第三話 ガルガレオスの生活 その1「アイアンローズ」
ムテ騎士団のおもちゃにされて二日目の朝、タナカは要塞ガルガレオスの牢屋で目覚める。彼に用意された寝床がそこだからだ。
深夜に潜入して捕まり、珍妙な拷問を受けた後、早朝から戦場に連れまわされて、昼まで後片付けをし、それからトカリルナ王国で迷惑行為に付き合わされた。
つまり、アストリアに殴られて気絶していた時間を除けば、碌に寝ていなかったのである。
そのため、昨日は持ち部屋である牢屋に案内された後、すぐに彼は眠ってしまった。
そして今、仄暗い牢屋の中だと今がどのくらいの時刻なのかわからない上に、閉じ込められているので、ぼんやりとこれから何をすべきかを考え始めた。
5分ぐらい経った頃、目の前で一瞬何かが通り過ぎるのが見えた。そしてそれはまた一瞬で戻って来た。バーベラである。
「タナカ、起きてたのかい。結構早いけど」
「そうなのか? かなり寝たつもりだったが、まあ早めに寝たおかげか」
「それとも暗殺者の習慣か」
バーベラの言葉にタナカは一瞬刺されたような気分になったが、慌てずに言葉を返した。
「あんたこそ、足だけじゃなく朝も早いんだな」
「ははは。いや、昨日から寝てない。忙しくてね。
それよりも、起きたなら働いてもらうよ」
バーベラが牢の鍵を開けた。
「働くって何を? 朝飯でも作らせる気か?」
「まさか。暗殺者に飲食物を触らせるわけないだろう。
それはマァチの担当なんだ。彼女の料理はまさに魔法の味」
「じゃあ掃除?」
「掃除は僕の仕事」
バーベラが一瞬の内に消え、また再度戻って来た時には彼女の手には雑巾が握られ、周りがピカピカと輝いていた。
「一瞬で終わるから、君がもたついて洗ってる様を見てるとイライラすると思う。
やらせるとしたら僕の留守の時ぐらいか」
「薪割りとかは?」
「力仕事はアストリア全般」
今度は高速でアストリアをこの場に連れてくる。その手には長さ50センチ直径30センチ程の丸太が握られている。
「いいか!! これを!こうだ!!!!」
アストリアは紙を引き裂くかのように、軽々と丸太を両手で引き裂いて、真っ二つにした。
「ありがとうアストリア」
バーベラはアストリアを高速で元の場所に帰す。
「ちなみにローナは見張り役。幽霊だから眠らなくていいし、どこにでも行けるから、一晩中この城を監視しているのさ」
「おかげで俺は捕まったよ。そうなると他は洗濯とか?」」
「洗濯!? この変質者! どうせ僕らのパンツをしゃぶったり被ったり嗅いだりしゃぶったりする気だろ!」
「しねーよ! そういう発想ができるお前の方が変質者だわ!」
「ああ。おかげで僕には洗濯もの当番が回ってこないんだ」
「オイ」
バーベラは割と真剣な表情で、洗濯させてもらえないことに頭を抱えた。
「ともかく、当番制の洗濯もなしとなるといよいよ仕事がないな。でもこいつにプー太郎生活させるのは癪に触るし。
あ、あれがあったか。いや、でも団長が許可するかな」
「何だよそれは」
「後で話すよ。とりあえず朝食にしよう。そろそろ出来上がる頃だし」
バーベラがついてこいとジェスチャーする。
「いいのか? てっきり牢屋の中で貧相な飯を出されるだけだと思ってたんだが」
「団長の命令なんだ。食事の時は君も食卓に招くとね」
「そうか。それならいっそ仕事の指示もしてくれりゃいいのに」
「同感だね」
案内された食卓は、最上階より一つ下にある、日のあたりのいい大部屋だった。そこに円卓が一つあり、デーツ、ローナ、アストリアが座って待っていた。
「やあ、おはようみんな」
「おはよう」
「私はさっき会った!」
「ん? あ、おはよう」
デーツは昨日押収した帳簿を読んでいて、返事が遅れた。
そしてタナカは自分も挨拶すべきかと一瞬悩んだが、明るく挨拶をする仲どころか、悪態でもつきたい連中なので、軽い会釈で誤魔化した。
「面白いものでも見つかったか?」
「んー? どうだかな」
デーツは帳簿とタナカの顔を交互に見た。
「とりあえずすぐに食事が来るだろうし座ってくれ。
あ、タナカ、お前は別に席が用意してある」
「この円卓に座れないのはわかっていたが、まさかあれが席じゃないだろうな」
タナカは円卓の側にある白い陶器のオブジェを指差した。
オブジェの形は楕円形の席と太めの四角い背もたれがついた椅子の形をしており、席の中央には大きな窪みがあって、その窪みに合わせた開閉式のカバーがついている。さらにその窪みの中には水が溜まっている。
わかりやすく二文字で説明すればそれは“便器”であった。
「あれがお前のために用意した特別席だ。その名もトイ・レットー」
