8話「消えろなんて言わないで」
どうしてウェッジがここに!? ――なんて悠長に考えている暇もなく。
「消えろおおおおお!!」
叫びが鼓膜をつんざく。
「危ない!」
そしてそれと重なるアドミッドの声。
ウェッジが素人なりに振り回した刃物、その不気味に光る尖端がアドミッドの髪を払い、黒いものを僅かに散らす。そしてさらにもうひと振り。その刃がどこに触れたのかは定かでないが、私のものではない紅が宙を舞い地面に跡を刻んだ。
「二人まとめて地獄送りだあああああ!!」
ただただ怖かった。
それで何もできずろくに動くことすら叶わず。
どうして――それだけの言葉しか脳内にはない。
だが、次の瞬間、アドミッドは冷静に反撃に出た。彼は腕を突き出すようにして目の前の男の刃物を払い落とすと、襟を掴み、そのまま豪快に投げる。刃物で戦闘能力を強化しただけで素人同然であるウェッジがそれに対応できるはずもなく。ウェッジの身体はぐるりと宙を巡り、やがて地に落ちた。
「ぐえっ」
背から固い地面に叩きつけられたウェッジは詰まるような低音をこぼしそのまま気を失う。
そこでようやくアドミッドはふうと息を吐き出した。
「無事でした?」
振り返り確認してくれるアドミッドは片腕に切り傷を作っていた。
「あ……は、はい」
「なら良かったです」
こんな物騒な出来事の直後では最低限の返事をするのが限界だ。
それ以上のことなんて、気の利いた言葉なんて、どうしてもすぐには出てこない。
「でもアドミッドさんが……怪我を」
「僕は大丈夫ですよ、浅い傷です」
「死にませんか?」
「え、死!? ……大層なことを仰いますね、アイリスさんは」
「大丈夫……なのでしょうか」
「もちろん。この程度で死んでいたら人間なんてとうに滅亡しています」
「そうですか……」
私のせいでアドミッドが不幸になるようなことがあったら立ち直れない。
ようやく出会えた共に未来を想える人、だからこそ、傷ついてはほしくないのだ。
「取り敢えず、この人を警備所へ突き出しましょう」
「そうですね……」
迷惑をかけてしまってもやもや。
「アイリスさん?」
「あっ……」
「大丈夫ですか? 何か思うところでも?」
何か察したらしい彼が首を傾げて尋ねてきたので。
「その人……私の元婚約者なんです」
本当のことを答えた。
「あ。それって、もしかして、前に仰っていた?」
「そうです」
「知り合いだったのですね」
「はい……」
「投げてしまってすみません、気絶させてしまって」
「いえ! 違うんです! そうじゃないんです! アドミッドさんを責めるとかそういう話ではなくてっ……」
少し、間を空けて。
「迷惑をかけてしまって申し訳ないな、と」
ようやく最後まで言えた。
ただ、そこまで言ってもなお、アドミッドの表情が曇ることはなくて。
「そういうことですか。でも大丈夫、気にしないでください。僕、何も、貴女のせいだとか思っていませんから」
むしろ爽やかな笑みを向けてくれた。
それが嬉しくて、思わずこぼれる安堵の溜め息。
良かった、嫌われなくて――そんな柔らかで温かな思いだけが胸の内を巡っている。
その後私たちは近くの警備所へ気絶したままのウェッジ連れていき、そこで担当の者に身柄を引き渡した。
そこでついでにアドミッドの手当ても行われた。
「良かったです、アイリスさんに何もなくて」
「本当にありがとうございました」