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【短編版】闇落ち聖女は戦渦で舞う ~裏切られた処刑聖女は、魔王と手を組み王国を滅ぼすことにしました。今さら土下座で命乞いしても、もう遅い。徹底的に容赦なく蹂躙します~

作者: アトハ

※ 連載版を書きすすめるにつれ、納得いかない箇所が出てきたため、こちらの短編は明日(8/26)の昼頃には削除する予定です。

※ お手数ですが、連載版の方を読んで頂けると嬉しいです・・・!

連載版: https://ncode.syosetu.com/n1179he/

「アリシア。貴様は聖女でありながら、魔族と内通して我が国を混乱に陥れた──よって俺と結ばれていた婚約を破棄し、貴様を処刑する!」


 突如として、私──アリシアはそう言い渡された。私に指を突きつけているのは、神聖ヴァイス王国の第一王子──シュテイン・ヴァイス王子殿下。私の婚約者である。

 王族の証である美しい白髪に、バランスの整った顔立ち。社交界で視線を引きつけて止まないその美貌は、しかし今は憤怒で歪められていた。


「冗談ですよね、殿下?」


 困惑のまま、私は聞き返す。

 今は、魔王封印を祝う祝賀パーティの真っ只中だ。

 長き戦いの末、ついに私は魔王の封印に成功したのだ。長年続いた戦争に、ようやく終止符が打たれる──その祝いの場で放たれたのが、先ほどの物騒な言葉であった。


 神聖ヴァイス帝国は、長年、魔族と戦争状態にあった。聖女の力を見出だされて以来、私は『対魔族特務隊』のメンバーとして、常に最前線で戦ってきた。

 当然、魔族と内通していたという事実はない。



「ならば問おう。戦力では、我々、人族が圧倒的に(まさ)っていたのに──何故、これほどまでに戦争が長引いたのだ?」

「失礼ながら、いつも申し上げている通りです。特務隊の人員が、あまりに足りないのです! それに戦争は、終わってなんて……」

「黙れ! そう言って我々を騙していたのだな、この魔族の手先が!」


 シュテイン王子は、激昂のままに叫び、

 ──私の頬を思いっきり引っ叩いた。



「あっ……」


 頬を押さえて、私は呆然とうずくまる。


「殿下、誤解です。どうか落ち着いて下さい」

「黙れ! 貴様が情報を魔族に売っていたことは、既に調べが付いているのだ。これまで良くしてやった恩を忘れ、よくも──恥を知れ!」


 良くして──貰ったのだろうか?

 これまでの生活を思いだす。身分を尊ぶシュテイン王子は、元・孤児の婚約者など見たくないと私に罵倒を浴びせ、プライベートで関わりは殆ど無かったはずだ。聖女として特務隊に関する要望を出せば、平民の癖に生意気だと殴られたこともある。

 その癖、王子はいかなる時も私に完璧を求めた。王子にとって、私は王子を引き立てるための都合の良い"道具"でしかなかったのだ。



「事実無根です。どうしてそのような戯れ言を、信じてしまわれたのですか?」

「ふん。大方、戦争が終わって、聖女の地位が失われることを恐れたのだろう。卑しい生まれの者が、考えそうなことだ。貴様がノロノロと戦っていたせいで、いったい何人の兵が失われたと思っている!」

「な! そんな言い方……!」


 物心ついたときから、私は魔族を相手に戦う日々を送ってきた。

 遊ぶ暇すら無かった。青春のすべてを、聖女としての活動と、王国を守るための戦いに費やしてきたというのに。


「手際の悪さは、申し訳ございません。しかしそれも、殿下が十分な兵力を特務隊に派遣して下さらないせいで──」

「黙れ! 俺の方針に口出しするな!」


 ……そしてこれだ。

 特務隊の兵力不足は、そのまま個々の兵士の負担になる。どれだけ説明しても、王子は「平民が口を挟むな!」と、頑なな態度を崩さなかった。


 私が聖女の力を見いだされたのは7歳の時だ。

 戦争孤児だった私は、またたく間に王宮に連れて行かれ、訳も分からぬまま訓練を受けさせられた。すぐに戦地に放り出されて、魔族との戦いの矢面に立たされた。それから7年もの間、私は命をかけて魔族たちを相手に戦ってきた。


 命を落としかけたことは、片手では収まらないだろう。それでも私は、ボロボロになりながら戦い抜いた。

 国に居る大切な人たちを守るため。そして生まれ育った孤児院への仕送りを絶やさないためだ。


「所詮は平民ですからな……」

「だから早く尊き血を引くものから、聖女を選ぶべきだったのですよ……」

「ああ、あんなのが聖女だなんて──ああ、穢らわしい」


 貴族たちの囁きが、耳に入る。

 国のためにいくら尽くしてきても、私の評価なんてこんなものだ。城に戻るたびに貴族たちから嫌味を言われるのも慣れっこだ。彼らにとって、遠い戦地で起きていることなど、まるで関係ないのだから。


「これから、この者の裏切りを証明する。出番だ、真の聖女(・・・・)──フローラよ」

「は~い! 王子のために! フローラ、がんばっちゃいますよ~!」


 シュテイン王子の呼びかけに応えて現れたのは、フローラと呼ばれた子爵令嬢であった。

 真っ紅なドレスを身にまとっており、女性らしさを強調するように胸元は大きく開かれている。フローラは王子の元に駆け寄り、まるで私に見せつけるようにその腕にしだれかかった。


***


「これは~。新たに(・・・)聖女の(・・・)力を(・・)手に入れた(・・・・・)私が開発した薬なんですが~。これって、人間に使うと魔力を高めて、魔族相手だと毒になる素晴らしい霊薬なんですよ~!」


 フローラが、甘ったるい声で説明していく。


「うむ、フローラは非常に優秀でな。この霊薬の効果も、すでに騎士団で検証済だ」


 シュテイン王子も、自慢気にそう補足した。

 見ればシュテイン王子とフローラは、うっとりと見つめ合っている。妙に納得してしまった。私が命がけで魔族と戦っていた間、この男はあろうことか、浮気に精を出していたのだ。


「アリシアさん~。ほら、お飲みなさいな~」

「……何のつもりですか、フローラ?」


 硬い声で尋ねるが、フローラはにっこり微笑むのみ。彼女は毒々しい緑色の薬品を、躊躇なく私の口に流し込んだ。


 ──毒っ!?

 鼻を刺す特有の臭い。ピリピリと舌が痺れた。



「げはっ、ごほっ…………」


 激しく咳き込み、私は激しく吐血した。


 ──邪魔者を排除するために、こんなことまで!?

 魔族相手(・・・・)だと(・・)毒になる霊薬(・・・・・・)。私は早々に悟る。これは私に毒を盛り、魔族に仕立て上げようというフローラの罠だ。


「聖女が苦しんでいるぞ!?」

「どういうことだ──霊薬は、魔族にのみ有害なんだろう?」

「我々は何とも無いのに」


 こちらを見ていた貴族の間で、動揺が広がっていく。



「げはっ、げほっ……毒です。フローラは、私に、毒を……!」

「フローラが、そんな事をするはずがないだろう!!」


 激昂するシュテイン王子。

 血を吐き苦しむ私を、婚約者であるはずの彼は心配する素振りすら見せなかった。それどころか愛するフローラを侮辱されたと、私を怒鳴りつける始末。


「これが真実なんですよ~! これまで祭り上げていた聖女・アリシアは、実は魔族の血を引く魔女だったんですね~」


 フローラが、喜色満面でそう宣言した。

 念の為、"霊薬"は王国付きの鑑定士により検査されたが、結果は陰性だと判定された。フローラと頷き合う鑑定士を見て、私は彼らがグルであることを悟る。


 ──まさか、ここまでするなんて……

 フローラに敵視されていたのは知っていた。だとしても、ここまであからさまに危害を加えられるなんて。



「本当にアリシア様は、国を裏切っていたのか……?」

「今、見た通りだろう! あいつは魔女だ!」

「だから聖女のフリをして、魔族の有利になるように戦争を操っていたのか!?」


 数々の疑念の瞳が、私を貫いた。

 こんなことで処刑されるなど、冗談ではない。


「騙されないで下さい! その毒薬は、あらかじめ準備していれば症状を押さえられます。もう一度、鑑定を──フローラさんは、本当に毒を!」

「もう良い。汚らわしい口を開くな、この魔女め!」

「ぐっ……」


 罵倒と共に、近衛の1人が私の腹を蹴り上げた。手加減の無い一撃に、私は鈍いうめき声を上げる。


「まさかアリシアさんが、魔族の血を引いていたなんて」

「フローラが悲しんでいる。……裏切り者──魔族と手を組んだ『魔女』に、徹底的に報いを受けさせよ」


 シュテイン王子が、冷徹にそう宣言した。

 そうして祝勝パーティは、魔女断罪パーティに姿を変えた。



 屈強な男に取り押さえられ、私は頑丈な柱に括り付けられた。


「卑しい平民が、王子との婚約とか夢見てるんじゃねえ!」

「おまえのような人間には、お似合いの末路だな」

「美しいフローラ嬢こそ、殿下の婚約者に相応しい。身のほどを弁えろ!」


 好き勝手に言いながら、近衛たちが私に向かって一斉に魔法を撃った。突如として始まった元・聖女への私刑を、咎める者は誰も居ない。

 これまで国のために尽くしてきた仕打ちがこれ。面白い見せ物でも見るような貴族たちの反応に、私は思わず泣きそうになった。


 この場で聖女の力を使えば、脱出は容易だっただろう。

 聖女の振るう聖属性魔法は、それほどまでに圧倒的なのだ。それでも私は、対話の道を選んだ。……選んでしまった。


 ──いいかい、アリシア。話し合いで解決出来ないことなんて、存在しない。

 ──決して人様を恨んだら、いけないよ?