「食べるための形に見えないのだが?」
「何を言うか。あの溜まってる水は飲み水だぞ。喉乾いたらあそこからすくって飲め」
「なんでそんな余計な仕様を」
その時チーンという音が部屋に響く。そして柱の壁が左右両方にスライドして開き、そこからマァチが食事を乗せたワゴンを押して出てきた。
「どこから出てきた?!」
「魔法道具エレベーター。この柱の一帯は上下で移動できる」
マァチはタナカの質問に答えながら円卓に食事を運ぶ。
メニューは目玉焼きと厚めに切ったハムを乗せたパン、サワークリームで味付けしたマッシュポテト、角切りにしたアロエを混ぜたヨーグルト、飲み物には牛乳。
対してタナカに与えられたのは硬いパン一切れのみ。
みなが豪華な朝食を食べる中、タナカはトイ・レットーの水にパンを突っ込んでふやかして食べる。そしてタナカはあることに気づいた。
「デーツ、俺を食卓に招いたのって、惨めな思いをさせるためなんだろ」
「よくぞ気づいた。結構賢いな」
「私より賢いかもな!!!!」
「わかったわかったよ。お前らの望む通りに食事してやるよ!」
タナカはカバーをあげて、顔を水に突っ込んで啜り上げた。そのあまりの豪快さにみな拍手を送ったが、マァチだけはツボに入ったのか、円卓を叩く程の大爆笑をしていた。
「そうそう団長。今朝タナカと話したんだけど、こいつできる仕事がないみたいなんだ」
「人を無能みたいに言うな」
「だから、庭の手入れとかはどうかなって思って」
その言葉にデーツの手が止まった。
「我のアイアンローズを? こいつに?」
「嫌ならいいんだ。ただこの前、庭いじりがキツくなってきたとか言ってたから」
デーツはしばらく黙ると、一気に朝食を全てかきこんだ。
「よし、いいだろう。タナカ、今から案内する。
他の者は片付けたらあとは自由にしてくれ」
デーツが部屋を出て行くので慌ててタナカは追いかけた。そして、追いついた先にあったのは中庭で、そこには一面の白い薔薇が咲いていた。
「これが我が自慢の庭だ」
「全部同じ花か?」
「ああ、アイアンローズ。我のお気に入りの花だ」
花が趣味だとは、今までの荒々しい態度と打って変わって繊細な一面があることにタナカは驚いた。そして、その自慢の薔薇とやらに触れてみる。
アイアンなどと大層な名前の割に、見た目は普通の白い薔薇。しかし、その芳しい香りに彼は夢中で嗅いでいた。
「女性の隣で鼻をくんくんさせるな変質者め」
「花の匂いを嗅いでんだよ」
「だからってそんな夢中で嗅ぐか?」
「いや、なんかどっかで嗅いだような懐かしい匂いだと思って。
まあ薔薇なんてどこにでもあるもんだけどさ」
その時、タナカは至近距離で自分の横顔をいぶかしんだ表情で見つめるデーツの視線に気づく。
「うわ!? 顔近っ! え? なに?! なんか顔についてる?」
「いーや何も。それより仕事だ仕事」
デーツは薔薇の生えている地面を触った。
「お前も触ってみろ。薔薇で大事なのは水やりだ。乾燥させてもダメだし、湿り過ぎてもいかん。今回の場合は乾燥気味だからこの一帯には水をやる」
「この一帯っていうと?」
「そこの地面が途切れて通路になってるところまでだ。
あと、反対側の一帯ももう一度地面を触ってから水やりするかを決める。同じ環境でも日当たりによって湿気が僅かに変わってくるからな」
その後色々と手解きを受け、デーツの指示通りにタナカは水をやり、雑草を抜き、病気になってる葉がないかと一枚一枚調べ上げた。すると、一枚だけ黄色く変色した葉っぱを見つけた。
「こういうのは枝ごと刈り取ってくれ」
「じゃあハサミかなんかくれないか」
「すまんが、ハサミは向こうの戸棚に置いてきてしまった」
「じゃあ、取りに行ってくる」
「今あるものを使え」
「今あるもの? ジョウロとシャベルでか?」
「違う。あの手からビョーンて出てくるやつ」
「手凶穿のことか?」
「そうそうそれそれ、“我が里に古くから伝わる、人体改造術の一つ手凶穿”」
「なんでそのフレーズはしっかり覚えてるんだよ。ていうかこれ出すの結構痛いんだよな」
「でも見たいんだよな。”我が里に古くから伝わる、人体改造術の一つ手凶穿”を我だけ生で見てないし」
「そんな期待されても。ていうかそれが正式名称じゃねえから」
”我が里に古くから伝わる、人体改造術の一つ手凶穿”は文字通り暗殺者の奥の手なので、こんな雑用に使いたくなかったタナカだが、”我が里に古くから伝わる、人体改造術の一つ手凶穿”にデーツが何やら変に期待していたので、”我が里に古くから伝わる、人体改造術の一つ手凶穿”を渋々出して枝を切った。
「期待しといてなんだが、なんか普通」
「期待してる方がおかしいんだ」