32:たった一度の反撃(2)
「このっ!無礼者!」
『俺はモニカ様の騎士だ』と真剣な眼差しでハッキリと言い切ったジャスパーに、エレノアは手に持っていた紅茶をかけた。
それまで黙って控えていたエリザは慌てて拭こうとするが、彼はそれを手で制止する。
「馬鹿にするのも大概にしなさいよ」
「馬鹿になんてしていませんよ。俺はいつでも大真面目だ」
ジャスパーは挑発するように、髪をかきあげると不敵な笑みを浮かべた。
「…まあ、いいわ。どうせ貴女たちには何も出来やしない。モニカが国境を渡るまでの残り3ヶ月、死んだ方がマシだと思うくらいの地獄を見せてあげる」
エレノアは口元を扇で隠すことも忘れ、奥歯を鳴らしてジャスパーを睨みつけた。
そんな彼女をジャスパーは嘲笑う。
「地獄を見るのは貴女の方ですよ?殿下」
「…どういう意味よ」
彼は妹に目配せして、怪訝な顔をするエレノアの前にとある写真を見せた。
複数枚あるその写真を見て、彼女の顔色はみるみる青くなる。
「…ど、どうしてこんな写真が…」
動揺が隠せないエレノア。
彼女が見せられたものは婚約者でない男と行為に及ぶ自分の写真だった。
「グロスター公の従者と何やら親密なご関係になられたようですね?」
「ち、違っ…」
「この男から殿下がお使いになっている香油の香りがしたものですから、妹の友人に調べさせたのですが、まさかこんなことになろうとは…」
従者を脅して隠し撮りをさせてもらったと、ジャスパーはクツクツと笑う。
エレノアに忠誠を誓っていたはずの騎士たちは、信じられないものを見るような目で彼女を見ていた。
「ノア様の部屋に姫様の宝石があることを知る人物は限られます。姫様かノア様か俺以外だと残りはその従者の彼しかいないんですよ。俺が隣国へ渡る話は彼から聞いたのですね」
現在、従者はノアによって捕縛済みらしい。
エレノアは慌てて写真を破り捨てた。
「その写真は複製です。原本はすでに殿下の婚約者殿にプレゼントとさせていただきました」
「な、何ですって…?」
「婚約者殿は今頃、顔を真っ赤にして怒り狂っておられることでしょう」
清廉潔白なイメージの第一皇女がこんな淫らな女だったなんて、お相手の若き公爵はさぞ落胆したことだろう。
もうすでに第一皇女の結婚式の準備は半分以上進んでいる。日程の予告もしてある。
年明けには結婚式を挙げる予定だった彼女にとって、現段階での婚約破棄は大きな痛手だ。
「姫様を陥れるためのコマが欲しかったのでしょうが、残念でしたね。この国において女性の不貞は男性の不貞よりも罪が重い。婚約破棄、おめでとうございます」
エレノアが軽率な行動を取ったおかげで、彼女がホークスだという証拠がなくても、こうして追い詰めることができたとジャスパーは感謝の意をこめて頭を下げる。
ただただ煽っているようにしか見えないこの行動に、エレノアは激昂した。
「…殺してやるわ。ここまでわたくしを馬鹿にしたことを後悔させてあげるわ!」
叫ぶエレノアに反応し、彼女の騎士たちが剣を構える。
しかし、彼らがジャスパーに向かって剣を振り上げたその瞬間にはもう、彼らの手に剣は握られていなかった。
エリザが投げた短刀が彼らの手に刺さったのだ。
ジャスパーはスッと立ち上がり、落ちている剣を拾うと肩に担ぐ。
「殺せるものならどうぞ?」
「あ、あなた…足…」
「全治一ヶ月ですからね。無事に回復しました」
「くっ…」
「さて、どうしますか?俺と本気で喧嘩します?」
ジャスパーは濃度の高い殺気を身に纏い、剣を構える。
彼のその気迫に、騎士たちは怖気付き動けなくなってしまった。
さすがは騎士団一の腕を持つと言われるだけの男である。妹のエリザはいつも本気を出しておけばかっこいいのにと小さくため息をこぼした。
「これで貴女はもう欠陥品だ。一番上の姫だけはまともだと言われてきたのに、皇后の地位も地に落ちますねぇ」
「くそ…こうなったら…」
エレノアはチラリと後方へと視線を向けると、小さく頷いた。
すると、茂みの先で何かが蠢く。
「あれ?姫様のところに誰か向かわせたのですか?」
「ふふっ。まずは貴方の大事な人から殺してあげるわ。そばを離れたのが間違いだったわね。今、モニカは一人なのでしょう?知ってる?この庭園からは彼女の住む部屋が見えるのよ」
