30:姫様症候群の曲者兄妹
「いかがでしょう?姫様」
テーブルに並んだ色とりどりの豪華な食事を前に、モニカは絶句した。
エプロン姿のエリザはサラダを取り分けると、それを彼女の前に置く。
「これ、エリザが作ったの?」
「はい。エリザが作りました」
「すごいわね…」
宮廷料理人に引けを取らないほどの腕前だ。
モニカは彼女が作ったふわふわのオムレツにナイフを入れる。するとトロッと半熟の卵が流れ出てきた。
その光景に思わず唾を飲み込む。
そして、フォークに載せたオムレツを口に含んだモニカは、大きく目を見開いてエリザを見た。
彼女のその表情にエリザからは自然と笑みが溢れる。
「美味しゅうございますか?姫様」
「ええ!すごく!」
「それは良うございました。エリザの作るものが姫様の血となり肉となるのかと思うと…滾りますわ」
「…そ、その言い方は何だか怖いわ」
「変態が滲み出てるぞ、エリザ。とりあえず座れ」
「お兄様よりはマシかと思います。では失礼して…」
エリザは自分も席に着くと、実は都でも有名な料理人に弟子入りしたことがあるのだと話した。
他にも軍での傭兵経験や有名デザイナーのお針子として働いた経験など、さまざまな話をモニカにした。
「エリザはいつか姫様のお側に行くために、色々と技術を身につけましたわ」
「…そんな事、一言も言ってなかったじゃない」
「言えば止められますもの。ねえ、姫様。エリザはお兄様より優良物件ですのよ?」
炊事洗濯に針仕事、同性だからドレスの着付けやお風呂の手伝いまで全てできると彼女は胸を張ってアピールする。
「だから、お側においていただけますか?」
「そばにいてくれるの?」
「姫様がお許しをくださるのなら、未来永劫貴女に忠誠を誓います。そしてあわよくば姫様のお子を育てたいです」
「…ちょっと重くない?」
「今更気づいたのですか?重いのですよ?エリザたち兄妹は」
「貴女、そんな感じだったっけ?」
「隠していただけで、昔からこんな感じですわ」
そう言って不敵に微笑むエリザの姿は、彼の兄とよく重なる。
「エリザ、これからよろしくお願いします」
モニカは深々と頭を下げた。
すると、エリザは満足げに『こちらこそです』と笑った。
傷つけたくないからと遠ざけている間に、エリザはとんでもない令嬢に成長していた。
なぜ自分にそこまで執着してくれるのかは理解できないが、モニカは彼女が自分の側にいたいと思ってくれることが素直に嬉しい。
先ほどまでの不安そうな雰囲気がなくなり、本当に楽しそうに笑うモニカを見て、ジャスパーは安心したように笑みをこぼした。
「さて、姫様。これからのことですが、よろしいですか?」
「これからのこと?」
「はい。実はホークスを追い詰めることができそうなんですよね」
「…え?」
サラダをかき込みながら、ジャスパーはシレッとそう言う。
「姫様はホークスことエレノア様を追い詰めるなんて不可能だと思っているでしょう?」
「もちろんよ。だってエレノア姉様は証拠を残していない」
「確かに、直接何かをしたという決定的な証拠は得られません。けれど、実は状況的に彼女を追い詰めることができる証拠はあるのです」
ジャスパーはニヤリと口角を上げた。
そう語る彼の表情は、モニカには魔王に見えた。
*
ジャスパーはいくつかの証拠が用意できていると言う。
彼はナイフとフォークをテーブルに置き、ナプキンで口元を拭くと、胸ポケットからとある手紙を取り出した。
そしてそれをモニカに渡す。
「こ、これは?」
「一つ目の証拠である、紹介状です」
「もしかして…」
「そうです。ホークスからジョシュア様に渡された物です。エリザ曰く、この用紙に染み込ませている香油も珍しいもので、上客しか手に入れることができないそうです。そして現在、エリザの友人に顧客リストを手に入れるよう頼んでいます。数日中には手に入るかと」
その店のVIPは複数いるため、決定的な証拠にはならないが、それでも顧客リストの中にエレノアの名前があれば追い詰める材料にはなる。エリザは兄の言葉にそう付け加えた。
ドヤ顔でそう語る兄妹を横目に、モニカは手に持つ紹介状をジーッと眺めながら呟く。
「えーっと…、ど、どうしてこれを?」
これは騎士団が証拠として預かっているもののはず。それをなぜ持っているのかが理解できない。
一瞬だけ、屯所に忍び込んで盗んできたのかとも思ったが、ジャスパーの足を見て『ありえないか』とホッとして胸を撫で下ろした。
「さすがに盗んでませんよ。信用ないなぁ」
「何も言ってないでしょうが」
「言わなくても顔を見ていればわかります。心配しなくても、これはちゃんと騎士団のアンダーソン伯爵と交渉して借りてきた物ですよ」
「…交渉?」
「ええ」
『交渉』と言っているが、ジャスパーは闇の組織もびっくりなほどに悪い顔をしている。
