲と采加。

 ぎゅっと手を取り合い、立ち上がる。


「どうしよう、日咲」

「……クマとか、ならまだ対処の仕様があるんだけど」


 繋いでいる他の反対の手で日咲はナイフを握り、出入り口の穴を睨む。

 ザッザッと地面を擦る音。

 やがてひょこっと、痩せ型の男が顔を現した。


「昨日の……!」


 それは昨晩、洞窟に入り込んで日咲たちを襲った男の生き残りだった。

 日咲は握ったナイフを男に突きつける。


「待ってくれ、話を聞いてくれ!」

「話? あなた、昨日の見てたでしょ? 何の話があるっていうの? 復讐?」

「そうじゃない! 昨日のあれは俺たちが悪い、それは謝る、本当に、ごめんなさい。そうじゃなくて、今日だけでいいからここにかくまってくれないか?」

「かくまう?」

「武器は持ってない! ほら!」


 男は両手を掲げ、身の潔白を証明する。


「そもそも、武器なんか持ってても敵わないだろ、お前らの仲間には」


 チラッと海吏を一瞥する男。項垂れている海吏を見て表情を硬らせたあと、日咲に目線を戻す。


「あんな身軽な男がボディガードにいるなんて知らなかったんだよ。今日も寝てるんだな、あいつ」

「ボディーガード?」


 どうやら男は、海吏が機人だと気付いていないらしい。

 ただ少し身軽で強いだけの、普通の人間だと思っているのだろう。


「そんな事より、夜が明けそうなんだ。外はもう明るくなってきてる。だから今日だけここにおいてくれないか?」

「意味わかんないんだけど、なんで?」

「外でもたもたしてたら、隠れるとこ見失っちまったんだよ。今外に出たら、確実に機人に殺される」

「知らないわよ、そんなの」

「頼むよ! そりゃあ俺だって、兄貴を殺したやつらに頭下げるなんてどうかと思うよ。だけど、空が白んできた時にちょうどここの前通りかかって……俺だって困ってんだよ、昨日までは兄貴と一緒にやってきたから、いきなり一人取り残されるなんて」


