10.「ありがとう」
焚き火の炎が弱くなった。
薪をくべるか迷い、やはり止めて日咲は空を見上げた。
先ほどよりも雲が増えて、半月が隠れつつある。
「海吏、間に合ったかな」
この火が消える頃には戻るだろう。そう思ってぼうっと焚き火を見つめる。
ふと聞こえた物音に顔を上げると、樹木の向こうでなにかが揺れた。
不思議に思い、チラッと顔を覗かせる。
「……なに?」
見えたのは歩いてくる采加と、彼女に抱えられている海吏の姿。
「采加、あんたその血……海吏?」
止め処ない出血、苦しそうに息を吐き出す海吏の瞳が開き、その中に日咲の姿が映し出された。
「ちょ……なにこれ、なにがあったの?」
「日咲さん、向こうに機人が……」
「機人? だって今は夜……」
瞬時に察した日咲が辺りを見渡し、海吏を降ろす。
「逃げてきたの? ていうか、逃げ切れたの?」
「はい、海吏さんが鉈をつきつけて」
「鉈? 待って、それより応急処置……」
「ひなた……」
肩に触れようと伸ばした日咲の手は、海吏の左手につかまれた。
海吏は微笑み、日咲の姿を目に焼き付ける。
「日咲、ごめん」
「ごめんって……なに言ってんの、いいからまず怪我を」
「俺、約束したのに。ずっと、日咲を守るって、死ぬときは日咲を守る時だってずっと、決めてたのになぁ」
「なに弱気になってんの、こんな傷……」
「ごめんな、日咲。カレー、今度からは、采加と食べてな」
「はぁ? 作れるわけないでしょ、あんなゲキマズ味。カレーは海吏の担当だから」
「日咲」
名前を呼ばれ、顔を上げた日咲の目に海吏が微笑む。
弱弱しく息を吐き、顔はもう血の気がない。
「大好きだった」
「かいり……」
次の瞬間、海吏は手を離して日咲の身体を強く押した。
よろめいて地面に手をつく日咲、海吏は視線を采加に移し、強い眼差しを向けた。
「采加、頼む」
「……え?」
「さっき言ってた恩、いま返して。日咲を守ってくれ」
「守るって……」
「逃げろ、出来るだけ遠くへ……日咲を連れてってくれ!」
キュインと機械音、金属の擦れる音。
顔の右半分の皮膚が爛れている機人が宙を舞って現れ、海吏に飛びついた。
金属の足は片方無くなっており、ガシャガシャと壊れたような音を立てながら海吏にしがみつく。
「采加! いけ、走れ!」
互いに武器はない、素手で押し合う海吏と機人。
機人の手は人間のそれと同じで、肌色の皮膚に覆われており抉れている部分からは白い骨が見えた。
「俺はもう無理だから。もう、日咲を守れないから。だから代わりに、日咲を連れて逃げてくれ。日咲を死なせるな!」
その言葉に采加は息を呑んだ。
彼は言った、
『自分が守れる命は一つしかない』、と。
その一つは言うまでもなく、日咲のことだ。
日咲の為にしか使いたくない命を、こんな事で……
違う、彼は強い。
実際、素手で機人とやりあっている。流浪生活をしている分、機人から逃げるだけの技術は身につけてあると言っていた。
馬車にも劣らぬスピード、女一人を担いで。
「私の、せいだ」
あの時、馬車から離れる時、足がすくんで動けなかった。四十キロの余分な荷物があったせいで機人の襲撃に気付かなかった。
もしこれが、私がちゃんと自分で走っていたら。
私が存在していなかったら。
采加は決意したように顔を上げ、日咲の身体を持ち上げる。海吏より軽いはずなのに、疲労のせいか重く感じた。
「采加! なにするの?」
「ごめんなさい、逃げます」
「はぁ? ふざけないで、海吏助けないと……」
「逃げます!」
日咲を後ろ向きに肩に乗せ、尻を持つと采加は地面を蹴って駆け出した。
一瞬にして海吏の姿が小さくなる。
そのスピードが異様に速くて、しかし見える光景はなぜかスローモーションのようにゆっくりで。
「海吏……かいり、かいりっ!」
手を伸ばして必死に名前を呼ぶ。
その声に振り向いた海吏が微笑み、片手を上げてなにかを呟いた。
ザシュッ
遠すぎて音なんか拾えないはずなのに、日咲の耳にはたしかに、嫌な音が響いた。
「…………や、やだ……やだ」
悲鳴を上げる事も出来なかった。
目の前の出来事が信じられなくて、嘘だと思いたくて、日咲は海吏と機人のいた場所を凝視する。
大人しくなった日咲を不審に思い、采加は足を止めないまま振り返る。
海吏がいた場所から少し離れた場所にポーンッとサッカーボール程度の丸い物体が転がり落ちた。血飛沫で濡れる機人の顔、身体にまいてある白い布が真っ赤に染まり、機人の身体が地面に崩れ落ちた。
それとほぼ同時、その場に残された海吏の首から下が崩れ落ちる。
腕は機人の左胸にめり込んでいた。
「っ……ぅう」
唇を噛み、足の回転をより一層速める。
目に溜まる涙は、風が払い除けてくれた。
「うそ……嘘。うそ……やだ、いやだ……」
抵抗をやめた日咲の身体が重くなる。采加はそれに耐えながら走り、耳元で日咲の声を聞いた。
「やだ、いや……かいり、海吏!」
もう姿は見えない、届くはずがないのに、日咲は彼の名前を呼び続ける。
届くはずがない、もう聴こえないのに。