 分かり合うことを諦めてはいけない。それは優しかった孤児院長の口癖だった。その言葉は、私の中に揺るがない信念として息づいていた。



「私にやましいことなんて、何もありません。信じてください、殿下……!」


 シュテイン王子が、こちらに向かって歩いてくる。

 私は、必死に呼びかける。しかし彼は、息も絶え絶えの私を楽しそうに見ると、


「生ぬるいな。どれ、私が手本を見せてやろう」


 そう言い、嗜虐的な笑みを浮かべた。

 シュテイン王子が杖を振ると、土で作られた巨大なゴーレムが生み出された。何の躊躇もなく、ゴーレムはその巨体から鋭いパンチを繰り出す。


 拳が、深々と私の鳩尾に突き刺さった。

 胃の中をひっくり返されたような不快な感覚。あまりの衝撃に、私はたまらず胃の中のものを吐き出してしまう。


「さすがです、殿下!」

「魔女に正義の鉄槌を!」

「そうだろう、そうだろう! 我らの正義を、もっと魔女に見せつけてやろうではないか!」


「殿下──どうして……?」


 シュテイン王子の顔には、愉悦が浮かんでいた。


 ──そこまで、恨まれるようなことをした?

 私は、精一杯、あなたの役に立とうと頑張ってきたのに。どうしてこんな目に遭わされているのか、まったく分からなかった。


「貴様のことは、ずっと気に食わなかった。平民の愚図が、俺の婚約者など虫酸が走る! 俺の機嫌を損ねるとどうなるか、少しは思い知ったか!」


 自慢の土魔法を見せびらかすように。シュテイン王子は嬉々として、何度も何度もゴーレムの拳を私に叩きつけた。泣いても叫んでも、どれだけ痛いと訴えても、誰も聞く耳を持たなかった。


「見ろ! これが王国一の土魔法だ──くたばれ、魔女め!!」


 痛い、苦しい。

 これまでの戦いで、魔族にこっぴどくやられたこともある。この程度の痛みなら、別に初めてではない。

 だけども相手は、魔族ではない。守ろうとしていた人類なのだ。

 何より、心が痛かった。


 ──決して人を恨んではいけないよ

 孤児院長の言葉が、頭の中で回り続けていた。

 その信念は、ある意味呪いのようだった。こんな目に遭わされても、黙って受け入れるしかないなんて。


 痛い、苦しい。

 夢なら早く醒めて欲しい。

 それでも私は胸の中の信念を信じ、この場を耐え凌ごうと決めていた。



 結局、シュテイン王子が満足するまで地獄のような時間が続いた。ようやく解放されたとき、私は立つこともできず床に倒れ込み、そのまま意識を失った。


***


「楽しい見世物だったな」

「ええ。なんでこんな目に遭ってるのか分からないって顔。本当に痛快でしたね~」


 意識を失いぐったりしているアリシアを見て、シュテイン王子とフローラはけたけたと笑い合っていた。

 犯罪者の処刑の観覧を趣味とする貴族も多いが、彼らもまさしくその典型であった。特に気の食わない相手に罪を押し付け、徹底的にいたぶった後に処刑する瞬間は、まさしく至高のひとときだ。



 シュテイン王子の命令で、アリシアには犯罪紋が刻まれた。犯罪者の拘束に用いられる魔法行使を禁止する紋章だ。


「最期は、どんな絶望の表情を見せてくれるのか。今から楽しみですね~」

「そうだな。あいつの最期は、おまえを真の聖女にするための盛大なショーになる。せいぜい、盛り上げてやらないとな」

「あらあら、可愛そう~。一応、婚約者だったのでしょう?」

「ふん、形式上はな。あれを女として見たことなど、生まれてから一度もない」


 元々、今回の計画を発案したのはシュテイン王子だ。邪魔なアリシアを排除して、正式に愛するフローラを婚約者として迎え入れるため、これは必要な儀式だったのだ。

 フローラの言葉に、シュテイン王子は面白くもなさそうに鼻を鳴らすのだった。


◆◇◆◇◆


 悪夢のようなパーティから一夜。

 犯罪紋を刻まれ、私は地下牢に囚われていた。


 取り調べは、王国直属の騎士団が担当することになった。

 もっとも公平さなど望むべくもなかった。彼らは、最初からまともな取り調べなどする気もなく、私は即座に魔女だと断定された。彼らもシュテイン王子やフローラの意思を汲んで、動いているのだ。


 無実を証明することなど不可能。

 弁明の機会など、一度たりとも与えられなかった。



 ──諦観が胸を支配していく。

 私の声は、きっと誰にも届かない。


***


 地下牢暮らしが日常になった。

 聖女から魔女へと身を落とした私の扱いは、最悪の一言だった。


 食事は良くて、濁った泥水とカビの生えたパン。

 悪いときには、腐った魔物の生肉を口の中に無理やり押し込まれた日もあった。嘔吐と下痢が、半日ほど止まらなくなった。

 まともな食事は、ついぞ与えられることはなかった。



 騎士団員たちは、私をストレス発散のおもちゃとして扱った。

 食事のとき、眠っているとき、取り調べと称して──彼らは特に理由もなく、頻繁に私を痛めつけた。それが王国への忠誠を示すことになると、彼らは口々に言っていた。

 堪えきれない愉悦に顔を歪めながら。


 痛みに声を上げれば、彼らをより喜ばせるだけだ。苦しい時間が伸びていくだけだ。私は次第に、心を無にして時間をやり過ごすようになっていった。



 ──誰か、助けてよ

 ──痛いの、もう嫌だよ

 心の悲鳴は、どこにも届かない。

 そんな日々は、私の心を確実に蝕んでいった。


***


 地下牢に囚われて1週間ほど経っただろうか。


「お久しぶりね、アリシア~。ふふ、相変わらず惨めな姿! 元気にしてた~?」

「──フローラっ! なんでっ!」


 ある日、フローラが私の元を訪れた。


「お~、こわい。こわい。それだけ元気なら大丈夫そうだね。今日から、実験に付き合ってもらおうと思って。毒薬耐久実験、魔族のあなたにはお似合いでしょう?」

「嘘、でしょう?」

「あら、もちろん本気よ。最後ぐらいは人類のために役立って死になさいよ、魔女さん♪」


 フローラは、けらけらと笑った。

 それはまさしく悪魔の笑みだった。



「じゃあ、始めましょうか。アリシアは頑丈だから楽しみにしてたのよ~。少しは楽しませてね!」


 フローラは鼻歌まじりで薬瓶を1つ取り出し、私の口に液体を流し込んだ。

 逆らっても、後でもっと酷い目に遭わされるだけだ。すでに抵抗の意思は、狩り取られていた。


 こ、この毒はヤミアの熱草……!