これはおそらく、交渉という名目で脅してきたのだろう。モニカは呆れたように小さくため息をついた。
そんな彼女をよそに、ジャスパーは人差し指を立てて事の経緯を説明する。
「シャンデリアに仕掛けられていた爆弾は起爆装置で作動する物だそうです。つまり、起爆装置を押さなければ爆発することはなかった。そしてシャンデリアが落ちた瞬間、起爆装置を持っていた者はジョシュアたちを回収しにきたアンダーソン伯爵だそうです。ね?エリザ」
「ええ。あの瞬間、起爆装置を持っていたのはアンダーソン伯爵でした」
「まさか、彼もグルだったと言うの?」
アンダーソン伯爵はモニカにも比較的友好的だった。だからモニカにとってはなかなか信じ難いことだ。
しかし、ジャスパーが言うには彼はエレノア付きの騎士だった時代から彼女に傾倒していたらしい。
彼女に頼み込まれて手を貸してしまってもおかしくはないという。
「伯爵が溺愛する奥方の写真をチラつかせたら素直に白状してくれました。ジョシュアから爆弾を受け取り、それをシャンデリアに設置したことも、どさくさに紛れて起爆装置を押したことも」
「…なんて脅したの?」
「別に?『俺は人妻とか簡単に落とせますよ』って言っただけです」
「まさかの脅し文句だった!よく殺されなかったわね」
「エリザが背後を取っていたもので」
「…お、おそろしい」
エリザは自分に後ろを取られるなど、騎士としてどうかと思うと憤慨する。
だが、ジャスパーに狙われて落ちない女はいないわけで、薄く笑みを浮かべた彼に、暗に『妻に手を出すぞ』と脅された伯爵は動揺して反応に遅れてしまったのだろうとモニカは思う。
「続けて良いですか?」
「どうぞ…」
「では二つ目の証拠です。昨夜ノア様の部屋の窓に書かれていた口紅の文字。あれを確認してきましたが、わずかにですが金粉が混じっていました」
「今、エリザの友人に頼んで、ノア様の部屋の窓に書かれていた口紅のメーカーを調べてもらっておりますの。最近話題の品物らしいのですが、金粉入りのものは特定の上客にしか販売されていないようなので、こちらも顧客リストが手に入れば証拠の一つにはできるでしょう」
「そ、そう…」
「そして最後はこれです」
ジャスパーはエリザに目配せすると、クローゼットの中から赤い汚れのついた布の切れ端を持って来させた。
その手触りは上質なものだが、何か衣装を仕立てた時に出た端切れとしては裁断面が雑すぎる。
モニカは怪訝な表情でジャスパーに説明を求めた。
「それは今朝、エリザに頼んで焼却炉から回収させたものです」
彼曰く、昨夜の夜会の前、ノアの部屋の扉の下の方に赤い塗料を塗っていたらしい。
モニカのアクセサリーが彼の部屋にある事を誰かに知られた場合、双子姉妹あたりが盗むか壊しに来ると踏んでいたジャスパーは、服に付着した塗料から犯人を特定できるよう罠を張っていたのだ。
そして今朝、焼却炉には赤い塗料のついたシルバーの布地が捨てられていたのをエリザが回収している。
「裾の広がったドレスを着て、ドアをくぐれば間違いなく塗料は裾につくと思いましてね」
「そ、そんなことをしていたの?驚きだわ」
「万が一のことを考えてです。後数ヶ月もすればこの国からおさらばするんですから、最後くらいやり返してもバチは当たらないでしょう?」
本当は『他国の王族の部屋に侵入した』という証拠を突きつけて、双子姉妹にお灸を据えることが目的だったのだが、予想以上に大物が釣れてしまったとジャスパーは苦笑した。
「細かく破られていましたが、一つの袋にまとめて捨ててあったので容易に回収できました。ちなみに、生地から推測するにドレスはマダム・スミスのオーダーメイド品。光沢のあるシルバーの生地に金糸の刺繍で薔薇をモチーフにした柄があしらわれた一点ものですわ」
「…エレノア姉様が昨夜着ていらした物ね…。」
「ええ、そうです。マダム・スミスに問い合わせれば誰のものかはハッキリするでしょう」
これで、ノアの部屋に侵入したことは証明できるとエリザは言う。
だが…。
「どれも弱いわね」
モニカはぽつりと呟いた。
口紅も香油もリストの中にエレノアの名があるというだけだし、ドレスの切れ端はノアの部屋に侵入したことしか証明できない。
伯爵の証言は、所詮エレノアが否定すればなかった事になる。
「…そもそも、私たちが何を言っても、どれだけの証拠を集めても、正式な皇族である姉様たちに何か出来るわけではないわ」
それほどまでに第四皇女に力はないのだ。
せっかく集めてくれたのに申し訳ないとモニカは小さくため息をこぼす。
そんな彼女にジャスパーは優しく告げた。
「姫様、今まではそうでした。でも今回ばかりは違うのです」と。
そう語る彼は何故か自信に溢れていて、勝利を確信したような表情をしていた。




