第二話「自己紹介」
村長をはじめとする野次馬の視線がいくつも突き刺さる。正確には、隣にいる天使様に。
どうしてこうなったのだろうかと思考を巡らしても、やはり支離滅裂だった。やばい『竜骸』がやって来たと思ったから倒そうとして、勘違いで……そこを天使に助けられて。いやいや、何処から突っ込めばいいのか見当もつかない。
(ねぇ、ちょっと)
「何ですか?」
「あんまり翼広げないでもらえるかな、目立つと大変だし……」
言ってから、頭の中の父親が「これが命の恩人に対する態度か!」と拳骨をくらわしてきた。荒々しいくせに、礼儀作法には無駄に厳しかった……中途半端に教えられたままだから、本当に……。
「仕舞いましょうか?」
「へっ?」
「だから、翼を。必要ならこの光輪も仕舞いましょうかー? って言ったんです」
彼女は自分の翼、そして頭上に浮いている光輪を指差した。話が頭に入っていなかったのだろうか? 疲れているのだろうか、最近はよく眠っていると思っていたのだが……ってあれ、ちょっと待て。
「翼を、しまう? その輪っかも?」
「はい、天使の翼と光輪は出し入れができるんですよ。知らないんですか?」
「天使の一般常識を人間の一般常識と混ぜるんじゃありません! そもそもなんでこんなところに……いやそれは後で聞こうか。とりあえず、仕舞ってくれる?」
「はい」
「うわぁ……非現実だなぁ」
何というか、こう……体の中に溶けていく。いや、沈んでいったと言った方が正しいのだろうか? とにかくものすごい勢いと、物凄い違和感を持ったまま、翼は背中に消えていった。
しかし、それでも綺麗な女の子だなぁと思う。天使に不細工とかそういう概念があるのかどうかは分からないが、それにしても綺麗だと思った。光り輝く絹束のような髪、静けさのある顔立ち、高い鼻、華奢な体に長い手足。時々見える青色の瞳が、とにかく深い輝きを放っていた。
「天使がそんなに珍しいですか?」
「あっ、ごめん。ジロジロ見ちゃってた?」
「いいえ、慣れているので。お気になさらず」
見た目通り、イメージがそのまま正確に表れている。何となく静かで、静かすぎて逆に感情が無いみたいで、どこか遠くを見ているような……そう、それは、まるで――。
(そういう所は、イメージ通りなんだね)
そんな事を考えているうちに、自分の家の前に辿りついた。そう言えば人をもてなすような用意なんて出来てないし、そもそももてなす人もいない事に気づいた。まぁ今更考えても仕方なく、「ここ、私の家」と言うしかなかった。すると何故だろうか、天使は家に物凄く近づいて、次に物凄く離れて、全体を舐め回すように見つめた。天使の考えている事は、全く分からない。
「女の子の家とは思えませんね」
「はぁ?」
何を言い出すかと思えば……文句を言ってやろうとしたが、奴はドアノブに手を伸ばしていた。鍵をかけていなかったため、あっさり家の中に入られてしまう。いや元から入ってもらうつもりではあったのだが、うーん何だろうこの感じ。
「……意外ときれい好きなんですね」
「意外ってなんだ意外って。あのねぇ……いつ帰って来るか分かんないのに、汚くしておくのは良くないでしょうが」
「帰って来るって、誰がですか?」
口が滑った。舌打ちをしたくなるが、どんどん無垢なまなざしが近づいてくる。私は思わず、目を逸らした。「死んでも目の前の良き者から目を逸らすな」と、頭の中の父親が激怒している。うるせぇ、誰のせいで気が抜けてると……。
「……お父さん、かな」
うん。自分に言い聞かせるように、そして天使に言った。でも、青色の瞳はまだ逸らされない……ずっと私の心を見透かすように、微動だにせずそこに在った。
「……自己紹介、まだだったね。私は、ヒスイ」
「――ヒスイ」
声が聞こえて、温かくなって……ちょっと、優しい気持ちになった。抱きしめ、られた? 抵抗する気力も抜け落ちる程、優しくそして強く。気づかなかった、いいや、認識できていなかった? それよりも反応できなかった、気が抜けているぞ、ジークフリート……さっさと、振り払わなければ……。
「会ったばかりの私には、ヒスイのことがよくわからない。だから、取りあえず抱きしめとく」
「……」
うん。そう言って、私はしばらく背中をさすってもらった。長い時間が経った気がする、ふとした瞬間に温かさはほどかれていって、そこに残っていた頼りない自分が、ふらふらと立っているだけだった。
「ありがとう」
自然と、その言葉がこぼれ出た。「どういたしまして」と、波が立たない表情で言われた。
そうしてほしかったんだろう、きっと。誰かにそれをしてほしかった……もう帰ってこないであろう父親に求めていたことを、別の誰かにしてほしかったのだろう。
「貴方の名前、まだ聞いてなかったね。なんて言うの?」
「そうですね……」
それは、私から初めて目を逸らし、窓から差し込んでくる陽光に数秒、目をやってから。
「……モア」
自らを指差し、こう言った。
「モア・クリオシタス」
それはまるで、たった今決めたような……なんとなく、思い付きから発せられたような言葉に感じた。