第五話「殿」
『バルムンク王国』には、ハンターの本拠地が存在する。そこでは屈強なハンターが各地から集められ、『竜骸』の被害が多い国に派遣されたり、『災骸竜』の目撃情報があった場所に派遣される。
今回の出撃の目的……表面上は『契約が済んだ天使の護送及び処分』とされてはいるが、実際の所は違った。何故なら面子が違ったのだ、今回は。天使が拘束されている馬車を中心に、周辺には屈強なハンターの面々が並んでいた。
その中でも、私が身震いしているのは目の前の男だった。
昂った獅子のように逆立った白髪。岩のようにごつごつした表情、それに刻まれた皺には貫禄がある……鎧を何一つ身に着けず、ボロ雑巾のようなズボンを奪ってしまえば裸になってしまう。野生の化身と言っても過言ではない……正確には、暴力の化身と言った方が正しいかもしれないが。
「なぁにが悲しくて、俺が護送なんて……なぁ『竜骸』はどこだよ『竜骸』はよォ。話がちげぇじゃねぇかよ、おい。俺は『アギ・アガリウス』がいるって聞いたから来たんだ……だがどうだ、雑魚すらいねぇ」
先程から、こんな事しか言っていない。殺すだの、戦わせろだの……ハンターは大体気性が荒い物だと学習してはいるが、その中でもダントツの狂戦士ぶりだ。並の『竜骸』なら素手で殺すと言い出すかもしれない……まぁ、あの大戦斧を見せびらかせられるよりはマシだが。やれやれ、あんなものを作るから人間は恐ろしい……。
(……全然、怖くなかったなぁ)
無理矢理にでも、仲直りぐらいはしておけばよかったなぁ。そう思いながら、私は膝を抱え込み、そこに頭をうずめ込んだ。私を殺す『竜骸』はまだ、やってきていないようだ。できれば早く来てほしかった、期待してしまうのだ……彼女が私を追いかけて、助けに来てくれることを。――期待と恐怖だけが、比例して倍増していくのだ。
フードで顔を隠し、なるべく情報が回るのを避ける。壁に穴を開けて入る手段を取ったのだ、素顔を晒した状態で街中を歩きまわっていれば、あっという間に捕まってしまう。例え隠したとしても、大胆でリスクのある手段だという事には変わらない……やるなら短期決戦で、隠密行動。最短かつ最良の選択を繰り返し、モアを救出し、脱出する。
(でもよぉヒスイ、お前はモアって天使がどこに閉じ込められているのか知らないんだろ?)
(声が大きい! ってかあんた、まさか知らないとか言わないよね!?)
(知るわけねェだろ! 俺だって、たった二年でこんだけ変わってるとは思ってなかった! くそっ、お前のせいで本来の目的も……ええいクソっ!)
非常に困った、思わず深いため息が出る。そりゃあ見ず知らずの変人をアテにした私も悪いのだが、それにしたって八方塞がり過ぎる。一軒一軒しらみつぶしに探すことなど不可能……突撃するにしても、一回で確実に決めなければいけない。
(ってか、そもそもハンター共はモアを殺すために探してたんだろ? 何故だか知らねぇけど必ず『竜骸』に殺させるらしいし……)
それ言えよ! と、すんでのところで声を押さえた。危うく町のど真ん中で大目立ちするところだった……もしそうなってしまえば、『職務質問からのおまわりさん色々バレた逮捕即死コンボ』がぶちかまされるところだった……いや、なんだそれ、ふざけてんのか私。
とにかく、『竜骸』に殺させるのであれば話は大きく変わってくる。『竜骸』を使った処刑を、民間人がいるこの場でやるはずがない。となれば答えは一つ……壁の外に天使を処分するための施設があるはずだ。――視線に、気づく。
「……ジーク」
「どうする? 俺はもうそれしかないと思うけっ……」
「――掴まって!」
足に力を籠め、勢いよく飛ぶ! ジークを抱えているからか、思っていたよりも低い位置に着地する。足を痛めなかっただけましかもしれないが、すぐに走り出さなければいけなかった。後ろを見ると、追手が二人ほどいた。
(どっちも短刀……しかも手練れと見た!)
二対一に自信が無い訳ではないが、ジークを抱えたまま戦うのは不可能だ。だがジークを手放すわけにはいかない、投げ飛ばした瞬間刺される。――では、どうする?
