未解決な案件
欺瞞のお香。煙獄楽園が長い間それを使って他国を騙し続け、スパイ活動に役立てていた。欺瞞のお香の臭いを嗅がせる事で、人を騙して家族にだってなる事が出来たのだ。
ここにいるミア以外の者は全員がそれを知っていた様だけれど、それにも理由はあった。
「天翼会がフォーレリーナとこいつから聞き出したんだよ。他にも潜入している奴がいるかってさ。それでオレ達も知ったんだ」
ルーサがこいつと言って前に出したのはニリンだ。確かに彼女も元々は煙獄楽園のスパイで、しかも家族ぐるみ。ミアは記憶を失ったから聞いた話でしか知らないけれど、全くスパイだとは分からない程にチェラズスフロウレスに溶け込んでいたようだ。
しかし、ミアはその話が本当かどうか疑わしい気持ちになる。何故なら、前に出されたニリンはミアと目が合うと照れたようなしぐさを見せ、誰でも分かりやすいくらいに感情が表に出ていた。
(ううむ……。どう見てもスパイするには向いてないのじゃ)
などとミアが考えているとニリンは引っ込められ、ルーサが言葉を続ける。
「二人の情報を元にして、お香から発生している成分を検知して分解する魔道具をジェンティーレ先生が作ったんだ」
「丁度ミアやわたくし達が国に帰っている頃に全てが終わっていたので、ミアが知らなくても当然の事なのです」
「なるほどのう」
確かにそのタイミングであれば納得がいく。丁度あの頃は記憶を失ってから直ぐで、ミアとしては記憶を失ったと言うよりも転生直後の気分。前世の記憶があるのにも関わらず、右も左も自分の事さえも分からない記憶喪失の中途半端な状態だった。周囲に馴染むのに必死だったし、その為によく分からないこの世界のいざこざとかを考えている余裕なんて無かった。まあ、そんな事言いながらも、ちゃっかり錬金術を習ってエナジードリンク的な物を作って、失敗の末に吐いたりしていたわけだけども。
しかし、余裕が無かったのも事実。ミアは説明を聞くと納得して頷き、ついでに疑問が浮かんだ。
「と言うと、その欺瞞のお香とやらが既に解決しておるなら、今ここでラーンがワシ等にお香を使っても意味が無いのじゃ?」
「あら。私が貴女達に使うと思ったの?」
「そりゃそうじゃろう。今は絶好のチャンスではないか」
「そんな事は無いわよお。さっきルーサが言っていたでしょう? ジェンティーレ先生が成分を検知して分解する魔道具を作ったって。それにはお香の場所を突き止める機能も付いていたのよ。そんな危険な物があるのに、お香なんて持っていたら見つかって捕まってしまうじゃない」
「ふむ。そうなのじゃ?」
「そうだな。ラーンの言う通りだな。って、一応見せてやるよ」
持ち歩いていたらしい。ルーサはミアの疑問に答えると、魔道具と取り出してミアに見せた。
「ピンボールみたいにちっこいのじゃ。しかし、そうなると煙獄楽園のスパイは全員捕まったんじゃのう」
「いや。実はそう言うわけでも無いんだよ」
「む? 解決したわけでは無いのじゃ?」
欺瞞のお香の効力を無効化出来るなら問題は解決と言うわけでは無いようで、ミアは首を傾げた。すると、それにはネモフィラが答える。
「フォーレリーナの様に個人で潜入していた者はお香を使っていたので捕まえる事が出来ましたが、ニリンの様に家族で潜入している者はお香を使っていないそうなのです」
「そうなのじゃ?」
ネモフィラの言葉を確かめるようにニリンに視線を向けると、今度は照れずにニリンも真面目な顔で頷いた。
「はい。私のように家族でスパイをしていた者は、そもそもお香を使う必要も無かったので、その国の国民として生活していました。爵位も百年以上も前の先祖が自ら手に入れたものです」
「本当に厄介な国だぜ。煙獄楽園ってとこはよ。諜報員の存在を外部に漏らさない為に、誰が何処で諜報活動しているかは神王以外知らないんだとよ。知っていたとしても事件を起こす時に関わった奴だけだ」
「なぬ!? ……しかし、それなら納得なのじゃ」
ニリンの言葉にルーサが補足を加えて、ミアも納得した。
スパイの情報を漏らさない為に、誰がスパイかを知るのは神王だけ。それならば、家族でスパイ活動をしていてお香を使っていない者たちは分かる筈が無いのだ。神王は今、ここにいるラーンに封印されてしまったのだから。
(まさかこ奴……)
ミアは口封じの為に神王を封印したのではと、ラーンに疑いの目を向ける。しかし、ラーンは相変わらずの演技染みた笑みを浮かべるだけだった。
◇◇◇
「またいつでもいらっしゃい。聖女様」
「むう。気が向けばのう」
寮の玄関の前でミアたちを見送ると、ラーンは寝室へと戻って行った。誰もいなくなった寝室は相変わらずの殺風景で、窓辺に飾られたカトレアの花だけが綺麗に咲いている。
カトレアの花に視線を移し、直ぐに机へと歩き出す。
「パパ……」
片手で胸元に手を当てて呟き、もう片方の手で引き出しを開けた。そして、そこに入っている物を見て、哀愁を思わせる笑みを浮かべて告げる。
「もう直ぐだからね」




