お母さん、僕を置いていくなんて・・そりゃないっすよ
幼いカケルは我が家の前に立っていた。西の空には暮れていく陽が照らし、カケルと家を反対の方角に長く影をのばしている。
目の前にはカケルの母エルマがいた。悲しげな瞳でカケルを見つめている。
「カケル、ごめんね。格好良く産んであげられなくて・・・・」
懺悔にも似た言葉をこぼすとエルマはポロポロと涙をこぼし始めた。
「私のせいであなたには辛い人生を歩ませることになってしまったわ」
動揺したカケルは、声を出そうとするが出すことができなかった。
母に寄り添ってそんなことはどうだっていい、お母さんは悪くない、
ただ側にいてくれる、それだけで十分なのにと、伝えたいのに身動き一つできなかった。
涙を流し続ける母親を見守っていることしかできなかった。
エルマはカケルに背を向けるとゆっくりと歩き出す。家から、カケルから遠ざかっていく。
お母さん、どこにいくの?どうして僕を置いていくの?
どうして一緒に連れて行ってくれないの?
言葉にならない想いが胸に溢れる。
動けないカケルは離れていく母に向かって心の中で悲痛な叫びをあげ続けた。
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「はぁあああっは、は」
ガバッとカケルは体を起こす。それと同時に体の節々が痛んだ。
周りと見渡すとカケルの住んでいる小屋の中だった。
目には涙を流した跡が残っている。
痛いのはオス馬達にやられたから。あれから優馬に家まで送ってもらってから、
疲労と苦痛に襲われたカケルは流されるように横になったのだ。
「母親のことを言われたからこんな夢を見たのかな」
一人だれに言うでもなくつぶやく。母がまだカケルと一緒に生活していた頃に思いを馳せる。
父親は早くに亡くしてカケルは母とこの家で暮らしていた。
エルマはカケルと同じく容姿に優れていなかったが、
どんな時も優しく接してくれたのでカケルを大切に育て愛してくれているのを感じていた。
山の斜面の側をエルマと一緒に歩いていた時に、頭上から落石が落ちてくることがあった。
エルマはためらうことなく自分の身をとして、カケルを庇うように覆いかぶさり落石から守ってくれた。
その事故のせいでエルマは右後ろ足を負傷し、歩く際に足を引きずってしまう後遺症が残った。
自分のせいで一生残る怪我を負わせてしまったことに、
子供ながらに罪の意識を持ったがそれ以上に我が身を省みずカケルを守ってくれたことが、
愛されている、と実感できてとても嬉しかった。
カケルがオス馬達にからかわれて落ち込んでいても、ただ慰めてくれた。
先程見た夢の中のように、カケルがブサイクに生まれたことを詫びることはなかったが、
母の表情には申し訳無さそうな負い目にも似たものが如実に見て取れた。
その代わりなのかはわからなかったが、
「あなたはとても優しい子。お母さんの自慢の息子よ」
とよく口にしていた。
周りから馬鹿にされ自信を失っていたカケルを勇気づけようとしてくれていたのもあったかもしれないが、その言葉以上に母がカケルに信頼を寄せてくれているのがひしひしと伝わってきていた。
慎ましくも穏やかなそんな日々がずっと続いて行くものだと信じて疑わなかったのに・・
ある日母は、カケルに何も告げることなくこの家を出ていってしまった。
いつも一緒だった母の姿がなくどこかにでかけたのだろうかと最初は考えた。
エルマは後ろ右足が悪く、いつも少し引きずるようにゆっくりと歩いていたのでそう遠くへ出かけないだろうと思っていたが、夜になっても朝を迎えても、母は帰ってくることはなかった。
不安とともに一日、3日、一週間と時間がすぎると共に母は家を出ていったのだ、と残酷な事実を受け入れたのだ。
どうして?なぜ?
とカケルは孤独と恐怖、不安を抱えたまま考えを巡らせたが、考えられる可能性は・・
こんな醜く良い所が一つもない息子との生活が嫌になって出ていったのか、それとも息子に辛い人生を歩ませることに罪悪感を持ち耐えられなくなって出ていったのか。
おそらく後者。今でもカケルは信頼してくれた母のことを信じている。
カケルに懺悔することはあっても見限るようなことはしないと思えた。
あるいは他にもカケルにはわからず言えない、息子を置いて出ていかなければいけない事情があったのかもしれない、きっと。寂しさに打ちのめされそうになる度、カケルはそう己に言い聞かせ納得しようとしていた。