 分かったところで、どうしようもない。

 瞬く間に強烈な悪寒に襲われ、私はがちがちと震えはじめた。暗殺に備えて、ある程度は毒にも慣らされていたが、その耐性がかえってフローラの楽しみを長引かせることになった。


 私は、ひどい嘔吐を繰り返す。

 真っ青な顔で全身を苛む毒の諸症状に耐える私を、フローラはいつまでも楽しそうに眺めているのだった。



 それからというもの、フローラは毎日のように私の元を訪れた。


「さすがはアリシア! う~ん、ゴキブリ並の耐久力ね! 次はこっちなら、どうかしら?」

「惜しい~! もう少しで毒が拔けるまで、耐えられたかもしれないのにね~。でも耐えられなかったから、おしおきの時間だよ~」


 フローラは、私にゲームを持ちかけた。断る権利なんてない一方的なゲームだ。

 フローラの渡す毒物を飲み干し、1時間意識を保っていられたら私の勝ち。気絶したら罰ゲームと称して、フローラが新しく覚えた魔法の実験台になる。フローラの薬物の知識は確かなもので、彼女は死なないギリギリのラインで私を攻め続けた。

 そのゲームは、フローラが飽きるまで延々と繰り返された。


 ──目の前の少女が、悪魔にしか見えなかった。

 休ませて欲しいと懇願しても、弱々しく頼み込んでも、人間の顔をした悪魔は、笑顔のまま私をいじめ抜いた。

 私が苦しむ様を見て、ひたすら笑い転げていた。


***


 フローラとの"ゲーム"が終われば、次は騎士団員による"取り調べ"が待っていた。散々フローラに痛めつけられ、すでに限界だったがお構いなしだ。


「この程度で音を上げるとは情けないね」

「もし聖女様なら、まだまだ楽勝だろう?」


 騎士団員たちの要求は、魔力の奉納。それは罪人の義務でもあったが、私に課されたノルマは常軌を逸していた。とても1人で賄える魔力量ではない。

 結局、私は魔力が空になるまで魔力を搾り取られることになった。魔力欠乏症でフラフラになった私を見て、騎士団員たちが大笑いしていた。


「おいおい、まだノルマの半分にも届いてないぞ」

「聖女様なら、これぐらいなら楽勝だとシュテイン王子はおっしゃってたよな」

「まあでも、こいつは魔女だからな。罪人の義務である魔力の奉納をサボるなんて、悪い奴だ」

「そういう場合は、刺激を与えてやれば絞り出せるんじゃなかったっけ。こんな風に──な!」

「がっ……!?」


 勢い良く壁に叩きつけられ、私はくぐもった悲鳴を上げる。それから彼らは、面白半分に私に魔法を振るった。

 魔力の奉納なんて、結局は私を痛めつけるための口実に過ぎない。ノルマの達成は、最初から不可能だった。


 常に魔力を搾り取られ、働きが悪いと気まぐれに魔法を撃ち込まれる。

 それが私の日常だった。



 永遠にも思える地獄の日々が続いた。

 それでもせめて、人を恨むことだけはしない。

 だって、それは間違ったことだから。

 魔女と罵られようとも、私は最期まで聖女として気高くあろう。血反吐を吐きながら、私は祈るように日々を過ごした。


 ──悲鳴を聞いて、誰もが喝采を上げる。

 狂っている。おかしい。

 いつから世界は、こんなに歪んでいた?


 こちらの声は、何も届かない。

 変わらない日々が続く。

 ただ毎日が苦しい。


 自分以外の人間が、まるで別の生物のように見える。

 ああ、本当に自分は魔族だったのだろうか?

 だから、こんな目に遭うのだろうか?

 

 眠い。痛い。苦しい。

 ぼこぼこに殴られた全身が、熱を持つ。

 毒に侵された身体から、悪寒が消えない。

 焼かれた背中が。刺された眼が。痛い。苦しい。

 もう──早く楽になりたい。


 最近は、ずっとそんなことを考えていた。


◆◇◆◇◆


 そして、その日がやってきた。


「魔女・アリシア。明日の正午、貴様を公開処刑とする!」


 シュテイン王子が、直々にそう宣言しにきた。

 雪の降りしきる冬の季節──それが私の処刑の日であった。すっかり心が摩耗しているのか、私はもう何も感じなかった。

 ああ、ようやく楽になれると思ったぐらいだ。



 私は、雪の積もる街道を見せしめのように裸足で歩かされた。

 世紀の大罪人の処刑は、朝からある種の祭りのような盛り上がりを見せていた。


「人間でありながら魔族に国を売るなんて! 恥を知れ!」

「なにが聖女だ! この世界の真の聖女はフローラ様なんだよ!」

「いつまでも戦争が終らないのは、すべておまえのせいだったんだな! この魔女め!」


 大広場での公開処刑。

 うねるような悪意と罵倒の言葉。私が姿を現すと、会場は異様な熱気に包まれる。



「「殺せ! 殺せ! 殺せ!」」

「「殺せ! 殺せ! 殺せ!」」

「「殺せ! 殺せ! 殺せ!」」


 寒い。

 分かっていた。ここに私の味方が居ないことは。

 それでも、これは──あんまりな仕打ちではないか。


 悪意の奔流に吐き気がした。

 魔族への恨みが、すべて私に向かっている。 

 集まった国民たちが、いまかいまかと処刑を待っている。



 追い打ちをかけるように。

 フローラが私の耳に手を当てて、


「そういえばあなたの孤児院、とっくの昔に滅んでるわよ?」


 そう囁いてきた。

 いつものように、悪魔のような微笑みを浮かべながら。



 ──今度こそ意識が空白化した。

 何を言ってるんだろう?

 聖女として働く条件の1つが、王国で孤児院を保護することだったはずだ。私が働いた分のお給金も、ちゃんと孤児院に振り込まれていると、シュテイン王子はずっと言っていたのに。


「ははは、平民との約束なぞ守るはずがないだろう?」


 これは傑作だ、とシュテイン王子は笑った。

 この顔が見たかったのよ、とフローラも腹を抱えて笑っていた。


 ──それならいったい、何のために私は……?

 ああ、まさか今さら涙がでてくるなんて。

 あれほど続いた地下牢暮らしも、完全には私の心を殺さなかったらしい。ひとしきり2人に嘲笑われた後、私はそのまま処刑台に引きずられていった。



 消しようのない黒い炎。

 ある渇望が、私を支配していた。

 口にしてしまったら、これまでの人生が嘘になる──そう思っていても、その炎は私の中で今も大きくなり続けている。


「せいぜい最後も良い声で泣いてくれよ、アリシアちゃん」


 処刑人の男には、見覚えがあった。

 騎士団所属の男だ。散々、地下牢で私のことを痛ぶった一人だった。


 そうして私は、十字架状の拘束具に捕らえられた。

 足元には処刑用に、数々の魔法陣が設置された。


 通称──魔術式処刑。

 処刑方法は、実にシンプルだ。

 致死級の威力を誇るさまざまな魔法陣を、犠牲者に向かって起動し続けるのだ。対象の命が潰えるその時まで。何度も。何度でも。



 やがて真っ赤な魔法陣が発動し、凶悪な炎が私に襲いかかった。

 全身を炎が包み込み、私は無意識に絶叫する。私の悲鳴を聞いて処刑広場ではどよめくような歓声が湧き起こり、今日1番の盛り上がりを見せた。


 魔法陣の一撃は、致命傷にはならない。 

 聖女として魔法耐性に優れている私は、簡単に死ぬことも出来ないのだ。これから何百発と魔法を撃ち込まれて、苦しみながら死ぬことになるのだろう。

 もっとも残虐だと言われる処刑方法が選ばれたのも、私が苦しみのたうち回る様子を、長期間に渡って眺める為なのだから。


 ──次々と、設置された魔法陣が起動していった。

 強大な氷のツララが、私の膝を撃ち抜いた。

 発生したかまいたちが、私の全身を切り刻んだ。

 巨大な土塊が飛来し、私の頬を撃ち抜いた。


 痛い、苦しい。

 もう、早く終わらせて欲しい。

 そんなささやかな願いも許されない。

 一思いに楽になることすら許されず、私は見せしめに嬲り殺される。


「クリーンヒット~! 今のは効いてるんじゃないか!」

「おい! しぶとぞ、魔女!」

「早くくたばれ!!」


 魔法が発動するたびに、会場は異様な熱気に包まれていった。私の断末魔の悲鳴は、この国にとって最高の娯楽らしい。 


 最前列では、シュテイン王子とフローラが私の処刑を見学していた。目の前で舞台俳優のショーでも開かれているように、2人して喝采を上げている。

 彼らとは、一生分かりあえないだろうと思う。理解したいとも思わなかった。



「「死ね! 死ね! 死ね!」」

「「死ね! 死ね! 死ね!」」


 ──私の一生は、あんなやつらのためにあったのか。

 弱った身体に、また1つ上位魔法が突き刺さる。

 すでに痛覚はない。命の灯火が消えていくのを感じる。

  

 ──こんな奴らが、これからものうのうと生きていく?

 ──優しかった院長は、死んだのに……

 世の中はあまりに理不尽だ。

 弱っていく身体とは逆に、心の炎はどんどん燃え上がっていく。



「「死ね! 死ね! 死ね!」」

「「死ね! 死ね! 死ね!」」


 もう、良いか。

 なんで、我慢してたんだろう?


