第三話 ガルガレオスの生活 その4「カマキリウサギ」
さて、一方大事なことを聞かされていなかったタナカは、黙々と壁の手入れを進めていた。
「ふう、いつになったら終わるんだこれ?」
作業開始から2時間。どれだけ頑張ろうと、せいぜい自分の背の高さぐらいの場所しか届かず、しかも想像以上に蔦が固かったため、全体の10分の1にも満たない範囲しか掃除できていない。
そんな途方もなさに暮れていると、彼のお腹が鳴った。
「腹減ったな。自生したもん食えって言われても、そう簡単なことじゃないぞ」
彼は森に踏み入ってみる。5分ぐらい歩くと赤い果実のなる木を発見した。
「めっちゃ簡単だった」
タナカは持ち前の俊敏さで、軽々と木に登り果実をもぎとってかじりつく。
「うん、うまい」
タナカがかじったその実は、手の平サイズの大きさで、木苺のような食感と味をしていた。彼は初めてこの実を食べたが、味が気に入ったようで、もう一つ手を出す。
「まあ、これが食い放題なら儲けもんか」
この数日間、嫌な出来事が続く中でようやく訪れた癒しの時間を、彼は心から味わうのであった。しかし、悲しいことにその時間も長くは続かない。
おかわりを食べ終わる頃、木々や葉を揺らす風の音がわずかに勢いを増したのを、タナカは聞き逃さなかった。
それは風が吹いたにしてはあまりにも荒々しく、そして規則性のない音だったために、彼の暗殺者の勘がその正体を見破った。
「この森、モンスターが出るのか」
木の上に隠れてやり過ごそうと、タナカは木を上り始めるが、モンスター達の移動速度は彼が考えていたよりも早く、足を枝の上にかけた瞬間にはもう既に、奴らは到着していた。
「マジか、もう来た」
タナカはできるだけ息を潜め、上からモンスターの様子を伺う。
モンスターの姿は珍妙で、耳が長く、赤い目と口から飛び出た前歯がギラリと光っており、真っ白な体毛をしているのでまるでウサギのようであった。
しかし相違もいくつかある。まず大きさだが、大体2メートル程の巨体で、二足歩行するその足は筋肉隆々と発達していてとても長い。
そして最大の特徴は爪だ。長くて湾曲しており、とても鋭く、そのシルエットはカマキリのようだ。
その姿から、タナカはそのモンスターをウサギカマキリ(仮)と脳内で呼称することにした。
さて、ウサギカマキリ(仮)達は、タナカが食べていた実を狙ってジャンプし、その爪で刈り取って食べ始めた。
食事が済めば帰るだろうと息を潜めていたタナカだが、ウサギカマキリ(仮)が鼻をひくつかせて何かの匂いを嗅ぎ始めたことには気づかなかった。
そして、その内の一匹が大ジャンプしてタナカが隠れたていた枝を切り取った。
枝ごと落ちるタナカだが、枝を蹴って別の木の上に飛び乗った。
「バレたか」
しかし、その木にもウサギカマキリ(仮)の魔の手が迫る。またしても枝が切られた。
間一髪でタナカは別の木に飛び乗って逃げ、また襲って来ないうちに、次の木の枝に飛び乗ってを繰り返して逃亡を図る。
だがウサギカマキリ(仮)の動きは俊敏で、タナカの身体能力を持ってしても毎回ギリギリで避けるしかなかった。
ていうか、ウサギカマキリ(仮)ってなんだ。と自分で名付けておいて疑問に思うタナカである。
さて、ようやく森を抜けてガルガレオスまでたどり着いたタナカだが、表門は閉じられているので中に入るには、城壁を登らなければならない。
だが、壁にたどり着く前にタナカは、6匹のウサギカマキリ(仮)に囲まれてしまった。
「ああ、くそ!」
