第六話「覚悟」
勢いだけで行動を起こす事は、有効な手段ではないと思う。
考えなしに起こした行動、それの結果を予想することは、少なくとも行動を起こした本人には難しいのではないだろうか。なにしろ「考えず」に起こした行動なのだから……そしてやりくりできずに代償を強いられるのは、他の誰でもない本人自身である。
そして今、俺は代償を支払わおうとしていた。
「『ここは俺に任せて先に行け』、か。……まったく、舐められたものだな俺も。年を取って衰えはしたが、まさかお前のような小童に舐められるようになるとは」
馬鹿言ってんじゃねぇよ、金ピカ。俺は震える足をごまかし、目の前の脅威から逃げるための方法を模索し続けていた……。答えは、「無理」。諦めて楽に死ぬしか、今の俺にはまともな手段が無い。発狂しないだけ、まだ自分の肝は座っている方だと思う。
「この一撃、あの気迫……あれは間違いなく『持っている』。お前なんぞの為に取り逃がしたのは惜しいが、なぁに矮小ながらに殿を務めようとしたお前への敬意だ。――安心しろ、後で仲良く首を並べてやる」
その表情にも、冗談にも揺らぎは無かった。ただ、剣を構えている、確実に俺の命を、心臓を穿ち貫く必殺の一撃が……一点に収束し、俺を捉えている。――来るっ! 右だ!
「ぬぉおおおっ!」
「!?」
風、痛み、己の血! なんて速さと反射神経! 未来を読んでからギリギリを攻めたのに、それでも切られた! 確実に間合いの外に跳んだはずなのに、的確に距離を詰められてしまった! 見た目と武器だけではない、純粋な実力も兼ね揃えていやがる!
(畜生、やっぱ『ああ』するしかないってのか……クソッタレの《神》! とんでもねぇ祝福ばっか押し付けやがって!)
今考えるべきはそこではない。しかし、どういう訳か金ぴかの動きが止まっている、いい感じに砂埃も舞っていた。俺はなるべく音を立てないように心がけ、傷口を押さえながら再び城内に入った。『あれ』が何処にあるのかなど見当もつかない……しかし、このクソッタレの『目』の示す未来を実現させるためには、どうしても『あれ』が必要なのだ。
「――逃げられると、思うなっッッ!」
背後からの声、ほぼ同時に未来が見える――。不可避、告げられたそれに気が滅入る。攻撃に対する体の表面積を極限までに小さくし、被弾確率を下げる事しかできなかった。奇跡的に当たったのはたった一発……そしてその一発で、俺の右肋骨は砕かれた。
(――クソゴリラがっ!)
吹っ飛ばされ、内臓にめり込む骨共。体の中で爆弾が爆発したような気持ちだ、何処に何があったかも思い出せない程、中身がめちゃめちゃに痛く、内側から歪んだ形を形成していた。それでも俺は行かねばならない、何故なら《神》は、俺が死ぬことを許してはくれないからだ。
瓦礫の散漫する市街地には、先ほどまでいた住民は一人もいない。恐らく日頃から訓練されているのだろうか、覚悟していた凄惨な光景は、幸運なことに一つも目に入ってこなかった。
(クソ痛ぇ……再生まであとどれぐらいだ。それまで飛ぶんじゃねぇぞ、俺の意識!)