 その大合唱を聞きながら私は──




「おまえらが死んじゃえ──!」


 こぼれ落ちる喉が張り裂けんばかりの絶叫。


 魔法で出来た槍に貫かれ。

 致命傷を貰い、血反吐を吐きながら。

 ──私は、感情のままに呪いの言葉を撒き散らした。



「滅びちゃえ、こんな国──!」


 こんな国、守らなければ良かった。

 それは初めて抱いた燃えるような感情。

 私は、心の底からそう思ってしまったのだ。


 ごめんなさい。

 そう謝る相手すら、もうこの世には居ないのだ。

 これで聖女としては失格だろう。でも、どうやら私は魔女らしい。構わないだろう。


 ──よくやく枷が1つ外されたようだった。

 そう思っても良いんだと思えることが幸せだった。

 結果は何も変わらないだろうけど、それで構わない。

 せめて命を失うその時まで。ようやく見つけたこの憎悪を愛しながら、私は逝こう。




「──みんな、死んじゃえ!」


 ただ叫ぶ。

 溜め込んだ黒い炎を、吐き出すように。

 私を黙らせようと、さまざな魔法が私を貫いた。

 それでも私の生きた証を、何人たりとも消すことなど出来ない。


***


 魔女・アリシアの最期。

 それは壮絶なものだった、と処刑人は語る。


 今回の処刑方法は、あまりに非人道的だからと長年廃止されていた魔術式処刑。どのような凶悪犯であっても、普通ならあまりの苦しみに最後は命乞いを始めると言う。

 着々と、命を削られ続ける苦痛。

 あんな少女に絶えられるはずがないのに……。



 少女は、ある時を境に狂ったように笑い出したという。

 国を、人々を、すべての生き物への憎悪をむき出しにして、笑い続けていた。全身血塗れで世界の滅びを願う様は、まさしく魔女そのものだった──僅かな畏怖を覗かせながら、処刑人は後にそう振り返った。


◆◇◆◇◆


 その後、気がついたら、私はふよふよと漂う魂だけの存在になっていた。

 生者と死者の境目の存在。

 現世を完全に去るまでの最後の余暇だ。



 ──誰かに取り憑いて、暴れられないかなあ?

 最初に思ったのは、そんなことだ。

 すぐに首を振って(無いけど)否定した。

 口惜しいことに、今の私にそんな力は無い。

 それどころか聖教会の人に見つかったら、あっさり浄化されてしまいそうだ。


 ──魂、まっさらになるんだなあ

 ──じゃあ、この恨みもここまでかあ……

 死の間際、私は魂の奥深くに王国への恨みを刻み込んだ。

 それでも聖教の教えによれば、転生すると前世の記憶はアッサリ失われると言う。

 納得は行かないが、仕方ない。


 ──あーあ、せめて来世では穏やかな人生が送れると良いなあ……

 私の恨みは、私だけのものだ。

 記憶だけが残って、来世の誰かに代わりに果たしてもらったところで意味がない。



 やることもないので、私は平穏な来世を願う。

 魂だけの状態で、現世にそう何日も現世には留まれないだろう。

 私は、自我が完全に消える時を待って──


 ……。

 …………。

 ……………………?


 どれほどの時が経ったのだろう。


 おかしい。

 いつまで経っても、意識が消えない。

 それどころか、徐々に身体に感触が戻ってきているような。



 ………………………………?

 何やら言い争う声が聞こえてくる。

 そこでようやく私は、気がついた。

 五感が戻ってきている。

 どうやら私は、冷たい床に寝かされているようなのだ。



「──ッ!?」


 ガバッと身を起こす。

 ペタペタと手で顔を触わる。あ、触れた。


 どういうこと……?

 私はたしかに死んだはず。

 王国の奴らに嵌められて。最後には、むごったらしく処刑されたはずだ。



「目が覚めた? 人間の聖女ちゃん」


 混乱する私に、突如としてそう声がかけられた。

 そちらに視線を移す。


 ──至近距離に"天敵"が居た。

 魔族の王──すなわち魔王。封印したはずなのに、どうして!?


 装飾品の付いた立派な腰掛けに座り込み、足を組んでこちらを見下ろしている。その顔立ちは、精緻な陶芸品のように美しい。長年生きている魔族でありながら、顔にはまだまだ幼さが残っている。

 何故か私を見下す視線には、強烈な好奇心が見え隠れしていた。



「……魔王ッ──!」


 王国と戦争状態にあった魔族の王。

 それは聖女である私が、命がけで食い止めてきた因縁の相手であった。

 王国の切り札が聖女だとすれば、魔族の切り札は魔王だ。何度も生き残りを賭けて争った。直接、命のやり取りをしたことも数知れず。


 私はとっさに魔力で短剣を生み出し、大慌てで距離を取ろうとしたが、


「……もう、良いか」


 静かに手を下ろし、ポイッと短刀を放り捨てた。

 今となっては、王国に義理立てする必要もない。

 同時に私は、王国で刻まれた魔法の行使を禁止する「犯罪紋」が解除されたことを悟った。一度、死んだからだろうか。

 

 私は、改めて周りを見渡す。

 どうやらここは、大きな建物の中らしい。足元には、何やら怪しげな魔法陣が描かれている。起き上がった私を警戒するように、魔族軍の幹部と思わしき存在が私を取り囲んでいた。

 いくら全力で抗ったとしても、私にここから逃れる術はないだろう。



「え? 武器を捨てちゃうの。人間の聖女ちゃん」

「……アリシアです。ええ、この人数を相手に勝てるとも思いませんから」


 私は、立ち上がって薄く微笑んだ。

 抵抗の意思はないと、両手を上げてみせた。


「アリシア──か。ふ~ん、殊勝な心がけだね。ボクが君を生き返らせたんだよ? どうしても君にお願いしたいことがあったからね」


 飄々とした軽い口調。

 私を射抜いく魔王の瞳から、感情をうかがい知ることは出来ない。



 私が死んでから、いったいどれほどの時が経ったのだろう。どうやら私は、敵陣の真っ只中で生き返らされたようだ。


 あんまりな人生に、私は自らの生を呪う。

 魔王の用事など、想像がつく。魔族に取って『聖女』は、最大の障壁だったことだろう。

 なぜか復活してるけれど、一回は魔王の封印にも成功したのだ。さぞかし恨みを買っていることだろう。


 ──神様は私に何か恨みでもあるのだろうか? 

 王国であれほどの地獄を味わったのに。

 今度は、魔族から復讐されるのか。


 それでも、これは幸運なことでもあった。

 決して訪れないと思っていた機会。

 ──これで、私は、王国に復讐できる。



「復讐のためですよね。であれば、どうか半殺し程度にしておいて頂ければ……」

「──は?」


 せっかく生き返ったのだ。

 私は、王国に復讐を果たすのだ。

 こんなところで、死んでたまるか!


「魔王さん! あなたが私のことを憎く思う気持ちは、よく分かります。しかし考えてもみてください。死なんて、一瞬だと思いませんか? 本当に憎い相手が居るのなら、そのような生ぬるい方法を取るべきではありませよね」


 もっとも恐ろしいのは、魔王が私を瞬殺してスッキリしてしまうことだ。

 そんなことになれば、せっかく生き返ったのに無意味。

 無駄死にである。



「相手を蹂躙して、徹底的に苦痛を与えて、この世の地獄を見せる。もう殺して欲しいと懇願しても、それを無視して、この世のありとあらゆる苦痛を与える。それこそ相手の精神が壊れるまで──それこそが至高の復讐ではありませんか?」


 私は、魔王を説得しにかかった。 


 王国での最期を思い出す。

 長引く苦痛は、永遠の地獄。

 死、それすなわち救済なのだ。



「魔王様、なんかこの人やばいですよ。眼が逝っちゃってます!」

「こんなのが聖女な訳無いじゃないですか! 人違いですよ、人違い!」

「見なかったことにして、今すぐ埋めてきましょう!」


 なんか魔王の側近が、大慌てで声を上げている。

 うるさいなあ。私は今、魔王さんとお話しているんだけど……。


「決めるのは、魔王さんです。ちょっとだけ黙っていて下さいますか」

「「「ヒ、ヒィィィ……!」」」


 なんだかものすごく怯えられてしまった。

 おかしいな? 笑顔でお願いしただけなのに……。



 私は、ニッコリと魔王に微笑みかけた。


「魔王さん。迷うぐらいなら、いったん私を半殺しにしてみませんか? かつての宿敵を完膚なきまでに叩きのめして、ぐちゃぐちゃに踏みにじって──きっと気持ち良いですよ。私、これでも身体は頑丈です。サクッと殺すより、絶対に魔王さんを喜ばせられると思います!」


 あはは、っと笑う。

 これぞ、完璧な利益提示だ。

 そう満足していたのだが、どうしたのだろう……?

 私の本気の説得に、魔王は丹精な顔を歪めるて、



「えぇ…………」


 本気で嫌そうな顔をしていた。

 え? 何その反応……。


「悲報、人間の聖女……完全にヤバイやつだった」

「ちょっと! うちの魔王様の情緒に、悪いことを言わないでくれます?」

「そうですよ。あなたなみたいな変態の誘いに乗る訳ないじゃないですか! うちの魔王様はいたってピュア。ノーマルなんですから!」


 さらに魔王の幹部たちがクワッと目を見開き、そんなことを言う。


 変態とは失敬な──!

 本懐を果たすために、泣く泣く身を削るような提案をしているだけだというのに。室内を見渡すと、魔族たちは危険物を見るような目で私を見ていた。

 ……これなら、今すぐにも殺されることは心配しないで良いのだろうか?