今に、あの部屋から悲鳴が聞こえて血飛沫が上がるとエレノアは叫ぶ。
その姿はまるで稀代の悪女のようだった。
だが、モニカに手を出されそうになっているのにも関わらず、ジャスパーは余裕だ。
「殿下こそ、ご存知ですか?」
「何を?」
「今、市井では名もなき絵本作家が書いたとある物語が話題になっているそうです。何でも不幸な生い立ちの第四皇女をモデルにした作品らしくて…」
ジャスパー曰く、『王の不義の子として生まれた姫が長年の理不尽ないじめに耐え、最終的には意地悪な姉たちに復讐して、隣国の王子と結婚して幸せになる話』が都で話題となっているらしい。
それはこのひと月の間にノアの恋人である画家のブライアンが描き、エリザの友人が出版社に持ち込み、そしてジャスパーの母やジャクソン侯爵夫人らがたくさんの孤児院に寄付した絵本。
勘の良い民ならこれが宮殿で起きていることだと気づくはずだ。
そして物語通り、意地悪な姉が婚約を破棄された事実が明日の朝刊の一面を飾る。
「この状況で第四皇女が死んだ場合、絵本の内容を知っていれば、誰もが犯人は第一皇女だと連想することでしょう」
不貞による婚約破棄に、異母妹に対するいじめ、さらにその妹を殺害したとなると、流石の皇帝も庇い切れない。
モニカに対する嫌がらせは、この宮殿の中でのみ許された、いわば道楽だ。
日々のいろんな鬱憤の吐け口として、一人の少女をいじめ抜くという非人道的な遊び。それは神の教えに反する行為。
ただでさえ、最近は貴族に対する民の不満が上がってきていると聞く中で、こんな事実を民に知られては皇族の権威は維持できない。
エレノアは先ほどモニカの元に向かった騎士に対し、やっぱりやめろと叫んだ。
だが、彼に彼女の言葉は届いていない。
エレノアは焦ってドレスのまま塔の下へと走った。ジャスパーたちも後を追う。
「待って!やめて!その女に手を出してはダメ!」
エレノアが辺りを見渡しながら呼びかけるが、先ほど向かった騎士の姿はない。
「嘘…。待って…殺しちゃダメなの!」
彼女は塔の下からモニカの部屋に向かって叫んだ。
すると、次の瞬間。
突然バケツをひっくり返したような雨が彼女に降りかかる。
「…え?」
何が起きたのか理解できない様子のエレノアがゆっくりと顔をあげると、そこには自分の部屋の窓からバケツをひっくり返しているモニカの姿があった。
「落ちてきたのがシャンデリアでなくて良かったですね、エレノア姉様」
モニカはバケツを窓から落とすと、窓の桟に足を掛けてそのまま飛び降りた。
ふわりと宙を舞い、降りてきた彼女をジャスパーはしっかりと受け止める。
「ありがとう、ジャスパー」
「あまりに軽いので天使様が舞い降りてきたのかと思いました」
「はいはい」
ジャスパーの軽口を軽くあしらうと、モニカは地面に足を着け、肩にかかった蜂蜜色の艶やかな髪を後ろへやる。
そして肩幅に足を開いて胸の前で腕を組んだ。
「お姉様。私は今、とてもいい気分です」
姉を見下ろし、勝利の微笑みを浮かべるモニカにエレノアはふるふると肩を振るわせる。
「…っ!許さない許さない許さない!絶対に許さない!」
びしょ濡れになった髪をかきあげた彼女は、鋭い目つきでモニカを睨む。
だが彼女にはもうこれ以上、どうすることもできなかった。
反撃しようにも、彼女が今から真っ先にやらねばならないのは婚約者への弁明と皇帝への説明。
その後は事態の収拾に右往左往することになるだろう。
落ち着きを取り戻した頃にはもう、モニカは国境を超えている。
「覚えていなさいよ!!」
エレノアはそう捨て台詞を吐いて悔しそうに唇を噛み締めながら、その場を走り去っていった。
水で濡れて重くなったドレスを引きずりながら、去っていく姉を見つめていたモニカは隣に立つジャスパーに軽くもたれかかる。
「…大丈夫かしら。報復が怖いわ」
「大丈夫ですよ。国境を超えたらそう簡単に手出しはできません」
「まあ、それもそうね」
これは、もうすぐいなくなるからこそ出来る荒技。モニカの最初で最後の大きな反撃だった。
モニカはふぅ、と小さく息を吐くと大きく背伸びをした。
そしてジャスパーを見上げてにっこりと微笑む。
「足が治ったなら輿入れの準備を手伝って?」
「了解っす」
やり切った表情の主人にジャスパーは破顔した。