 じわりと男の目に涙が浮かぶ。冷めた目で見下ろしていた日咲だが、情けなく頭を抱える男を見てナイフを納めた。


「今日だけだから」


 その言葉に、男の表情がパッと明るくなる。


「明日になれば私たちここを出るから、そしたら後は自由にすれば? あんたの分の布団はないけどね」

「あ、あり……ありがとう!」


 ボロボロと涙と、そして鼻水を垂れ流す男。

 日咲は呆れた瞳で男を見つめ、采加の側に戻った。


「ねぇ、日咲、大丈夫なの?」


 小声で尋ねる采加に、日咲は小さく頷く。


「たぶん。確証はないけど」

「でもあの人、昨日私たちを襲った人の仲間だし、それに私たち、あの人の仲間殺しちゃって……」

「うん、だから、同情しちゃったのかもね」


 ため息をつき、男の姿を見つめる日咲。

 その横顔には哀れみと、寂しそうな表情が見えた。


「ほんとに悪い、恩に着る」

「そう思うなら明日ちゃんと対価払ってよね」

「あぁ、そうだな。そうだ、たいした物は持ってないんだが」


 そう言って男は、懐から巾着袋を取り出した。

 ガザガサと上下左右に揺れている袋。

 紐を解いた男が、袋の中身を日咲たちの方に見せつける。


「粗末だが、食料くらいなら提供できる」

「ね、ネズミ!」


 それは采加が暮らしていた地下でもよく見知った動物、ネズミだった。

 小さなネズミがギッシリと、身動きできないほどに敷き詰められていた。

 キィーチュウーと呻き声が幾つも漏れている。

 顔を歪ませて身を引く采加。横目で日咲を窺うと、放心状態になっているようで立ちすくんでいた。

 そして軽く唇を開き、


「きゃああぁあ」


 と、大きな悲鳴を出し、後ろに飛んで尻餅をついた。

「ひ、日咲、大丈夫?」

「嫌っ、ネズミ……いや、ちょ」

「あれ? もしかしてこういうのダメな感じ?」


 男はポカンと首を傾げ、そして慌てて巾着袋を閉じようと糸を引いた。


「わ、悪い。ネズミに耐性ないやつがいるなんて……」

「そういえば日咲、小動物苦手って言ってたっけ?」

「嫌いなの、そういうの! いいから、早くしまって!」

「ああ、悪い」


 焦りすぎたのか、男の手が滑り巾着袋が床に落ちて中に入っていたネズミが飛び出してきた。

 阿鼻叫喚である。

 日咲の声に采加は耳を塞ぎ、そしてふと、海吏がいなくなっている事に気がついた。


「……やっぱり、昨日の男だな」


 酷く不機嫌な、聞いたこともない音色で、聞き慣れた声が聞こえた。

 目を瞑っていた日咲だが、その声にパッと目を見開く。


「……ぐ、っ」


 目の前には、ネズミの巾着袋をぶち撒けた男。心臓がある左胸に鋭い刃が突き刺さり、爪先は宙に浮いていた。


「…………あ」


 男の目と、日咲の視線がぶつかる。と同時、男が口から血を吹き出した。

 バシャッと、日咲の顔が血濡れになる。

 ああもう、ここ数日で何回目だろう。

 相変わらず不愉快で、そして他人の血はとてつもなく臭い。


「無事か、主」


 男の身体が地面に崩れ落ちると、その向こうに海吏の姿があった。

 右腕はいつもの銀の剣、血の一滴もついていない綺麗なままの顔。


「やはり穴を塞いでおくべきだったか」


 淡々と言い放ち、剣を人間の腕に戻す海吏。

 足元に自分の刺した相手が、今まさに命を断とうとしている人間がいるというのに、目を向けることもしない。


「…………め、なさい」


 日咲が男の目を見つめるが、既に事切れているのか反応はない。


「ごめ、なさい……ごめんなさい」


 ポロポロと、日咲の目から涙がこぼれ落ちた。

 昨晩と同様、血の溜まりとなる洞窟の床。目を見開いたまま動かない見知らぬ男、唖然と佇んでいる采加。

 一切表情を変えない海吏という名前の機人。

 日咲は立ち上がり、海吏に歩み寄った。


「どうした、主。怪我はなかったか?」

「……なんで、殺したの?」

「主が襲われていたから」

「ちゃんと状況見てた? 私が襲われているように見えたの? ていうか私、助けを求めてないよね? 名前呼んでないよね? なんで起きてきたの?」

「なんでって、朝だから。目が覚めたら主の悲鳴が聞こえて、昨日ここから逃げ出した男の姿があった。だから排除した。それだけだ」

「頼んでないんだけど?」

「プログラムに従って行動しただけだ」

「人を殺すことが?」

「結果としてそうなった。主を守るには、脅威を即排除するのが最も効率が良い」

「そんなの……だからって簡単に、人を殺すなんて」

「機人ならいいのか?」


 日咲は厳しい目つきで顔を上げる。

 見下ろす海吏の視線は冷たく、表情が消えていた。


「なにをそんなに怒っている?」

「だって……この人は私に対して害を加えていない、ネズミにびっくりしただけで」

「ねずみ? あぁ、成る程」


 足元をチョロチョロと這うネズミに、海吏が長刀を突き刺した。

 貫かれたネズミはピクピクと痙攣し、項垂れて動きを止める。


「……っ!」


 日咲が手をあげる。が、海吏は長刀を持っているのと反対の手で日咲の腕を掴んだ。


「海吏じゃない……こんなの、海吏じゃない!」


 反対の手を振り上げるが、いとも簡単に掴まれてしまった。

 日咲は涙目の瞳で海吏を睨む。


「海吏は優しくて、知らない誰かにも親切で、そのせいで私まで迷惑被ることもあって……こんなの、私の知ってる海吏じゃない」


 項垂れる日咲。海吏は手を離し、じっと日咲の目を見つめた。


「言っておくが、俺は主の友人だった海吏ではない」

「……は?」


 驚いたのは日咲だけではない。二人のやり取りを見守っていた采加も、目を丸くする。


「俺は確かに海吏という人物……いや、機人か。とにかく海吏ではあるが主の知っているやつとは違う」

「どう、いうこと? 二重人格ってこと?」

「それも少し違う。生まれ変わったというべきか」

「なにそれ、……ほんと、意味わかんない」

「主も見ていただろう、人間としての俺は死んだ。今ここにいる俺は、機人として生まれ変わった海吏だ」

「……マジで、意味不明なんだけど」

「理解は求めていない。俺に課されたプログラムは主を守ることだから、手の届く範囲で活動してくれるだけでいい。必要とあれば、他の事も手を貸す」


 淡々と言われ、日咲は言葉を失った。

 返事がない事で会話が終わったと認識した海吏が、踵を翻して出入り口の穴に向かう。


「食料を取ってくる。ここの入り口は塞いでおくから、主たちは寝ていてくれ。食料のほかに必要なものはあるか?」

「……いらない」

「? そうか、じゃあ食料だけ」

「そうじゃなくて、あなたがいらないの! 出て行って、もう帰ってこないで!」

「主?」

「私は嬉しかった、海吏が生きて帰ってきて、また一緒に暮らせるって……でも今の海吏は、会話もまともにしてくれない海吏ならいらない! 出て行って!」

「…………」


 海吏の表情は変わらない。僅かに首を傾げ、「夕方には戻る」と言って出て行った。


「……ひなた?」


 おずおずと、采加が日咲に近寄る。顔を見ると、日咲は顔を真っ赤にして頬を膨らませていた。


「塞いで」

「え?」

「出入り口塞いで、あいつが戻って来れないようにして!」

「えぇーっ? そんなことしても、相手は機人だから無駄だよ?」

「いいからやって!」


 怒声に近い日咲の言葉に、采加は仕方なく床に落ちていたシーツを穴に被せる。機人どころか、人間の侵入も防げないだろう。

 しかし日咲はそれに満足したようで、ドカッと腰を落とし洞窟の隅に寝転んだ。


「あ、寝るんだ?」


 布団にくるまって動かない日咲。采加はため息をつき、足元を見つめた。

 目を見開いたまま口から血を流し倒れている男。

 なにが……なにがいけなかったのだろう。

 どうすればよかったのか。

 考えてもわからない。

 というより、何を議題に思考を巡らせているのかわからなかった。


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