 ──そう言われてもなあ

 生涯の宿敵を蘇らせる理由など、まるで浮かばなかった。

 私は、拗ねたように魔王に聞く。


「そうは言いますけど、魔王さん。復讐のためでないというのなら、いったい何のために私を生き返らせたんですか?」


 復讐以外に魔王から私に用事なんて、あり得ないだろう。

 そう思う私を余所に、魔王は席を立ち上がった。

 そうして何を血迷ったのか、私の前に跪くと、


「君には、ボクの花嫁になって欲しいんだ。どうか一生を、ボクの隣で生きていて欲しい」

「──は?」


 しごく真面目な顔で、魔王はそう言ってのけたのだった。



 ──今、なんとおっしゃいましたか……?

 私とあなた、つい最近までバチバチに殺し合ってましたよね。

 というか、あなたを封印したのって私ですし……。


 私は、まじまじと魔王の顔を見返してしまった。


***


「あのう……。聞き間違いかもしれないので、もう一度だけおっしゃって頂けますか?」

「君には、ボクの花嫁になって欲しいんだ。どうか一生を、ボクの隣で生きていて欲しい」


 一言一句、同じことを言われた。

 おかしい。魔王の言っていることが、分からない。

 言葉の意味は分かるが、その真意がこれっぽっちも理解できない。



「どうして、ですか……?」


 私は、呆然と聞き返す私に、


「深い理由はないよ。ちょっとした興味と──強いて言うなら一目惚れかな?」


 幼き魔王は顔を上げ、にこにこと微笑む。

 まるで私と話が出来ることが、嬉しくて仕方がないとでも言うように。


 一方の私は……


 ──あの戦いの中で、そんな余裕があったとでも!?

 恐怖で打ち震えていた。


 一目惚れって。

 魔王と戦場で対面したときは、いつだって死闘だった。

 私が命を張って特務隊の仲間を守っていたときに、この魔王は「向こうの聖女かわいいな~」とか思っていたとでも!?



「到底、信じられません」

「君は常に、誰かのために戦ってたよね。相手を殺すためではなく、常に仲間を生かすために戦ってた。たった1人で、孤立無援の中、王国を背負って常に最善を探っていたよね」

「……1人ではありません。特務隊の仲間と一緒でした」

「まあ、そうだね。足手まといも、仲間と言えば仲間か。ねえ、君はボクと初めて戦ったときを覚えてる?」


 思い出を懐かしむような口調の魔王。


 ……ええ、覚えていますとも。

 一歩間違えたら皆殺しにされかねない緊張感。

 飛んできた即死級の魔弾を防ぎながら、命からがら逃げ切った撤退戦。

 魔王との戦いは、すべて鮮明に覚えている。

 トラウマとして記憶に刻み込まれていて、何なら思い出しただけで胃がキリキリと痛むほどだ。



「君は、逃げ遅れた一般人を、決して見捨てなかったね。小さな子どもを守るために、身を体してボクの攻撃を防いでいた」

「聖女として、当たり前のことです」

「当たり前なはず無いじゃん。生きるか死ぬかの戦場で、常に他人のために生きられるなんてさ。その生き方は、ボクたちには無かったものだ」


 すべては、聖女として当たり前だと思っていた。

 死傷者が出ることもあった。仲間からは、いつも感謝されていたけれど、私は自分の力の無さが不甲斐ないばかりだった。



「アリシア。──君は、戦場で誰よりも凛々しかった」


 魔王は、そう私を評した。


 それは皮肉な話だった。

 幼少期からずっと尽くしてきたにも関わらず、私は王国ではこれっぽっちも評価されなかった。特務隊の仲間ごと愚図の集まりだと嘲笑われ、最後には用済みだと処刑されたのだから。

 それなのに最大の敵である魔王からは、そのように評価されていたというのか。



「ボクを殺すなら、君だろうと思っていた。そして君を殺せるのも、ボクだろうと思ってたんだ」

「私もです。……いいえ、私では勝てないですね。ああして隙を付いて、封印するのが精一杯でしたから」


 魔王と聖女。

 互いに戦力は突出しており、戦場で何度も命をやり取りをした。そうしながらも、たしかにお互いの存在を強く意識していたのだ。


「それなのに、よりにもよって同族に殺された? 訳が分からないよ。なんであんなに美しくて尊い人が、殺されないといけないの? ねえ、アリシア。あれから王国で何があったの?」

「大したことは、ありませんよ。王国が用済みになった聖女を処刑した──それだけのことです」

「は──?」


 感情を推し殺し、私は淡々と答えた。

 思いだすだけで、ドス黒い感情が胸の中で荒れ狂う。あまりの恨みに叫びだしてしまいそうだ。それでも互いを認めあった"宿敵"を相手に、みっともない姿は晒したくなかった。

 ちっぽけで下らない小さな意地だけど。



 私の言葉を聞いた魔王は、意味が分からないと口を開く。


「王国は、聖女──救世主を処刑したの?」

「ええ」

「人間とは、己に報いた者を殺す生き物なの?」

「……そうみたいですね」

「どうして?」

「私が邪魔になったんでしょうね」


 あくまで私は、淡々と答える。

 しかし──



「ふざけないでよ!」


 激昂したのは、魔王だった。


「どうして魔王さんが、怒ってるんですか?」

「だって、怒らずには居られないでしょう。ようやく出会えた好敵手を! ボクが尊敬したはじめての存在を──よりにもよって下だらない嫉妬で……!」


 どうやら魔王は、本気で怒っているように見えた。



 ──どうして、この人はこんなに怒っているのだろう?

 私と魔王は、殺し合う仲だ。

 一目惚れしたなんてあり得ない、と私は思う。


 魔王はきっと、怒って(・・・)みせた(・・・)のだ。

 何かを要求するつもりで、私に同情するフリをしたのだだろう。そうして用が済めば、私はまたボロボロにされて捨てられるのだろう。

 ……別に、この願いが果たされるなら、それでも構わないけれど。 

 


「戦場で、一目惚れ? 冗談は休み休みにして下さい。まるで話になりませんね」


 私は、醒めた目で魔王を見返した。

 その目的が、何であっても構わない。そもそも魔王は、王国と戦争をしているのだ。私とも利害は一致しているだろう。



「それで? 私は、魔王さんの隣で何をすれば良いんですか?」

「え? ……いや、別に何も。ただ近くで、君を眺めていたいだけだからね」


 きょとん、と魔王が首を傾げる。

 ただ、眺めていたい……。それをして、何のメリットが?



「素直におっしゃって下さい。魔力の提供ですか? それとも、いざというときの人質ですか?」

「そんなことしないよ。ただここで、ゆっくり毎日を過ごせば良いよ」

「下らない。それとも、やっぱり復讐ですか? それでも構いませんよ。最初から覚悟は出来ていますから」


 私のやることは変わらない。どんな目に遭わされても生き延びて、王国に戻り本懐を果たす。

 そんな決意と共に、魔王を見る。魔王は悲しそうに目を逸らした。



「魔王様、ここは私が。王国の聖女・アリシアよ。そなたには従属紋を刻み込む。これからは魔王軍として、その生命が尽きるまで王国軍を殺せ」


 代わりに口を開いたのは、魔王の側近のうち1人だ。

 特徴的なローブを羽織っており、鋭い牙が見え隠れする魔族だ。見たところ、吸血鬼だろうか。


「キール、余計な口を挟まないでよ。従属紋も必要ないよ。戦争への参加も反対だ──アリシアに、同族殺しの咎を負わせる必要なんて……」


 従属紋とは、強制的に持ち主に言うことを効かせる禁忌魔法の1つだ。

 相手の人権を完全に無視する忌むべき魔法の1つであり、王国では奴隷相手に使われることも多かったが、


「あはっ、喜んで!」


 何かを言いかけた魔王を無視して、私はキールと呼ばれた魔族の提案を受け入れた。

 従属紋で逆らえないようにしてから、戦争の道具として扱おうという提言。この上なく目的が分かりやすい。未だに真意の読めない魔王よりも、よっぽど安心できた。



「アリシア、どうして? 君が、わざわざ戦地に赴く必要なんて……」

「良い機会だから話しておきましょう。私の願いは、王国への復讐なんですよ」


 私は、あははっと笑った。

 帰る場所も、生き甲斐も、守るべきものも──何もない。

 今の私には、それしか無いのだから。



「王国は、いずれ滅ぼします。騎士団は1人残らず殺しましょう。私を嵌めて、院長を殺したフローラさんと、シュテイン王子──あいつらだけは、絶対に許せませんね。どんな目に遭わせてあげましょうか……あははっ、楽しくなってきましたね!」


 私は、未来に思いを馳せる。

 気がつけば、聖女の証であった純白のドレスが、私の魔力に呼応するように黒く──漆黒に染まっていった。人を慈しみ、常に他人を助けるために生きていた聖女・アリシアは、あの処刑場で死んだのだ。

