ラインハルト・セルテン
俺の名はラインハルト・セルテン。
異世界転生者だ。
9年前、地球から転生した。
転生前の名前は頼 陽人。
珍しい名字と言われるが、小学校の同級生には3人いた。
実家は古い家で、江戸時代の歴史家の頼山陽とは遠縁の親戚だと言われて育った。
俺の名前は山陽から一字もらったらしい。
え、そんな歴史家知らないって?
大学の友達も全員そう言ったよ。
別に気にしちゃいない。
大学卒業後は中堅商社勤め。
52歳まで堅実に働いて部長になったところだった。
大手ハンバーガーチェーンで昼飯を食べた後、大型バスに轢かれて死んだ。
…ということになっていると思う。
少なくとも最後の記憶は目の前に迫る大型バスだ。
次に気が付いたときは知らない街だった。
石畳に石造りの家、明らかに外国だと思った。
しかし言葉が通じた。文字も見たことがない字なのになぜか読めた。
そこが地球じゃあないってことに気付くのにそう時間はかからなかったよ。
そして、生きていくために冒険者になった。
その時、本名を名乗ったらラインハルトで登録された。
それ以来ずっとラインハルトで通している。
しかし俺には冒険者の才能がなかった。
必死で低ランクの依頼をこなし、教会の高いジョブチェンジ代を溜めたっていうのにジョブ候補は料理人、道化師、運び屋とかで、戦闘職が一つもなかったんだ。
俺が最初から就いていたジョブ【神算鬼商】が唯一の上位職。
だったら変更しなくていいやと思うよな?
ちょっと凄そうな名前だし。
そして司祭からもらったジョブカードを見たら、最初のスキルは『計算が速くなる』だ。
戦闘系スキルは一つもなし。
一緒に頑張ってきた唯一の冒険者仲間も「商売でも始めたら?」と言って去って行った。
絶望したよ。
後ろ盾どころか、知人もいない状況で商売するなんて不可能に近い。
銀貨も使い切ったところだ。
もう1回死ねば元の世界に戻れるかなとか考え始めたくらいだ。
だが、【神算鬼商】はとんでもないチートだった。
詳細は割愛するが、この力を使って、俺はひたすら商売をやった。
仕入をしようにも金がなかったから、ごみを掻き集めて加工して売った。
体がなぜか16歳くらいまで若返っていて無限に働けるから、ガンガン稼いだ。
そうしたら2年で店を持てるくらいになっていた。
商売っていうのは拡大を始めると複利曲線のように大きくなっていく。
当時、ステイナドラーは各都市の商人組合が独立しており、一つにまとまることなど有り得ないと言われていた。
それを【神算鬼商】の力でまとめ上げ、一つの組合にすることもできた。
元手ゼロのこの俺が気付けばステイナドラー商人組合長だ。
だが、これでやっと隣国と渡り合えるようになったというだけだ。
そう、ここはまだスタート地点だ。
ここからが俺の大商い人生の始まりだ―
―だってのに!
「あーもう!魔法が全然効きやしない!ちょっとカール、足止めしてきてよ!」
「無理むり無理むり!あんなの無理だって!」
「最年少ランクCのパラディンだって粋がってたじゃない!」
「ドラゴンだぞ!?ランクAが相手するようなやつだろ!Cになりたての俺には無理だって!」
「何よ使えないわね!シャンタル、煙玉は!?」
「あるけど!あいつでかすぎて目隠し効果ないよ!煙が頭の高さに上がる前に抜けられると思う。」
「じゃあどうすんのよ!くそ、最大魔法撃つから、なんか考えといてよね!」
馬車の上で怒号が飛び交う。
後方からは大きな足音も聞こえる。
ドラゴンだ。
翼はないが強靭な脚があり、馬4頭を使った高速馬車よりも速いようだ。
もうかなり近付かれてしまった。
「ランハルトさん!どうしやす!?」
護衛の冒険者では歯が立たないことは明白だ。
この辺は強力な魔物がいないから新進気鋭の3人を育てようと思い、いつもの親衛隊を置いてきたのが間違いだった。
「ラインハルトさん!?」
戦っても死ぬ。
このままでは逃げ切れずに死ぬ。
決断は早い方がいい。
俺の身だけを考えれば、護衛を落とせばいい。
囮になるし、馬車の速度も上がる。
しかし、俺は雇い主だ。
部下を犠牲にするような商売は絶対にしないと決めている。
こいつらを見捨てることも絶対にできない。
「おい御者!もっと速く走れねぇのか!?」
「無理言わないでくださいよカールの旦那!これ以上は馬が潰れちまいやす!」
馬を馬車から切り離してばらばらに逃げるか?
