クロス・クロイツ①
我が名はクロス・クロイツ。
異世界転生者である。
1年前、地球から転生した。
かつての名前は黒須 大黒。
この姓は黒々とした髭を意味する。
そして名は大いなる黒…我は生まれながらにして黒の宿命を背負っていた。
そして俺は、数に愛されていた。
数を操るのを好み、幾何学に魅了された。
幼い頃からクレヨンを持てば図形を描き、呼吸をするように年齢に不相応な四則演算を解いたそうだ。
それは中学になっても変わらなかった。
いいや、それどころか我の数への興味は加速していった。
中学2年にして日本ジュニア数学オリンピック出場を果たし、高3のときに国際数学オリンピックで金メダルを取った。そして大学は京大理学科で、数学を極めているところだった。
あの日も学びに刻を費やしていた。かつて不可能と言われ、現代になってから証明された最高の定理の解説書を片手に、自分で証明の再現を図っていたのだ。
一週間以上かかりやっと半分程度まで進み、一定の達成感とこの先の展開への期待感が生まれたところで、一度栄養補給のため学外でハンバーガーを食べた。(余談だがあの店の商品は白銀比で作られており外見でも我を楽しませてくれる。)
脳に十分な栄養分を得たのち、大学に戻る途中、百万遍交差点に大型バスが突っ込んできた。
その時の衝撃で異世界に飛ばされたらしい。
その時は、状況を理解するまで192分もかかってしまった。
いや、理解という意味ではまだその域に達してはいないと言える。
今はまだこの現象を数学的、あるいは理学的に説明することはできないが、いつか解明してみせよう。
さて、話を先に進めよう。
飛ばされた先はかなり文明が未発達なところだった。
住人は全員が野蛮人。なぜか言葉は通じたが、まともな意思疎通はできなかった。
当然、日本円が通用せず、食を得ることもできない。
なんとか相手のレベルに合わせて会話を成立させ、俺のように身寄りも金もない者は冒険者になるしかないと知った。
それからは冒険者生活だ。
クロス・クロイツという名はその時に付けた。
我にふさわしい良い名であろう?
幸い、いや、運命と言うべきだろう。
俺のジョブはマジックガンナーという上級職だった。
空中に指で特定の紋様を書くことで様々な魔弾を放つことができる。
幾何学に魅了された俺には最適なジョブだ。
実力主義の冒険者ギルドでも異例の速さでランクアップしていき、今はもうAランクまで昇格している。
あとは機会にさえ恵まれればSランクにもなれるだろう。
Sランクになるにはギルドの依頼とは別に『英雄と呼ばれるにふさわしい功績』が必要なのだ。それは普通の冒険者生活では得られない、運に左右されるイベントが発生するかどうかである。
Aランクなんてのは俺の伝説の序章でしかない。
『英雄と呼ばれるにふさわしい功績』、それがスタート地点になる。
そこから我の伝説の本編が始まるのだ―
―なのになぜ!?
「どうしてこうなった!!」
手足が縛られている。
ロープで縛った上、手は包帯のようなもので両拳をひとまとめにされてしまっているから、魔弾を使うことができない。
目隠しもされている。周りを見ることができない。
しかし声は出せる。
だが…さっきから何度も助けを呼んでいるし、我を捕えた者に向けて要求はなんだ!?と叫んでもいるが返事はない。
つまりは何もできない状態だ。
その状態で数時間は経っただろう。
もう喉は枯れかけている。
飢餓と尿意が我を襲っている。
我を捕えた者の目的はわからないが、そろそろ何かアクションを起こしてもらわないと困る。
人質を放置していなくなるなんてことはないだろう。
「おい! いるんだろう! 交渉がしたい!」
…やはり返事がない。
まさか本当にここには誰もいないのか。
このままではまずい。
体力を失う前に何か行動を起こさないと飢え死にしてしまう。
「おおおおぉぉぉッッ!!」
――ゴロゴロゴロ…
寝転がったまま体を側転させて移動する。
数回転で壁にぶつかった。
よし。
何か刃物…でなくても机の角とかでもいい。手を縛っている包帯を切らなければ。
とにかく指さえ動くようになれば魔弾で打開できるはずだ。
壁に寄りかかり、壁づたいにずりずりと移動する。
まず当たったのは壁。次に部屋の角だ。
よし、ここを起点にして動き出すとしよう。
背を壁に当て、さらに移動すると段差があった。
後ろ手で触れてみるが、縛られているせいでよくわからない。
後頭部で触れて判断するしかない。
…扉だ。間違いなく。
頭ではドアノブを回せないし、鍵がかかっている可能性も高い。
なんにせよ手が解放されていなければ扉を開けることはできないから、もっと先へ。
「くそっ、なんで我がこんな無様な…」
ずりずりと進んで行くと、また部屋の角に行き着いた。
そう広い部屋ではないようだ。
移動を続ける。
そうして数えて五度目の角に当たった。
つまり、部屋を一周したことになる。
その間、障害になるものは何もなかった。
包帯を切るためのものが何もなかったということだ。
最悪と言っていい。
「どうしてこうなった!!」
十数分前と同じ台詞を吐き出す。
我はずっと単独で戦ってきた。
ジョブ的にはパーティを組んだ方が合理的ではあるのだが、我と同レベルの思考を持つ者がいなかったためやむを得ず独りで行動していた。
それが仇になった形だ。
我が消えたことにすぐ気付く者がいない。
ギルドだって別の街に拠点を移したのだろうくらいにしか考えないはずだ。
おそらく助けは来ない。
いつもどおりではあるが、今回も独力でこの状況を切りぬけなければならない。
しかしどうだ、何か解決の糸口でも見つかったか?
いいや、絶望しかない。
この部屋には一切の物がなく、手が使えないからスキルも使えない。
我が餓死する前に我を攫った者が現れる可能性は十分にあるが、その頃には我は衰弱しきっていることだろう。
敵の作戦勝ちだ。
もう一度言おう。
絶望しかない。
最悪だ。
くそ、どうしてこんなことに。
秘密特訓なんてしなければ良かった。
人が寄りつかない森なんて来るんじゃなかった。
ああ、くそ。
どうしようもないって言うのか。
――ガチャ。
少しくぐもった音。
この部屋の外で音が鳴った。
――キィ。
扉の開く音。
この部屋の戸だ。
「誰だ!?」