 今の私は、魔女・アリシア。復讐に生きる1人の魔族だ。



「キールさん。従属紋を使うなら、お願いがあります」

「何だ? 悪いが、まだ貴様を完全に信用することは出来ん。反逆の疑いが無くなるまでは──」

「あはっ、従属紋を使うことに異論なんてある筈がないじゃないですか。そんなことより、戦場で負傷して私の動きが鈍くなったら、こう命じて下さいね──『肉体の限界を気にせず、一人でも多くの王国兵を殺せ』と」


 キールと話す私を、魔王が何とも言えない顔をして見ていた。

 何の文句があると? 心配しないでも、魔王の妨げになるようなことはしないというのに。


「なんのつもりだ? 身体の限界を無視した行動──従属紋を通じて、そのような"命令"をすれば、貴様とて無事では……」

「良いんですよ。それより眼の前に王国軍が居るのに、怪我で動けないなんて、つまらないじゃないですか。1人でも多く殺すためなら、お安いご用です──普通なら身体がボロボロになり、後遺症が残るかもしれませんね。でもご安心を。私なら心配はいりません。骨が粉々に砕けても、手足がもげても、軽く魔力を通せばすぐに元通り。聖女って、便利でしょう?」

「あ、ああ……」


 にっこり微笑み、私はキールにアピールする。

 どん引きされたような気がするが、きっと気の所為だろう。

 皮肉にも聖女の丈夫さは、一ヶ月にも及ぶ王国での"取り調べ"が証明してくれた。どうにかして私が魔王軍の役に立てると証明しなければ。



「それから、それから──」

「アリシア、今日は疲れたよね。君には、魔王軍の幹部部屋を用意するから──今日はもう、休むと良いよ」

「かしこまりました」


 ひどく疲れ切た声の魔王に見送られ、私は寝室に戻るのだった。


◆◇◆◇◆


 翌日、私は魔王の幹部会議に呼び出された。


 魔王の封印に成功していたのは、実に僅かな間だけ。

 なんと、私が王国で地下牢に閉じ込められ、犯罪紋を刻まれたと同時に、魔王にかけられた封印は解けてしまったらしい。魔女を断罪するつもりで、魔王の封印のあっさり解除するとは、何とも皮肉な話である。


 初めて知ったことだが、私は魔族領にある魔王城で蘇生させられたらしい。

 私が処刑されてから、実に一ヶ月が経過していた。

 魔族領には、人間には有害な濃い瘴気が充満している。魔族として生き返らせてもらって良かった、と私は密かに安堵していた。



 そうして始まった作戦会議。


「ミスト砦の防衛は、どうにかなりそう?」


 魔王の質問に、集まった魔族たちは渋い顔をした。


「敵の兵力は少なく見積もって八千以上。砦を守る者の疲労も大きく、もう限界です!」

「しかも敵は、王国の騎士団が集められています。敵の指揮は『聖女』が取っており、大きく兵力が強化されていることが予想されます」

「魔王様、どうか戦線を下げるご決断を──!」



 魔王群の幹部は、口惜しそうに唇を噛んだ。

 ミスト砦を捨てると、魔王領の一部を王国に渡すことになる。そこには、庇護下に入れた亜人族の集落なども存在した。人間至上主義の王国の手に落ちたとき、彼らがどのような目に遭わされるかなど、想像に難くないと魔王軍の幹部たちは嘆く。

 


 それにしても王国の騎士団が、ねえ……。

 私が特務隊に居たときには、冒険者ギルドや私に任せきりで、ずっと城に籠もっていたのに。それが今になって動き出したのか。

 大方、騎士団の幹部が、お手軽に手柄を建てられると判断したのだろうか。


「撤退? とんでもないね。見捨てるぐらいなら、最初から支配下に入れるもんじゃないよ。その程度の兵力なら問題ない──ボクが出るよ」

「いけません!」

「魔王様が倒れたら、魔王軍は終わりなんですぞ!」


 魔王が話し合いを終えて、そのまま席を立とうとした。そんなリーダーを見て、慌てて幹部たちが止めようとする。

 それは奇しくも、特務隊時代の私を思い出させた。あの時の私は、後先考えずに冒険者を助けようと単身で飛び出しては特務隊のみんなに怒られたものだ。



「そうですね、私も魔王さんに賛成です。まず、フローラの『聖女』の力は、そこまで強力ではありません。恐らくは手柄を立てさせるためだけのお飾りかと思います」

「人間、誰が貴様に発言を許可した!」

「ブヒオ──構わない。ボクが同席を許可したんだ。アリシア、続けてよ」


 豚っ鼻の魔族──ブヒオが、私に殺意を向けてきた。

 私としても、いきなり魔族たちに受け入れられるなんて思って居ない。殺されないだけで上々。王国軍と戦う機会さえ得られれば、それで構わない。



 ──戦場にフローラが居る。

 その事実を知っただけで、私の視界が黒く染まる。

 彼女は、丁重に騎士団員に守まれながら、圧倒的に優位な戦場で、それはもう美しく微笑んでいるのだろう。『聖女』の仕事なんてチョロいと思いながら、一生をのうのうと過ごしていくのだろう。

 そんな未来、許せるはずがないではないか。



「私をミスト砦に連れて行って下さい。『聖女』を舐めてくれたあの人に、聖女がどのようなものか、目に物を見せて差し上げましょう」


 私の提案に、


「それで連れて行った途端に、寝返るつもりか? 許可できる筈がないだろう。殺されないだけ、ありがたく思え!」


 真っ先に、ブヒオからはそんな言葉が飛んできた。


 ……ごもっともな意見だ。

 だけど私は、幸運にも反対意見を乗り越えるための切り札を手に入れている。


「キールさん、私に従属紋を」

「これは、魔族の間でも基本的には使用が禁じられている非人道的な魔法だ」


 しかしキールさんは、私に気遣しげな視線を送った。


「知ってます。敵国に落ちた聖女──今の私にはピッタリではありませんか」

「意思を奪い、行動を操るなど──使う方も、使われる方もどうにかしている。本当に、良いんだな?」

「あはっ。決まりきったことを」


 従属紋の契約には、双方の合意が必要となる。

 まるで抵抗の意思を見せない私に、魔王軍の幹部たちが、あ然とした様子でこちらを見ていた。やがて諦めたようにキールが、従属紋の魔法陣を手にしたところで、



「……ボクがやろう」


 魔王がため息を付きながらそう言った。


「魔王さん?」

「ボクは、未だにアリシアに従属紋を付けるなんて反対だ。だとしても、納得して貰うために必要なら──譲ってたまるか。ボクがやるよ」


 従属紋を刻まれた者は、決して主の命令に逆らえない。

 決して主に、危害を加えることが出来ない。

 要約するとそれだけの説明を受け、私が同意したことで従属紋が刻まれた。


「そうですね。色々と考えられますが……『私が、王国の益になることをしそうになったら、自分で命を絶つ』なんて命令はどうですか?」

「アリシア……。君は本当にどうして、そんなことを……」


 魔王は、悲しそうにそう呟いた。

 それでも「アリシア自身が、それを望むなら……」と諦めたように口を開くと、


「『従属者、アリシアの命じる。魔族の不利益になりそうなこと、王国の益になりそうなことをする場合、自分の手で命を絶つこと』」


 そう命令してくれた。


 ──そう、それで良い。

 どんな口約束よりも、魔法による拘束が一番安心できるだろう。それが何よりの裏切らないという保証になる。


 

「これで認めて頂けますか?」

「あ、ああ。その……。悪かったな──」


 何故か、ブヒオに謝られてしまった。

 感服したような、ひどく気の毒なものを見るような、そんな表情。


「え? これで私は、王国軍と戦えます。何を謝る必要があるのですか?」


 ブヒオの発言は仲間を思うが故だし、私は、この中では異分子だ。従属紋の行使は、まっとうな判断だろう。

 どうしてそんな顔をされるのか、サッパリ分からなかった。



 そうして私は、フローラ率いる王国軍と戦うために、ミスト砦に向かうことになった。


◆◇◆◇◆


 結局、魔王軍の幹部が率いる数千の兵を率いて、私たちはミスト砦に援軍として向かうことになった。


 すぐに捕捉されないように、隠蔽の魔法式をかけている。突如として奇襲をかけ、相手の指揮系統を混乱させるのだ。

 この兵たちの殆どは、陽動部隊として王国軍に襲いかかることになる。



 王国軍は、魔族を舐めきっている。

 今回は、その隙を狙うことにしよう。


 作戦はこうだ。

 陽動部隊は、王国軍が反撃を始めると同時に撤退を開始。相手の兵力の多さに、恐れ慄いたフリをするのだ。過剰に追撃をしてくれれば、しめたもの。そうでなくともミスト砦に控える兵たちと協力して、王国軍をさらなる混乱に陥れる。