逃げ切れまいと悟ったタナカは、近くに置いていた高枝切りバサミと、まだ蔦が入っていない空の樽を手に取った。
「ピョコタン!」
ウサギカマキリ(仮)の一匹が飛びかかってくる。タナカは樽を構えて、飛び込んで来た相手を樽の穴の中に入れた。
「ざまあねえぜ。てか、鳴き声が無駄にかわいいなオイ」
その隙にもう一匹が爪を振り下ろしてきたので、ハサミではさみ取る。しかし、たかが園芸用品、モンスターの爪の威力に耐えきれずに崩壊する。
だが、タナカにとってそれは予想の範囲内。素早く相手の懐に入って、両手から出した手凶穿を腹に突き刺す。
幸いにも、この攻撃は効いたのか、刺された相手は苦痛の声をあげた。
すかさず連続のパンチを繰り出すように手凶穿で何度も突き刺すタナカ。
後ろからもう一匹が襲いくる気配を感じたので、攻撃をやめて相手の股の下を潜り抜けて避ける。
そのおかげで襲いかかったきたウサギカマキリ(仮)は、先程から攻撃を受けていたウサギカマキリ(仮)の体を、うっかり切ってしまった。
だが、同士討ちぐらいで慌てふためく性質でもないようで、まだまだ攻撃が続いた。
連続での攻撃に流石のタナカにも疲労の色が見え始めた。
そしてほんの少しだけ、気を緩めたせいでタナカは、脳天に振り降ろされた鎌を避けきれなかった。
鋭く尖った爪先が髪に触れた僅かな一瞬のうちに、自分はこのまま死ぬんだとタナカは無意識に覚悟する。そしてそのまま頭を真っ二つに切り裂かれる……はずだった。
だがタナカは生きている。堀の上でいつの間にか倒れている。
どうやって一瞬で避けられたのだろうか。だが、タナカにはこの一瞬の内に動くという感覚には馴染みがあった。最も、一昨日ぐらいからの馴染みだが。
タナカの目に自分の隣に立つ人物の足が見える。そして顔を見なくとも、その馴染みの感覚で誰の足なのかがわかった。バーベラだ。彼女の瞬足で助けられたのだ。
「やれやれ。君、大した強さじゃないんだね」
彼女は呆れた顔でタナカを見る。
「あんなのが出るなんて聞いてないぞ!」
「それに関しては団長が言い忘れていてね。だから僕を用事ついでに寄越したんだ」
「あのおばさん、肝心なことを忘れるとか、マジでおばさんなんだな」
バーベラはタナカのその一言について、特に反論しなかった。
「それでなんなんだあのモンスター。初めて見るぞ」
周囲を見渡し、一瞬で消えたタナカを探すウサギカマキリ(仮)達。だがその内一匹が、匂いを辿って、真上にいるタナカ達の方を見つけ出してピョコタンと咆哮する。
「あれはこの森にだけ生息するというカマキリウサギだ」
「名前まんまだな!」
というわけでウサギカマキリ(仮)はカマキリウサギという名前で確定した。
「まあ、実際はウサギともカマキリとも違う生態の生き物らしいけど。
ちなみに今は繁殖期なので、広範囲に活動するし、常に気が立ってるしで、森に近づくべきじゃないんだ」
「ほんとあのおばさん、めっちゃ大事なこと忘れて、自生してるもん食えだなんて!」
「あ、もしかして赤い実食べた?」
「食ったけど、まずかったのか? あ、いや、味の方はよかったんだが、そういう意味のまずいじゃなくって」
「わかってるよそのぐらい。
あの実はカマキリウサギの大好物の、カマキリウサギスキーの実」
「さっきから名前がまんまだぞ!?」
「どっちも団長が名付けた。ついでに忠告しておくと、アレを勝手に食べたやつを見つけたら執拗に追いかけてくるよ」
「くそ! 名前のセンスも報連相も碌なもんじゃねえなあのおばさん!」
そんな会話をしてる間に、カマキリウサギ達は生えてる蔦に爪をかけて登り始めた。しかし、爪が鋭どいせいで蔦がどんどん切れてしまう。