歯を食い縛り、追撃者の恐怖を脳から追い出し、俺はただ探し続けた……恐らく最大の無茶振りを、このクソッタレの絶体絶命をひっくり返す最強のアイテムを。
「……! あった!」
踏み込み、歩き、痛みを庇いながら『それ』に近づく。
見上げる程巨大な岩だった。周囲は『立ち入り禁止』の文字と、それを示す黄色と黒のテープが張り巡らせられている……その大岩の上、分厚い雨雲を背に、俺の事を見下すように突き刺さる剣が一振り。わずかな光ですら煌めく最高純度の黄金、それらをふんだんに使った装飾。一振り全体に埋め込まれた『竜』の骨、それらを覆う刀身に使われているのは、『竜』の骨なのか、特殊な合金なのかも分からない……ただ一つ確かなのは、あれは『竜』の肉を裂き、骨を断った伝説であるという事である。
『バルムンク』。そう名付けられた剣は、確かに俺の前で煌めいていた。
対峙して分かるその重圧、圧迫感……この地に突き刺さってから抜こうとも抜けず、大地事引っ張り出すしかなかったと言われる剣。こんな何もない土地に、王国を築かせるほどの重要な意味を持つ、立った一振りの剣。――なるほど、《神》が与える俺への試練として、これほどぴったりな舞台装置は無い。
「……」
抜く、という事は、触れるという事だ。
躊躇が、手の汗となってにじみ出てくる。噂話に揺り動かされるほど俺の肝は小さかったか? 否、そんなことあってはいけない……これまで伊達にクソ上司の我儘を聞いてきたんだ、あれに比べれば、どうってこと……。
「いたぞ! 撃て!!」
「っ!?」
気付けば、俺は囲まれていた。構えられた銃口の数々、対竜用の弓……近接用の武器を構えたハンターたちが、物凄い形相で俺を見上げていた。――正確には、大岩に突き刺さった美しき剣を。
「――待て」
低く小さいが、決して聞こえない訳ではない、聞き逃す事を許されない声が、響く。ハンターの数十人が銃を降ろし、残りの数人は未だに俺を睨んでいる。――声を発したのは、平然とした顔の金ぴかだった。
「先ほど言っていた、『雷がピンポイントで落ちてくるレベルの運ゲー』というのはそれの事か。――成程、確かに納得できる。それを実行するべく俺を掻い潜り、今まさにそこに立っているのは……敬意を表さねばなるまい」
舐めやがって。だが、奴の顔は勝利の愉悦でいっぱいだった。確かに俺はこの剣を抜き、使えば確実に勝利することができる。――しかし、だ。この剣には恐ろしい……余りにも恐ろしい特徴が存在しているのだった。
「どうした? 抜かねば貴様は死ぬぞ? それともなんだ……『竜骸』にその身が変貌することが、そこまで恐ろしいか⁉」
嘲笑うように言い放つそいつの言葉は、俺以外のハンターの心にも油を注いでいた。俺だけではない筈だ、怖いのは。世界最強の『竜殺し』が握り、圧倒的な力を持つ聖剣……それを握り、振るったという事実が最大の栄誉。それに挑む事ができずに、ただ睨みつける事しかできない彼らの屈辱と自らへの失望は、計り知れないだろう。
(……怖ぇに、決まってんだろ)
死にたくないのは、誰だって一緒だ。死んでも構わないというのは、あらゆる事柄においてありえない事だと思う。それ以外に生きる意味が見いだせないからこそ、人は真に「死んでもいい」と口にし、それを本当に思ってしまうのだろう。俺はそれを、酷く悲しいと思う。
(死にたくねぇ、死にたくねぇよ……だけど)
別に、「死んでもいい」と言うつもりはない。今この瞬間だって、ヒスイが、全く関係のない誰かが助けに来てくれるような展開を期待している。そんなことないから、俺は決断を強いられている。
「ビビった自分のせいで死ぬのだけは、絶対に嫌なんだよこのっ……クソッタレがぁああああっ!」
近づく、近づく、指先が振れる、親指で握る、力を籠める……いける、俺の体に異常は何もない! 直後、金ぴかの唸り上げるような声が響く。銃弾が、矢が……それらに続いて、何人ものハンターが迫り来る! 抜けろ、抜けろ、頼む抜けてくれ……まともな信条も、使命も、ご立派な大義名分もありゃしねぇけど!
走馬灯らしきものが、脳裏をゆらゆらと踊っている。
眉間に向かってくる銃弾を、肉眼で捉える。
それよりも早く、首と脇腹、背中を切り裂かんとやって来る短刀、槍、太刀。
意識は揺らめき、消え去り……そのまま思い出の奔流に呑まれていく。
――この『リーゴ』の木、よろしくお願いしますね。
ああ。お前との約束、守れなかったなぁ。
「モ、ア――」
――鈍い痛み、加わる鈍い痛み……意識が完全に閉じそうだった、まだ閉じるな、閉じないで……だから、まだ――。
『好きな女を残して死ぬたぁ、いい度胸してんじゃねぇか』
その言葉を最後に、俺の意識は途絶えた。
前提として、それは『バルムンク』を握っていた。
これは重要な要素の為もう一度確認しよう。――前提としてそれは、『バルムンク』を握っても何の変化も無かった。当然のように、恐れも無く……まるで、自分の物を拾いに来たかのように。
「……何故だ」
それらの情報、及び大岩の上にいる圧倒的存在感……それらを統合して考えれば、調べなくても正体が分かった。分かってしまって、思わず足がすくんでしまうのだった。黄金の鎧も、大勢の部下もいないに等しい……俺はただ、威嚇程度に剣を構える事しかできていなかった。
「何故ここに居るのだ、ジグルド……ジィィクフリィートォォォォヅヅヅッッヅヅ!!!」
直後、爆風が巻き起こる。砂が目に入ろうが、部下の数人が悲鳴を上げようが、俺は地眼でそれを睨みつけていた……だが、捉えることなどできなかった。時が切り取られて無理やり進んだかのように、刹那の時さえ感じさせない速度で、英雄とその剣……そしてそれを抜いた血まみれの少年は、すでに岩の上にはいなかった。嘲笑われたような、そもそも相手にされていなかった?