ドラゴンが運よく馬車を攻撃するようなら全員逃げられるし、そうでなくても追われるのは一人だ。
単騎の脚なら、森に入ることでドラゴンを振り切ることも可能だと思う。
しかし、馬車馬は4頭、人間は5人。数が合わない。
「ィィイグニス・ジャベリンッ!!」
窓の外から一瞬、強い光が入った。
パロマの最大魔法というやつだろう。
「怯んだ!?」
「あああ!でもまだ追ってくるぞ!パロマ、もう1発だ!」
「できるわけないでしょ、1発が限界だっての…」
パロマの声に力がない。
決断しなければならない。
最善の選択を。
「シャンタル!パロマ!カール!マトベイ!馬車を捨てて、それぞれ馬に乗って逃げるぞ!」
窓から首を出して叫ぶ。
「カール!鎧を脱いで捨てろ!少しでも軽くするんだ!」
「おおおう!」
「シャンタルとパロマも!荷物は捨てろ!マトベイ!ハーネスを切る準備を!」
それぞれから返事が聞こえる。
俺も最低限の荷物を持ち、馬車の扉を開ける。
そして壁を伝うようにして御者の隣に座った。
マトベイが前を向いたまま言う。
「ラインハルト様、切れるロープは切りましたが、最後は同時に切らないと馬がもってかれます。ハーネスのベルトは革なんで、誰かが切るのに手間取ったら…」
「信じるしかないだろう。」
「わかりやした。ならせめてあっしを隣に置いてください。ハーネス切ったあと一瞬で馬同士の連結も切りやす。ラインハルト様はあっしのいない側を切るのに集中していただければ。」
「助かる。3人とも!準備はいいか!?」
馬車の上の3人に声をかける。
もう御者台からでもドラゴンが見えた。
「「「はい!」」」
「よし、カールは一番右の馬!シャンタルとパロマは二番目に二人乗りしろ!マトベイは左を頼む。」
それぞれが馬に跨る。
ステータスが一番低い俺が一番手間取った。
「俺の合図でベルトとロープを切るぞ!カールは右のハーネスベルト、パロマは左だ!シャンタル、右のハーネスを頼む。ベルトを切ってすぐに馬同士を繋いでるロープを切断するんだ。お前ならできるだろ?」
「もちろんです。」
これで全部の馬が独立する。
懐から護身用のナイフを取り出して強く握った。
「準備は良いな!」
「…今だ!!」
――バツン!
