39:ジャスパーと画家のブライアン
ブライアンにとってのモニカは良き友人である。
彼女が背中を押してくれたから、ノアの気持ちに応えることができた。
だから、彼にとっての彼女は大切な存在だ。
「よって、現状には大いに不満がある」
「何がよ…」
モデルの衣装に着替えたモニカは、ジトっとした目でこちらを睨んでくるブライアンを睨み返す。
そんな彼女にブライアンは鏡を持たせた。
「ブッサイクな顔になってんぞ」
眉間に皺を寄せて目の下にはクマや肌荒れを指摘してくる彼に、モニカは少し寝不足なだけだと答えた。
だが、鏡に映る自分は確かにひどい。
「あの騎士のせいか?」
「……」
ジャスパーのせいではないが、ジャスパーとあの日見た女性との関係が気になりすぎて、中々眠れないのは事実だ。
あれからモニカの耳は、彼とその女性に関する気になる噂をよく拾うようになった。
今日もまた、自分がこうしている間にも彼女とどこかへ出掛けているのだろうか。気になって仕方がない。
「気になるなら聞けばいいじゃん。あの女は誰なんだって」
「…聞けたら苦労しないわよ」
「俺が聞いてやろうか?」
「遠慮しとく」
聞くのが怖いのだと、モニカは崩れ落ちるように用意された椅子に腰掛けた。
そんな彼女にブライアンは呆れたようにため息をこぼした。
「浮気だとしても、そうじゃなかったとしても、聞かないことには何も解決しないぞ」
「わかってるよ」
「わかってんなら行動しろよ」
「怖いのよ。もし仮に彼女と交際していたとして、それを笑顔で祝福してあげられるほど私はできた人間じゃないの」
「別に祝福してやる必要なんてないだろ。もしノアがそういうことしたら、俺だったら浮気相手の爪を全部剥いでやるくらいのとこはするぞ」
「嫉妬深いのね」
「まあな」
ブライアンはそのまま楽にしてていいと言って、筆をとった。
物悲しげに外を見つめるモニカもそれはそれで美しい。亡き夫をずっと思い続ける未亡人のような雰囲気がある。
それを言ったら怒られるから絶対に口には出さないけれど、この絵のタイトルは『未亡人』で決まりだと彼は思った。
「ねえ、ブライアンはノア様のどこが好きなの?」
「なんだよ急に」
「いいから答えて」
ぼーっと外を眺めながら、モニカはそう尋ねた。
あまりそういうことは答えたくないブライアンだが、今日は特別だ。
一旦筆をおくと、布がかけられた絵の方を見て恥ずかしそうに答える。
「…のほほんとしているように見えて意外と策士で腹黒なとこ」
「趣味悪い」
「お前に言われたかねーよ。むしろお前のが趣味悪いわ」
「なんてことを言うのよ」
「だってそうだろ?あれはやばい。雰囲気が普通じゃない」
「どう言う意味?」
「危険な香りがぷんぷんする」
「大人の色香ってやつ?」
「なんだそれ」
「あら?違うの?貴族令嬢たちがそう言ってたから」
「そんな可愛らしいもんじゃねーだろ、あれは。なんか犯罪者の匂いがする」
闇堕ちしたら本当に犯罪を犯しそうだとブライアンはつぶやいた。
彼の言っていることがわからないモニカは「ふーん」と軽く受け流す。
「ジャスパーは私のどこが好きだったのかしら。顔?」
「そこが全てじゃないだろうが、その項目が入っているのは間違い無いと思う」
「面食いだったのね」
「モニカのことを好きになるやつが、顔が見てないと言ってきたらそれこそ嘘っぽいし、説得力にかける。信用ならない」
「わかるわ。私は美しいもの」
「そういうことを自分で言うあたりがほんと残念だな」
「うるさいわよ」
なんだかんだと話しながら、デッサンを終えたブライアンは眠たそうにするモニカに毛布を渡した。
「しばらく寝ていろ。今日はもういい」
「そう?」
「次は色々と解決したらにしよう。元気ないお前書いてて楽しくねーわ」
キャンバスを片付けながら彼はニカッとはを見せて笑った。
相変わらず笑顔が少年のように可愛らしい。
「…ねえ、どうしてブライアンはノア様の絵を描かないの?」
「アイツに聞いてこいとでも言われたか?」
「ノーコメント」
「じゃあこっちもノーコメントだ。気になるなら自分で聞いてこいって言っといて」
ブライアンはモニカにアイマスクを渡すと、もう寝ろと言ってカーテンを閉めた。
カーテンの隙間からわずかに入る光と油絵具の匂いに包まれ、彼女は静かに目を閉じる。
「…私もジャスパーの絵ほしいなぁ」
***
ぐっすりと眠ってしまったモニカを起こしに、再び部屋にやってきたブライアンはカーテンを開けた。
40分くらいは眠れただろうか。
「おい、起きろモニカ。髪食ってる」
ブライアンはスースーと気持ちよさそうに寝息を立てる彼女に近づくと、顔にかかった髪に触れる。
よだれを垂らして熟睡する姿はとても高貴な身の上とは思えない寝姿に彼はクスッと笑みをこぼした。
「触らないでもらえます?」
「……」
ブライアンは背後から聞こえた地を這うようなドスの聞いた声に思わず体をこわばらせた。
「…音もなく入ってくるな」