「……ジーク、君ってたかいたかーいって好き? オッケー好きだねたかいたかーい!」
「状況を説明しろ……おい待てふざけんなクソこの赤毛のクソざりゃあああああああああッッッヅヅっっ!??!??!」
軽く数十メートルは宙を舞ったジーク。しっかりと屋根の上に乗っ蹴る事ができた……彼の怒りは後でしっかりと受ける、さぁこれでいよいよ速さが重要になって来た! 懐に潜り込んだと言わんばかりに飛び込んでくる短刀合計四本……私はつま先に地価を籠め、勢いよく飛ぶ!
「良い動き! でも……遅いっ!」
空中で身を捻り、自分を軸にして槍をぶん回す。槍先にしっかりと手ごたえを感じ、着地と同時に行動不能を確認する。とどめを刺す必要はないだろう、片方は足をやられ、もう片方は両足に深い傷を負ったのだろう……どちらも出血が止まらず、戦意を失っていた。
「屋根から行くよ! 地上からじゃ、野次馬でまともに歩けない!」
「テメェみたいな女だけには惚れねぇって決めた! あと待てテメェぶん殴ってやる!」
自分で走ってくれるのであれば大いに助かる。槍先の血を払い、来た道を戻るように走り始める。屋根の上にまで追っては来ておらず、追跡も無さそうだった……難なく私たちは壁の穴へと辿り着いた。
「はぁ……はぁ」
「何してんの! 早くしないと……」
「――ヒスイ、危ない!」
突き飛ばされ、壁の外に出る。何をするんだ! そう言おうとした直後……私の全身を爆風が覆い、過ぎ去っていった。――剣による風圧だった。分かる、ジグルドが、こんなバカげた力を持っていたから。そしてそれは、桁違いの手練れの襲来を意味していた。
「――舐められたものだな」
煙が晴れ、それの全貌が見える。
全身鎧、しかも黄金で作り上げられていた……髪の色も、剣の色も金。成金趣味を極めたそいつは、血反吐を吐くジークを踏みつけにしていた。
「貴様が、ヒスイだな?」
「その足を、どけろっ……ッッ!」
言い終わる前に跳び、槍先を鳩尾に叩き込む。こいつ、反応出来てはいたが、完全な防御とはならなかった……引きつれていたハンター数人を巻き込み、それは市街地へと吹っ飛んでいった。
「ジーク!」
「大丈夫だ、それより馬を……」
ジークは言いかけた所で、自分の後ろを見て、私は舌打ちをした。使い手の実力に加え、祝福を受けた黄金の鎧の完全武装。不意打ちに近い攻撃だとしても、致命傷になるはずが無かった。――八方が、塞がれ始めていた。本気で戦えば切り抜けられない事は無い、だが確実にモアは見失うだろう。もうじき雨が降る、雨が降れば、足跡やら馬車の跡などが消え去ってしまう。かといって手を抜いて勝てるわけでもない。
(どうする……!?)
脳味噌が焼き切れるのが先か、現状に詰むのが先か……そんなギリギリの状況の中、私は決断を強いられていた。決断しなければ両方失う、だが、どちらも切り捨てるには余りにも大きかった。――そんな中、ジークの瞳には強く煌めく物があった。
「……ヒスイ、ここは任せろ」
「はぁ!? あんた何言って……。私より弱いくせに殿を任せられると思う!? それにあんた、丸腰であんなのと戦える自信あるわけ!?」
「考えがある! ピンポイントで雷が落ちてくるぐらいの運ゲーだけどな! どの道、俺はまだここでやる事がある! お前と一緒に逃げるっつー選択肢はねぇんだよ!」
ジークの足も、声も震えている。恐れが体の芯から染み出し、容易く感じ取れるほどに溢れ出ていた。例え剣を握ったとしても、まともな太刀筋だとは到底思えない。だが、彼の目だけは、目だけは……相手を睨みつけていた。
「……」
馬鹿馬鹿しいし、見殺しにするのと同義である。こんな事をしてはいけない、元々関係なかった人間に、こんな役目を負わせるのは鬼畜の所業だ。それでも、彼の目だけが私の決意を確固たるものへと仕立て上げていく。
「……ジーク」
だから、私は踵を返した。敵に背を向け、走り、縛り付けておいた馬へと飛び乗る! 馬は荒れ狂い、暴れ回り、とんでもない速度で走り出した。私はあえて振り返らなかった、振り返らず、己の不甲斐なさを噛みしめた。同時に、愚かで勇敢な彼に、最大の謝罪と感謝を示した。
神様、どうか今だけ雨を降らせないでください。
神様、どうか彼が死にませんように。
欲張りかもしれないけど、どうにかお願いを聞いてください。
(モア、ジーク……!)
縋り、祈るように手綱を握りしめる。馬はただひたすらに鳴き声を振りまきながら、私を乗せて走り続けていた。――祈り虚しく、雲行きは怪しくなる一方だった。