大きな衝撃があった。
車輪の音が離れていく。
左右を見る。
4人とも無事だ。
切り離しの成功にひとまずほっとする。
「散開しろ!止まるなよ!」
「ご無事で!」
「また会いましょう!」
「ロトバイルで!」
「生きましょう!」
馬首を左にめぐらせる。
馬上でも聞こえる大きな足音。
馬車は囮にならなかったようだ。
となれば一番遅い二人乗りのシャンタルとパロマが心配だ。
責任は俺にある。
もし二人の身に何かあったら一生償って…いや、今はそんなことを考えるべきではなかった。
とにかく馬に集中する。
ほんの少しでも早く町に辿りつき、救援を呼ばなくてはならない。
たとえ手遅れになるとしても、だ。
1、2分は走っただろうか。
時が長く感じる。
左右をちらりと見ると、見える範囲に仲間たちはいなかった。
うまく逃げられているといいが。
相変わらず大きな足音は聞こえていた。
もう理解していたが、確認のため振り向く。
「…俺か。」
ドラゴンが迫っていた。
もう数分と待たず、やつの大顎は俺を捉えるだろう。
開け閉めする口から覗く大きな牙は一噛みで俺を両断しそうだ。
諦めてたまるか。
煙玉を前に投げて、煙に突っ込む。
その瞬間に飛び降りれば、馬を追い続けるだろう。
この速度だ、落ちた衝撃で大怪我する可能性があるし、ドラゴンに踏みつぶされる可能性もある。
だが、もし無事であれば、俺を下ろした馬は加速するし、大きな時間稼ぎになる。
その間になんとか森に逃げ込む。
そこから更に別の魔物に遭遇しなければ、生きて帰れる可能性は十分にある。
大丈夫だ。
俺の天運は250ある。
平均の10倍だ。
絶対に大丈夫だ。
煙玉を靴に擦り付けて着火。
思い切り投げる。
「ぉおお!」
煙玉は地面に触れる前に大きな煙を吐き始めた。
思ったより近く、すぐに煙が俺を覆い隠す。
「はっ!」
考える時間はない。すぐに馬から飛び降りた。
煙で地面が見えず、着地のタイミングがわからない。
受け身が取れない!
「ぅがっ!」
空中で身を丸めようとしたがそれも間に合わず、腕と膝を強打した。
しかしそこから転がって衝撃を少しだけ逃がすことができた。
腕と脚だけではなく、全身が痛い。
特に背中が痛む。ちくしょう。
煙で周りが見えない。
どうなった?
いや、足音がしない。
あの大きな地響きが聞こえないじゃないか。
なんとか成功したみたいだ。
「…ははは。」
自然と笑みがこぼれる。
こんなにボロボロなのに、生きている実感というのだろうか、嬉しさがこみあげてくる。
風が吹いた。
煙が流れていく。
「…え?」
目の前にドラゴンがいた。
立ち止まっている。そりゃあ足音がしないはずだ。
「なん、で…」
頭の中が恐怖で染まっていく。
諦めたくはない。万策尽きてはいないはずだ。何か考えろ。
――グパァ…
ドラゴンが大顎を開く。
唾液が粘ついているようで、気味の悪い水音がした。
「や、やめ…」
――ドッ!ドッ!ドッ!
ふいに、ドラゴンに氷の槍のようなものが突き刺さった。
ドラゴンがよろめく。
――ザァン!
何かの影が隕石のように落下する。
地面を滑りながら着地したそれは、人であるように見えた。
――ドッ。
ドラゴンの頭が音を立てて落ちた。
続いて体の方もどさっと倒れる。
一体何が起きている?
人影はこちらに歩いてくるようだ。
「生きてるよな?」
男の声だ。
今まで聞いたことのない声。
俺の命を救ってくれたのか…?
「ヒール。」
体の痛みが引いていく。
やはり知らない男だ。
俺の身長くらいありそうな大剣を片手で軽々と持っている。
名のある冒険者か?
「ん、まだ痛むのか?打ち身と擦り傷ならヒールで十分かと思ったんだが、悪いな、ハイヒールもフルヒールも使えないんだ。」
「あ、痛みはない!」
俺の返事がないせいで勘違いさせてしまったようだ。
しかし回答としては不十分だ。先に礼を言うべきだった。
気が動転して自分らしくもない返事をしてしまう。
男が目の前で立ち止まった。
大きな安堵がさっきまでの恐怖とぶつかって息がうまくできないが、なんとか言葉をひねり出す。
「あなたがドラゴンを倒したのか?」
「ああ。じゃなきゃアンタが死んでた。」
助かったんだ…。
本当に……生きてる。
目から涙が溢れだす。
同時に心の器に溢れる…感謝と、安心。
「お、おい、どうした?」
彼が焦った表情を見せる。
そうだろう。
反応に困るだろう。
だが今は感激を抑えることはできない。
「あ゛あ゛り゛がどううぅぅぅ!!」




