33:旅立ち
長年、立場を弁えた範囲内での反撃しかしてこなかった第四皇女の大きな一撃は、社交界を揺るがした。
なんの力もない第四皇女にしてやられたエレノアは立場を無くし、唯一まともだった娘の権威が落ちたことで皇后も力が削がれた。
きっと今後、密かに勢力を拡大していた第二妃の派閥が社交界で大きな顔をし出すことだろう。
だがそんなこと、モニカの知ったことではない。
精々、無様に権力争いをしているがいいと思う。
モニカに加担したエリザの友人たちやジャスパーの両親はジャクソン侯爵夫人の庇護下に置いてもらったし、ノアの恋人のブライアンは近々帝国を出る。
懸案事項は特になし。
「ざまあみろ!」
一国の姫の輿入れにしては少ない荷物で国境を超えたモニカは、車窓から顔を出し、祖国に向けて中指を立てた。
空は快晴。気温は少し高めだがカラッと晴れた天気で気分は最高。
今まで背負っていた重たいものが一気になくなって、この空へと飛んでいけそうなほどに彼女の心は軽い。
横に座るジャスパーは少し呆れたように肩をすくめた。
「姫様、それは流石にはしたないです」
「いいのよ、誰も見てないから」
「俺が見てます」
「ジャスパーはいいの」
「特別だから?」
「そ。特別だから」
モニカは歯を見せてニカッと笑った。
開放感に満ち溢れる彼女の笑顔は実に清々しい。
ジャスパーは風に靡く蜂蜜色の髪を掴むと、それに唇を落とした。
「姫様、子どもは何人作ります?」
「3人かしら?仲の良い兄弟が良いわ」
二人は楽しそうに見つめ合い、微笑み合う。
「いや、まだダメだからね!?」
    
二人の会話を黙って聞いていたノアは、その雰囲気に耐えきれず大きな声でツッコミを入れた。
エリザは気安くモニカの肩を抱く兄に軽蔑の視線を向ける。
「言っておくけどね、ジャスパー。3年は手を出さないでよ?」
「え、無理」
「無理じゃないよぉ!!3年は耐えてもらわないと離婚する時に色々と厄介なんだからねっ!?」
現段階で、モニカの夫はノアであり、ジャスパーではない。国を出たからと言って、全てが解決したわけではないのだ。
くどくどと説明するノアにジャスパーは人差し指を立て、チッチッと舌を鳴らす。
「そうは言ってもね、ノア様。姫様は俺のことが好き、俺も姫様のことが好き。じゃあもう子どもできるじゃないですか」
「何言ってるの?ジャスパー。ちょっと浮かれすぎじゃない?あんまり滅多なことを言うのなら接近禁止令出すよ?」
「エリザはノア様の意見に賛成です!節操なしのお兄様にはそのくらいの強気の措置が必要かと思いますわ!」
ノアの発言にエリザは高らかに手を挙げて賛同した。
妹が自分側につかなかったことにジャスパーは身を乗り出して抗議する。
そしてそれを宥めるノア。
そんな3人を見て、モニカは笑いが堪えきれずに吹き出した。
「あははっ。楽しい」
お腹を抱えて笑う彼女に3人は安堵の笑みをこぼす。
「これからはもっと楽しいことが待っていますよ、姫様」
「そうかしら?」
「ええ。だって人生はトータルでプラスマイナスゼロになるよう出来ているのです。今まで散々だったのだから、これからは良いことだらけです!」
「ジャスパーが言うと何だか安っぽく聞こえるわ」
「何で!?」
「なんか軽いもの。全体的に」
悪戯な笑顔を見せるモニカ。ジャスパーはそんな彼女をぎゅっと抱きしめた。
「お疲れ様でした、姫様」
「貴方もね」
モニカはぽんぽんとジャスパーの背中を2回、優しく叩いた。
長かった惨めな生活もこれで終わりだ。
本当にあんな場所で良く生き延びたと思う。
誰かに命を狩られることもなく、また自ら命を絶つことなくこの日を迎えられたのは、ひとえにこの素行不良の騎士のおかげだろう。
優しく自分を見つめる彼の頬に、モニカそっと口付けた。
「いつもありがとう。大好きよ、ジャスパー」
少し頬を赤く染め、花が綻ぶように笑う彼女に頬を押さえたジャスパーは大きく目を見開いた。
何やら妹がずるいと吠えているが、そんな声は耳に入らない。
「…ノア様、本当に三年も耐えなきゃダメ?」
「ダメ」
「どんな拷問だよ…」
モニカとノアが婚姻関係を破棄するまで約三年。
この日から、ジャスパーにとってのみ、ある意味地獄の日々が始まった。
(完)