「一応チャイムは鳴らしましたよ」
「聞こえなかった」
振り返ると、そこにいたのはモニカの騎士ジャスパー。
ドア枠にもたれかかり、腕を組んだ彼は恨めしそうな顔でこちらを見ていた。
「…俺はモニカのことをそういう目では見てない。わかってるだろ?」
ブライアンは何もしていないことを証明するかのように両手を上げると、すっとモニカから離れる。
するとジャスパーは彼と入れ替わるように彼女の近くにやってきた。
「わかってますよ。ブライアンさんがアトリエの一室をノア様の絵で埋め尽くすくらいにノア様しか見てないことくらい」
「なっ!?何で知ってるんだよ!」
「少しだけドアが開いてたんで見えました。ノア様の絵を描かないのは、描かないのではなくモデルがいなくても描けてしまうだけだったんですね」
「う、ううううるせぇ!」
顔を真っ赤にしたブライアンはすぐさま廊下に出て、例の部屋の扉を閉めた。
誰にも秘密にしていた部屋を知られたことに、動悸がおさまらない。
そんな彼の姿にフッと乾いた笑みをこぼしたジャスパーは寝息を立てるモニカを軽々と抱き上げる。
「このまま連れて帰ります」
「起こせばいいだろうに」
「なんだか最近眠れていないようでしたので」
「誰のせいだと思ってるんだよ」
「誰のせいなんですか?」
キョトンと首を傾げるジャスパーにブライアンは怪訝な顔をした。
「誰のせいってお前のせいだろ。この浮気者が」
「浮気?」
心当たりがないのか、ジャスパーは眉間に皺を寄せて右斜め上を見て考え込む。
そんな彼にブライアンはモニカには悪いと思いつつも、この間、見たことのない女と仲睦まじく歩いている姿を目撃したことを伝えた。
「見たことない女?」
「泣きぼくろの南部系の顔の」
「ああ、彼女ですか」
「誰だよあれ」
「友人です。ちょっと買い物に付き合ってもらっていただけですよ」
鋭い目つきで睨みつけてくるブライアンに対し、ジャスパーはしれっとそう言った。
大事な買い物だったので、目利きの良い人に選んでもらいたかったのだと彼は語る。
「友人にしては距離が近かったと思うが?」
「夜のお店の女性なので、スキンシップは激しめなんです」
自分も困っているのだと、ジャスパーは肩をすくめた。
嘘くさい、とブライアンは思う。
「その顔は信じていませんね?」
「一ミリも信じていない」
「酷いなぁ」
「お前がモニカを想ってることは理解しているし、多分本命はモニカなんだろうが、なんかチャラいから、火遊び程度に浮気しそうだとは常々思っていた」
「俺って信用ないんですね」
「当たり前だろ。素行の悪さは聞いているからな」
「心外だなぁ。俺は例えば、姫様がこうして他の男と2人きりでいることも、他の男に触られることも、平然と公爵夫人としてノア様の横に立つことも全部許せないくらいに姫様のことを思っているのに」
どこに他所の女が入る隙間があるというのか、と彼は笑う。
その笑みに、ブライアンは何故だか悪寒が走った。
「…お前、ちょっと怖い」
「最近よく言われます」
危険な香りがするというブライアンの認識は間違っていなかったようだ。
「あ、もしかして、姫様って何か誤解してます?」
「してる」
「マジか」
「結構悩んでるぞ」
「…そうか、それで最近よそよそしかったのか」
ジャスパーは腕の中で眠るモニカに視線を落とすと、うっすらと口角を上げた。
そんな彼の一瞬の変化にブライアンは顔を顰める。
「嫉妬されて嬉しそうな顔してる男は信用ならない」
「嬉しくならない男なんています?」
「俺は少なくとも嬉しくはならないし、もし相手が自分が嫉妬していることに対して嬉しそうな顔をするのなら往復ビンタする」
「なるほど。では、ノア様にそう伝えておきますね」
「余計なことすんな。そういうことを言ってるんじゃないんだよ。不安にさせるようことをするなってことだ」
「不安にさせてるつもりはなかったんですけど…」
以後気をつけますと言って、ジャスパーは困ったように眉尻を下げた。
「では、失礼しますね」
「あ!まって、モデル代渡すから」
ブライアンは引き出しから茶封筒を出すと、それをジャスパーに渡した。
そして気まずそうに目を伏せつつも言葉を紡ぐ。
「…あんまりモニカを責めるなよ。誤解したこととか、その、俺がはじめに浮気だとか言ったから。だからモニカは悪くない」
誤解して悪かったと、ブライアンは頭を下げた。
口は悪いが素直に謝れる奴だ。だからノアもモニカも彼が好きなのだろう。ジャスパーはそう感じた。
「大丈夫ですよ。わかっていますから。それに、姫様には今後2度と誤解なんてできないくらいに俺の愛を伝えようと思いますので」
ジャスパーはニッコリと微笑み、そう言い残してアトリエを出た。
「あ、後でノアに連絡しよう…」
不安にさせてしまったからと言って、その重い愛を全てモニカにぶつけられてもそれはそれで彼女の身が持たない。
ブライアンはその後すぐに速達で手紙を出した。