 そうして守りが薄くなったフローラを──私と魔王の2人で襲撃する。無謀と言うなかれ。これで居て、私と魔王の実力は魔王軍のツートップである。



「あはっ、楽しみですね」


 私は漆黒のドレスを纏って、くすくすと笑い声を上げた。


「楽しそうだね」

「ええ、それはもう。このような機会を下さり、魔王さんには本当に感謝しています」

「だから君が、こんなことをする必要は……。いいや、もう何も言わないよ」


 今の私は、聖女であった頃の聖属性魔法だけでなく、魔族となったことで闇属性魔法までをも使いこなせるようになっていた。

 王国では忌むべき邪法と言われた闇魔法であったが、それが存外、使い勝手が良いものだ。



「アリシア、それは何だい?」

「何って、鎌ですよ。似合いますか?」

「似合ってはいるけど、これまでの君を知ってるボクとしては複雑だよ……」

「私は、もう聖女ではありません。魔女・アリシア──魔王さんの忠実な部下ですよ」


 私が選んだ獲物は、魔法で生み出した漆黒の鎌。

 今までの私は、防御魔法と支援魔法を中心に小刻みに立ち回る魔法主体の戦い方だった。しかし今日からは、ばりばりに敵陣に突っ込み、王国軍を討ち取っていくつもりだ。

 鼻歌交じりに歩く私を、魔王は呆れながら見ていた。


***


「それにしても凄まじいね。あれほどの兵数に、支援魔法をかけるなんて──身体は何とも無いんだよね?」


 移動中、魔王が興味津々と言わんばかりに、こんなことを聞いてきた。



「元・聖女ですから。あれぐらいなら朝飯前ですよ」

「はあ。王国軍の強さの一端を見たよ……ボクは、とんでもないバケモノを相手にしてきたんだね──」


 魔王が呆れたようにため息をつく。

 私からしても、支援魔法をかけながら、魔王の戦闘力には底が見えないと感じていた。よくこの怪物を相手に、何度も生還してきたと昔の自分を褒めてやりたいぐらいだ。


 そんな魔王だけど、今だけは利害が一致している。

 敵でないとしたら、


「「これ以上ないぐらいに心強いよ(ね)」」


 独り言が被った。



 そんなやり取りをしながら、私たちは目的地に到着する。場所は、王国軍本隊のすぐ傍の山の中。

 私たちは、陽動が始まるまで、ここで待機だ。


***


 そうして作戦が始まった。

 私が隠蔽の術を解くのと同時に、魔族の群れが王国軍の野営地を襲撃した。


 王国軍は、自らの有利を疑っても居なかったはずだ。

 突如として魔族の集団による襲撃を受け、またたく間に大混乱に陥る。火を放ち、私の支援魔法を受けた魔族たちが、みるみるうちに王国軍を蹂躙していく。


 山の中から、私と魔王は戦況を見守っていた。


「なにあれ。指揮系統がまるでなっていないね。まるで素人の集団じゃん」

「王国騎士団を中心に編成したのでしょう。実戦経験なんて、ここ最近は殆ど無かったでしょうからね。……何だか、このまま攻め切れてしまいそうですね?」

「いいや、過信は禁物だよ。作戦通り、しばらくしたら撤退させよう」


 フローラ率いる王国軍は、あっけなく瓦解した。

 指揮を取る隊長たちが、突発的な事態に対応しきれていない。こんな時、聖女として王国軍の心の支えとなるはずのフローラも、金切り声を上げて逃げ惑っている様子。

 それは戦いとも呼べない無様な姿だった。


「ねえ魔王さん、私も向こうに加わったら──」

「駄目に決まってるでしょう」

「あはっ、残念」


 私は、軽く舌を出す。

 そうしてしばらく経ち、魔王軍は逃走を始める。

 王国軍を誘い出すためだ。

 ──作戦は次の段階に以降した。


***


「はっはっは、聖女様の祟りだって! あいつらも、よくこの状況で、撤退理由を作り出したもんだね!」

「……王国軍が、ここまで弱くて、ここまで思い通りに動いてくれるなんて。予想外でしたね……」


 最大の懸念は、王国軍が誘いに乗ってくれるかであった。

 しかし魔王軍が撤退していくのを見て、王国軍の指揮官は何も違和感を持たなかったらしい。「我らには、聖女フローラ様のご加護が付いているぞ~!」などと声をあげ、散っていった魔王軍の追撃戦に向かっていった。



「向こうは大丈夫なんでしょうか」

「あいつらを信じてあげてよ。まして今回は、"聖女様"の加護がこっちにあるんだ。何も問題ないと思うよ」


 魔族のことに一番くわしいのは魔王だ。

 彼がそう言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。

 ──私は、私の戦場に向かうだけだ。



 王国軍の本陣。

 そこには王族直属の近衛隊が、警戒した様子でフローラを守っていた。

 さすがにこの状況に疑問を持ったのだろう。

 そこに油断の色は無さそうだった。


「やっぱり魔王様は、向こうで控えていて下さい。これは私のわがままです。従属紋は生きていますし、万が一のときには責任を持って……」

「何を言ってるのさ。敵の聖女を倒す、またとない機会だよ? それにボクだって──あの女には、少しだけ言ってやりたいことがあるからね」


 私の言葉に、魔王はそう答えた。

 そうして私たちは、フローラを討つために戦場に向かう。

 

***


「敵兵っ!」 

「ま、まさか──おまえは!?」


 最初に私たちに気がついたのは、見覚えのある近衛だった。私を、散々に地下牢で痛め付けてくれた男の1人だ。


「あはっ! お久しぶりですね。そして、さようなら!」


 私は、一気に距離を詰める。

 反応を置き去りにして懐に潜り込み、巨大な鎌を一閃。またたく間に、近衛の一人を一刀両断する。



「慌てるな! 賊はたったの2人だ!」

「なんとしてでもフローラ様をお守りしろ!」


 腐っても近衛隊。

 すぐに陣を組み、護衛対象のフローラを守ろうとする姿勢は悪くない。

 悪くないが──



「遅いっ!」


 私は、縦横無尽に戦場を駆ける。

 黒い風が吹き、漆黒の鎌が振るわれると同時に、バタリバタリと近衛が倒れていく。抵抗すら許さない圧倒的な実力差による蹂躙。

 向こうでは魔王が、見たこともない魔法を使って、これまた王国軍をみるみる殲滅していた。



「ば、バケモノめ……!」


 怯えた近衛が、私をそう称した。

 ──もし私がバケモノだとしたら、生み出したのは、あなたたちだ!