タナカはこれで助かったと思うと同時に、苦労して切っていた蔦が、軽々しく切れる程の切れ味に身震いした。
やがて奴らは登る方法は諦めて、高くジャンプをし始めた。だが、それでも壁の半分にも届かない。
「流石に奴らも、ここまでは襲ってこれまい。まあ、しばらくここで大人しくしてれば、疲れ果てて帰ってくれるさ。
じゃあそろそろ僕は帰るよ。あ、いや、ピクニックの方に帰るって意味ね。だって家はここだし」
「わかってるよそんぐらい。とにかく奴らは放置でいいんだな」
「いつ帰るかはわからないけど、夜には寝床に戻るはずだから、長くて夕方までかな」
タナカは下にいるカマキリウサギを見つめた。
「どうしたんだい?」
「いや、仕事が全然終わってないなと思って」
「ふーん。別に1日で終わらせろって言われてないんだしいいんじゃない?」
だが、タナカはそれでも物憂げそうに下を見ているので、バーベラは彼女なりの助け船を出した。
「まあ、それでもやりたいのなら団長の言葉を思い出すんだね」
バーベラの言う通りに、タナカは思い出してみた。団長の言葉を。そして閃いた。
「成る程。“今ある物を使え”ってことか」
「あー、うーん、僕が言いたかったのはその言葉じゃなかったんだけど。
でもなんか思いついたんならやってみれば?」
「お、おう」
「君が死んだところで、元々命を狙ってきた相手だし、みんなむしろせいせいするから気にせず頑張りな」
「励ましてるんだか貶してるんだか。いや、お前らのことだ後者だな」
特にそのことには回答せずに、バーベラは走り去った。
「まあ、いいさ。やってやる」
タナカは蔦を辿って降りていく。カマキリウサギは獲物が近くに降りてきたことに興奮してジャンプを始める。
「まだだ、まだ遠いな」
どんどん降りて近づいていく。距離を見誤れば、たちまちあの爪に体を貫かれることは重々承知だ。
そして、一定の高さまでくると一匹がジャンプしてタナカに飛びつこうとした。奴らが届く距離まできたのだ。
タナカは横の蔦に飛び移る。これは避けるためだけが目的ではない。
「ピョコピョコタン!」
カマキリウサギが咆哮しながら爪を振るが、タナカは既に移動してしまっていたので、空振りしてしまった。そしてその代わりに蔦を切る始末。
タナカの狙いはこれだった。蔦の掃除をカマキリウサギにさせるのである。
「よし!」
小さくガッツポーズを取る間も、次から次へとカマキリウサギ達のジャンプ攻撃は止まらない。
その都度避けては、蔦刈の手伝いをさせた。
四方八方に、壁を蜘蛛のように這い回っていくタナカ。ウサギカマキリ達はなすすべなくただ彼を追いながら蔦を刈るのみ。
「おいおい、そんなもんか! こっちだこっち!」
軽口を叩いて挑発するその様は、とても余裕そうに見えるが、彼の内心は穏やかではなかった。僅かな油断が命取りであり、実際バーベラが来てくれなければ死んでいたわけで。
だが、自分はなぜこれだけのリスクを冒してまで、蔦の掃除をしているのか、タナカ当人もわかっていなかった。
サボるとデーツが怖いからか? 否、やれる範囲でいいと言われていたはずだ。
自分にだってできることがあると証明したいからか? 否、どうせ何をやってもムテ騎士団の連中は馬鹿にしてくる馬鹿どもだ。
じゃあなぜか? 疲労により体力の限界が近づくなか、どうしても彼の脳内でその疑問だけは離れない。
幸い、カマキリウサギ達も疲れ切ったのか、続々と諦めて地面に座り込み始めているため、避ける余裕はできていた。