俺は屈辱と共に、半壊した市街地の中で咆哮した。
絶望。それは微かな希望が、大いなる失意に突き落とされた果てに変貌したモノ。
私の抱いていた何かは、そう言った黒く汚いものに変わってしまいつつあるのであろうか。元から助けなどこないと分かっていたくせに。関わらせたくないと自分から、彼女を安全な世界に返したのに。
馬鹿だと思った。それでも、どうしても一人が嫌だった。このまま一人で死ぬのが嫌だった……この綺麗で、汚くて、それでもとっても尊いこの地上。折角出会えたのに、ようやく見いだせたのに、最後まで一人で死ぬのは、あんな何も無い天界に帰るなんて……。
――轟音。揺れる馬車。
「!?」
一気に、頭の奥がチリチリしてくる。いいやまさか、そんなことない。そんな言葉をブツブツ言ってはいるものの、私自身の直勘はそれを確信していた。――轟音。もう一度大きく馬車が揺れる……なんだ、この騒ぎは? 何故、ハンターたちはこんなにも騒いでいる?
――右方が数人やられた! なんて身のこなしだ……馬の上で、あんな芸当ができるのか⁉
――駄目だ、止められない。馬を狙え!
――狙撃部隊がやられた! クソっ……何なんだ、何なんだよ、あの赤髪の女は!
胸騒ぎは、遂に確信へと変貌する。私が持っていた何かは、先ほどまでは確かに黒ずんだものへと変わってしまっていた……どこまでも黒く、黒く、どうしようもなく醜いものになってしまっていたんだ。
蹄が響く音が少なくなり、小さくなり、そしてだんだんと近づいてきて。――バキィ! 何かが砕かれる音、もう一度砕ける音……そして差し込む、眩しいお日様の光。
風に揺らめく、赤い糸。
「『さよなら』、なんて……そんな水臭いこと言うなって」
細く、しかし強く輝くそれの持ち主。彼女はしっかりと私を掴んで、光り輝く場所へと引っ張りだしてくれた。これは二度目、彼女は二度も、私を引っ張り出してくれた! 光り輝く琥珀の目、深く色めく赤い長髪……太陽に照らされ、元気いっぱいの白い肌! 彼女の名前は、彼女の、名前は。
「ヒスイ……!!」
「おうっ! 呼ばれてないけど、私が来たぁ!」
引っ張られ、そのまま私は馬の背に乗る。「掴まって!」ヒスイの声に応じ、私は細い腰に抱き着いた。同時に方向転換が行われ、驚く速度で馬車から逃げていく!
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「泣くのはやーい! ってか泣くな! それよりモア、あんた頼りで申し訳ないけど……『奇跡』って使える!? 後ろから、とんでもないゴリラ野郎が走ってきてる!」
さっと顔を上げ、鼻水を啜って後ろを見る。揺れる視界には、確かに走り迫るハンターがいた。背には禍々しい戦斧、そのほかは全て丸腰の……駄目だ、追いつかれる――!
「――飛んで!」
抱き着くヒスイの意図、振るわれる戦斧のスピード! ギリギリではあったが私は、羽ばたき、空へと舞い上がる! ヒスイを乗せた状態では長く跳べず、制御も上手くいかなかった。――しかしヒスイは、彼女は私が思うほど臆病な人間ではなかった!
「逃げてモア! あとは私が……全部何とかする!」
「えっちょ……ヒスイ!」
私を軽く踏み台にしたためか、私の体は遠くへと吹っ飛ばされ、ヒスイは隕石の如く地上へと突っ込んでいく! 悪趣味な『竜骸』の斧と、ヒスイの槍先が正面から衝突した! 余は、衝撃……それらによる風圧により、私はさらに遠くへ飛ばされて行ってしまう!
「ヒスイ――!」
為すすべなく、私は吹き飛ばされていく。さらにやって来る風圧や衝撃波は……あの二人の戦闘のすさまじさ、桁外れさを象徴するモノであった。私はそんな戦いの勝者が、どうか彼女であってほしい事を願うしかなかった。――天使のくせに、自分の願いは叶えられないことが、何とも歯痒かった。