12.いちごとりんご
どちらの物かわからない腹の音が鳴って、食事を摂っていないことに気がついた。
日咲の嗚咽が止み、またしばらく時間が過ぎた。そうすると不思議と目が暗闇になれ、やがて周囲の状況が確認できるくらいまでになった。
隣に座る日咲はあいかわらず、膝を抱えて顔を埋めている。
ギュルルーと、再びお腹が鳴った。今度はわかる、日咲の方だ。
なにか食べないと……いや、食べさせないと。
そう思って立ち上がり、采加はフラフラと洞窟の出入口に向かう。日咲がちらっと顔を上げたことを、采加は知らない。
洞窟の出入り口になっている小さな穴に身体をねじ込む采加。
「あ、大丈夫だ」
身体を捻り出口の外に出ると風の匂いがした。
湿っぽい、夜風の香り。
「月が、欠けてる」
半月が闇に齧られたような三日月に近い月の形。
采加は天を仰ぎ、風の音を聞いた。
遠くで鳴く梟の声、獣の唸り声。
涙が、枯れたはずの涙が頬を伝った。
泣いてる場合じゃないと涙を拭い、森の中へ入る。
すぐ近くに親指ほどもある野苺が成っており、五つ抱えて洞窟の中に戻る采加。
灯のない空間はただの暗闇に戻っていたが、息遣いで日咲の居場所はわかる。
日咲の手前にに苺を全て置き、采加は少し距離をとって膝を抱えて座る。
「いちご、好きですか?」
「…………」
日咲は答えなかった。
沈黙の、静かな空気が洞窟内に漂う。
互いに動かず、時間が過ぎる。
しばらくして日咲がチラッと采加の方に目を向けた。しかしすぐに顔を背け、膝に埋める。
その動作が二回繰り返されたころ、采加の目が暗闇に慣れてきた。
そして三回目、日咲が采加のほうを向き、その足元を見つめて言った。
「あんた、自分のは?」
「え?」
「外で食べてきたの?」
「あ、いや、食べてないです。日咲さんに食料をと思ってとってきたものだから」
「なにそれ」
足下に並べられた五つの苺を睨みながら、日咲が言った。
「同じこと、やらないでよ」
ギュッと、膝を強く抱える。
「海吏と同じこと、同じこと言わないでよ」
「……海吏さんと?」
「私たちの集落が機人に襲われた時、その夜、海吏がりんごを三つ持ってきた。無言で私の足元に置いて、『りんご、好きだっけ?』って。意味不明、馬鹿じゃないの、こんな時にって無視しようと思ったんだけど、海吏の足元には何もないの。聞いたら、『日咲のための食料だから、日咲が食べないなら俺もいらない』って、笑いながら、海吏が言ったの」
その時の笑顔が脳裏によぎり、日咲の目に涙が溢れた。
「嫌いよ、りんごも苺も。ていうか私、果物全般ダメなの。嫌い」
「え、あ……ごめんなさい。えっと、じゃあ別のものを……」
「でも私が食べなかったら、あんたも食べないんでしょ? ねぇ、電気つけて」
采加は慌てて地面を探り、隅に置いてあったランプの火をつける。
久しぶりに灯る洞窟の中、ぐちゃぐちゃに泣いて乱れた日咲の顔は、頬がこけて痩せて見えた。
「なんで奇数なのよ、あんたも海吏も。これじゃ半分こできないじゃない」
「いや、だって全部、日咲さんにあげるつもりで」
「それがバカだって言ってんの」
日咲は苺を三つ、采加の方へ転がした。
コロコロと、丸い苺が采加の足にぶつかる。
「あんたのせいじゃないよ。海吏が死んだのは、あんたのせいじゃない」
苺を眺めていた采加だが、その言葉に顔を上げた。
真っ赤な目の日咲と視線がぶつかる。
「機人の夜間襲撃は運だから。あんたが馬車の下に隠れて命拾いしたのも、海吏があの場所に行ったのも、全部運だから」
「ちがっ……私が自分の足で……」
「わかってる。それはあんたが悪い。自分の足で動かなかったあんたが悪い。それともう一つ、なんであの状態で私のところへ来たの?」
「……え?」
「井戸のところで機人に襲われたんでしょ? なんでそこから、私のところへ向かったの? 海吏が指示したの?」
「違、います。私が、日咲さんのところへ、行こうって」
そこでようやく気がついた。
間違えた……
間違っていたのだ、あの選択は。
「海吏は、何よりも私を優先する。あんな状態で私のところへ来て、守るべき命が増えて……そしたらもう、自分の命を投げ出すしかないじゃない」
あの時、彼は言っていた。
『日咲のところへ行くな』と。
巻き込むな、ここで機人を止めておく。
日咲と接触させるな、と。
「あ……わたし……」
「それと私、あんたが私を抱えて逃げたこと、海吏と引き離したこと、怒ってるから」
「それは、日咲さんを守るためで」
「でもそれ以外は、ありがとう」
「……え?」
思わぬ言葉に、采加は目を見開く。
涙、そして鼻水までも垂れ流しの日咲が、采加の目を見つめて言う。
「海吏はもういないけど。運が悪くて機人に襲われた、それはわかってる。だから、最後に海吏の顔が見れて……海吏の最後に立ち会わせてくれてありがとう」
「……………ごめ」
ごめんなさい。と言おうとして声を止めた。
さっきから謝罪ばかりだ、違うこれじゃない。
日咲が求めているのは、こんな言葉じゃない。
「海吏、ありがとうって言ったの。あの時」
「あの時?」
「機人に首を跳ねられる直前、片手を上げて微笑んで、『ありがとう、日咲』って。私の名前を呼んでくれた」
「…………」
涙が溢れた。
どうしたら、どう声をかけたらいいかわからない。
ただひたすら流れ落ちる涙と、酷く波打つ心臓の音。
足元には、苺が三つ。
「私……日咲さんを守ります」
地面に転がる、小さな苺を見ながら言った。
日咲の足元にあるのより一つ数が多い、野苺。
「海吏さんの代わりに私が、日咲さんを守ります。それが海吏さんの願いだったから」
苺を一つ手に取る。
思った以上に力が入って、少し潰れてしまった。
「当たり前でしょ、あんたの方が一つ多いんだから」
怒ったように言う日咲が、足元の苺を口の中に放り込んだ。
「酸っぱい……だから嫌いなのよ、果物って」
もぐもぐと、二つの苺を頬張る日咲がリスのようで、采加は失笑してしまった。自分の苺を口に入れると確かに、甘酸っぱい味が舌を撫でた。
『私は一つでいい。残りの二つは海吏が食べていいから。だからその分、りんご一つ多い分、私を守ってよ』
あの日、りんごを三つ持ってきた海吏に言った言葉。
その時の笑顔が頭から離れない。
あの顔だけはずっと、日咲の心の支えだった。