あと少しで壁の端に届くその時、タナカは蔦を掴み損ねた。そのミスを最後の一匹となったカマキリウサギは見逃さず、彼に襲いかかった。
「ピョコタァアアン!」
「舐めんなよちくしょうがあああ!」
壁を蹴り、その勢いで両手の手凶穿をカマキリウサギの腹へと突き刺す。そして刺したまま下へと落下していく。
タナカはなんとか地面に落ち切る前に、手凶穿を抜き、相手を足蹴りしてジャンプすることで、落下の衝撃を逃れた。
これだけの高さから背中を強打すればもう動けまい。そう思いながら、疲労困憊の体で立ち上がる。しかし、予想とは裏腹にカマキリウサギは立ち上がった。
腕を構え、戦う姿勢を見せるタナカ。だが、カマキリウサギはそっぽを向いて、仲間達と共に森へと帰っていく。
「か、勝ったのか?」
大きくため息ついて足元から崩れ落ちる。周りはすっかり暗くなり、真っ赤な夕日が目の前で燃えていた。それを見た瞬間に、タナカはなんとも言えない安心感を得ていた。
ボーっと眺めていると、夕日の中に影が一つ見えた。そして大きなプロペラの音。ムテ騎士団が帰ってきたのだ。
タナカはゆっくりと歩み出し、正面玄関で彼女らが降り立つのを待った。
「ただいまー。いやーいいピクニックだったな」
ヘリから降りるデーツ達。タナカは近づいておかえりと言おうか迷ったが、先にデーツが話かける。
「仕事は終わったか?」
「ちょっとまだ道具の片付けがすんでないが、まあまあの仕上がりだと思う」
「そうか、じゃあ片付けは明日にでもするがよい」
そう言うとデーツは要塞内に入ろうとする。
「見ていかないのか?」
「お前が満足そうに答えてるから、いい加減な仕事はしてないってのは伝わった。それよりお前に見せたいものがある」
そう言ってデーツはタナカを中庭まで案内した。
そして中に入った瞬間タナカの目に飛び込んできた光景、それは月夜に照らされて光輝く一面のアイアンローズだった。
「綺麗だ……」
「これがアイアンローズと呼ばれる所以だ。月光を浴びるとまるで鋼鉄のように反射するとな。
正直もっとロマンチックな名前の方が似合いそうだが、最初に決めた奴がそう呼んだんだから仕方ない」
「少なくともあんたよりはセンスある」
「あ?」
「なんでもない」
タナカはアイアンローズの庭を散歩しながら夢心地となった。それはまるで星空の中を遊泳するかのよう。
「なんだろう、昔こんな夜空を見た気がする。こう幻想的というか、どっか別世界にいるみたいなそんな」
「アイアンローズは手入れを怠ると、すぐにこの輝きを失う。
だからこの光の一つ一つが、今日のお前の勤労の証だ」
「勤労か・・・・・今にして思えば、俺、初めて仕事ってものをしたかも」
「暗殺業は仕事じゃないのか?」
「あれは・・・・・違う。あれは違うんだ」
タナカは暗い影を落としながら言った。
「実は俺本当は……本当はさ」
その時、デーツが手を出して静止させる。
「皆まで言うな。それより飯の時間だ」
デーツはまたしても先に庭を出ていく。タナカは彼女を追いかけずに、しばらく庭を見つめていた。
薔薇が咲き誇る宇宙の中で、彼の疲労と”なぜ自分が仕事をやり遂げようと躍起したのか”という疑問が消えていく。
そして案外ここの暮らしは、思ったより悪くないんじゃないかと思い始めた。
が、そのことはすぐに撤回することになる。トイ・レットーのことを思い出したからだ。
また穴に顔を突っ込んで水を飲むタナカ。そしてそれを見てマァチは大爆笑。
「くっそー! いつかここから抜け出してやるー!」
次回へつづく。