 人間を手にかけてしまった。

 少しは、心が痛むかと思っていたけれど……。

 胸に押し寄せるのは、ただ少しの充足感だけだ。



「なんなのよ、何なのよあなたたちは──!」

「久しぶりね、フローラ」


 立ち塞がる近衛は、すべて斬り捨てた。

 逃げる敵も皆殺しにした。

 ──そうして、ついに私はフローラの元にたどり着いた。


***


「あなたは──アリシア!」

「あはっ。さすがは"聖女様"ね。この姿になっても分かるなんて」


 あはは、っと私は笑いかける。


「なんで、生きてるのよ! 」


 フローラは癇癪を起こしたように喚き散らしていたが、


「この愚図の平民が! 私に楯突いて、ただで済むと思ってるの? そこをどきなさい。それとも、また地下牢での暮らしを味わいたいの?」

「──フローラっ!」


 フローラは、私の姿を見つけると嘲るような笑みを浮かべた。

 先ほどまでの怯えが嘘のような表情。フローラにとって、私は格下の存在でしか無かったのだろう。ただ気まぐれに痛めつけ、反応を楽しむだけの玩具。


「痛い目を見ないと分からないのかしら……『サンダー・ブレード!』」


 フローラは、自信満々に魔法を放つ。

 彼女が放ったのは、雷の剣を生み出し敵を滅する雷属性魔法。散々、地下牢でも見せつけられた魔法だ。


 ──あの程度の魔法、防ぐまでもない。

 地下牢で魔法を封じられていた時とは違うのだ。

 今の私には、数々の支援魔法を重ねがけしてあるだから。フローラの放った魔法は、凄まじい勢いで私の元に飛来し、


 ──私に触れただけで、あっさりとかき消された。



「はあ? 何なのよ、それ!」

「それで終わりなの、聖女様? 次は、私から行くね」


 そこで初めて、フローラは恐怖をのぞかせた。

 しかしここにはフローラを守る者は、もう居ない。怯えたように後ずさり、フローラは脇目も振らずそのまま一直線に逃げようとした。

 勝てないと一瞬で悟ったのだろう。その判断の早さは、称賛に値するけれど……。


「逃がすと思う?」


 私はフローラと距離を詰め、その横腹に蹴りを入れた。

 それだけで面白いようにフローラは、吹き飛ばされる。苦しそうに呻くフローラの髪を掴み、私は彼女を起き上がらせた。

 げほっ、ごほっとフローラは苦しそうに咳き込む。



「ごめんなさい。どうか許して下さい」


 私が手を放すと、フローラは怯えたように後ずさった。逃げられないことを、悟ったのだろう。


 フローラは、躊躇なくその場に土下座した。

 聖女の衣が汚れるのも厭わず、無様に敗北を受け入れたのだ。



 もちろん、聞き入れるつもりはない。

 彼女は、私の人生をすべて破壊した張本人なのだから。


 私は、漆黒の鎌を生み出した。

 それから、ひとおもいに振るおうとして──


「アリシア、そこまでだ」


 しかし手にした鎌は、魔王に止められてしまった。


「なんで止めるんですか? 私は、この時のために──」

「そいつを憎いと思うのは、何も君だけじゃないってことさ。そいつのことは、生け捕りにする。それから……」


 ──蹂躙して、徹底的に苦痛を与えて、この世の地獄を見せる

 ──殺して欲しいと懇願しても、それを無視して、この世のありとあらゆる苦痛を与える

 ──その精神が壊れるまでね


「それこそが、至高の復讐なんだろう?」


 どこかで聞いたような言葉を吐く魔王。

 彼を見ると、見ているだけでもゾッとするような冷たい笑みを浮かべていた。殺意とも敵意とも違う、それは強いて言うなら純粋な憎悪。

 フローラなんて、その怒気に当てられただけで失神していた。


◆◇◆◇◆


 その日以降、魔王城の地下で悲鳴が止むことはなかったという。


 魔王は、フローラを地下に幽閉し、魔王は部下の魔族たちに"取り調べ"を命じた。

 聖女の弱点を調べるため。

 王国軍の弱点を調べるため。

 その内容は、フローラの知り得ない情報まで及んだ。



 だって別に魔王は、別に答えがあることなんて期待していなかったから。

 ただ永遠の地獄を味あわせたいとは思っていた。

 これは生まれて初めて尊敬した少女を陥れ、辱めた女に対して行う個人的な復讐に過ぎないのだから。


***


「あはっ。魔王さん、ありがとうございます。立派な宣戦布告書ですね」

「別にアリシアがやりたいなら、構わないけどさ。今さらこんな物を書いて、何の意味があるのさ?」


 ある日の魔王城の執務室。

 私は、魔王から受け取った"とある書状"を目にして笑みを浮かべていた。

 

「まあまあ、これは私なりのけじめなんです。それに──シュテイン王子には、うんっと怯えて貰わないといけませんからね」


 元・聖女アリシアは、神聖ヴァイス王国に正式に宣戦布告する。

 私を嵌めてに死に追いやったフローラも。私を邪魔者扱いして処刑を言い渡したシュテイン王子も。真実を見て見ぬ振りをしてきた騎士団も国民も。すべて纏めて、この鎌で薙ぎ払おう。

 ──復讐(それ)それだけが、今、私が生きる意味なのだから。



 そんなことを考えていると、魔王が記録魔法の魔法陣を取り出した。

 首を傾げる私の前で、とある記録が読み上げられていく。


『私、フローラは、真なる聖女であるアリシア様を卑劣な罠に嵌めて、処刑に追い込みました。彼女の罪は、すべて冤罪なのです──』


 聞こえてきたのは、フローラの声だ。


『聖女・アリシアは、対魔族特務隊で7年もの間、王国を守護してきた優秀な聖女です。今の王国があるのは、彼女の活躍があってこそなのです』


『私が毒を盛り、アリシア様を魔族だと言い張ったのです。祝賀パーティの場で聖女に罪を被せて、私が成り代わる算段でした。すべてはシュテイン・ヴァイス王子殿下が、提案されたことです──』


 その魔法陣から語られるのは、フローラによる罪の告白。

 魔女だと処刑された聖女・アリシアは、王国のために尽くしていた聖女であったこと。卑劣な罠により、謀殺されたこと──その魔法陣では、すべての真実が語られていた。



「これは、なんですか?」

「見ての通りだよ、フローラが自白したんだ。これを拡散魔法と一緒に王国に送り届けたら──きっと面白いことになるよね」


 くつくつと魔王が笑った。



「余計なお世話です。王国が今さら過ちを認めたところで──私は、この復讐を辞めるつもりは、ありませんからね」


 ──やっぱり魔王の思惑が理解できない。

 私の無罪を王国で広めたところで、いったい魔王に何の得があるというのだろう?

 フローラが素直に自白に応じるとは思えない。あの人は、とても執念深く、プライドだけは高い人だ。これだけの内容を喋らせるのは、生半可は労力では無かっただろう。


「復讐を止める? そんなことする訳が無いじゃないか」

「なら、どうして?」

「己の罪を理解して、うんと後悔しながら死んでいけば良い。殺される日に怯えれば良い──奴らは、それだけのことをしたんだ」


 ゾッとするほど冷たい声で、魔王は言う。

 どうやら魔王は、本気で私の処刑に憤っているようなのだ。戦場での好敵手──自分の獲物を取られたことの腹いせなのだろうか。


 そのくせ魔王は、私にだけは優しい声でささやくのだ。ここで、ゆっくり生きて欲しいと。穏やかな日々を生きて、ここで幸せになって欲しいと。私が復讐のためだけに生きて、復讐と共に死のうとしていることを、まるで察しているかのように。



 ──それでも、私のためなんだろうな。

 王国で、私の潔白を証明しようとすること。

 それは私にとって、今さらどうでも良いことではあった。それでも、それが魔王なりの気遣いであることは、疑いようがない。


 ──いったい、どうして?

 やっぱり理由は分からない。

 いっそ最初から、何か見返りを求めてくれれば楽なのに。


「ねえ、魔王さん。私に何か求めていることは無いんですか?」

「何もないよ。ただ一緒に時を過ごしてくれれば良いよ」


 まるで私と話すことが、楽しくて仕方がないと言わん様子で魔王。

 その表情はどこまでも暖かく──私は、少しだけ居心地が悪くなり、部屋に戻るのだった。王国への復讐と──魔王城での今後の暮らしを、少しだけ考えながら。


◆◇◆◇◆


 その日、神聖ヴァイス王国では激震が走った。


 1つは、シュテイン・ヴァイス王子殿下の元に届いた宣戦布告の書。

 魔法により届けられたそれを、シュテイン王子は忌々しそうに握りつぶした。彼は、最愛のフローラが魔族軍に囚われたことも知っていた。


「薄汚い魔女め。魔族ともども、踏み潰してやるよ──」


 シュテイン王子が、余裕を持っていられたのもそこまでだった。



 "お土産"が起動したのだ。

 それは何かを録音した音声記録の魔法陣だった。

 うかつに起動してしまったのが、間違いだったのだ。あっ、と思ったときは手遅れだった。


『私、フローラは、真なる聖女であるアリシア様を卑劣な罠に嵌めて、処刑に追い込みました。彼女の罪は、すべて冤罪なのです──』


 魔王の仕掛けた魔法は、非常に巧妙であった。

 近くにある魔道具を乗っ取り、どんどん音声を拡散していったのだ。それは、ある種のウイルスのように広がっていき──フローラによる"自白"が王国中に拡散されていく。



『聖女・アリシアは、対魔族特務隊で7年もの間、王国を守護してきた優秀な聖女です。今の王国があるのは、彼女の活躍があってこそなのです』


『私が毒を盛り、アリシア様を魔族だと言い張ったのです。祝賀パーティの場で聖女に罪を被せて、私が成り代わる算段でした。すべてはシュテイン・ヴァイス王子殿下が、提案されたことです──』


 今、ヴァイス王国で、すべての真実が拡散されていく。卑劣な罠で婚約者を排除したシュテイン王子の仕業が、王国中に拡散されていく。


 それは、広場で聖女の処刑を見届けた者にも届いた。

 彼らは震え上がった。

 最高の娯楽として見届けた魔女の処刑。

 その"魔女"が、実は無実で、国を守ってきた救世主だったとしたら──


 誰もが、取り返しのつかない事態に恐怖した。



 その時、魔法陣から新たに声が流れてきた。


 処刑を見届けた人は、恐慌状態に陥った。

 その声を聞けば、忘れたくても忘れられない、魔女の凄惨な最期を思い出してしまうから。

 ──聞こえてくる声は、血塗れで王国への呪詛を吐きながら逝った"魔女(せいじょ)"のものだったのだから。



「私、アリシアは、あなたたち神聖ヴァイス王国に宣戦布告します。今さら土下座で命乞いしても、もう遅いです。徹底的に容赦なく蹂躙して差し上げますので──覚悟していて下さいね」

連載版はじめました!

短編では端折った部分の加筆などをしながら再構築しているので、短編を読んで下さった方にも楽しんでいただけると思います。よろしければ、こちらも読んで下さると嬉しいです!

https://ncode.syosetu.com/n1179he/

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