13:婚約者と夕食会(1)
その日のモニカは、城に滞在しているノアの申し出で夕食を一緒に摂ることとなっていた。
彼女はその知らせを受けてすぐに調理場に食材をもらいに行き、そして塔にある簡易キッチンで意気揚々と夕食を作る。
「自炊する姫って珍しいですよね」
ジャスパーはテーブルにカトラリーを並べながら、相変わらず機能性重視の質素なワンピースに身を包み、エプロン姿で料理をする主人に声をかけた。
モニカはスープの味見をしながら『殺されないためには仕方がない』と答える。
「結局、この宮殿の中では誰が味方で誰が敵かわからないのだから、仕方がないでしょう?嫌なら食べなくても良いのよ?」
「食べますよ。姫様のご飯は美味しいから好きです」
「ふふっ。それはよかったわ」
たくさん食べてね、とモニカはそう言って笑った。
シンプルな装飾のないテーブルと椅子。そして家具類。唯一あるのは一枚だけ飾られた名も無き画家の港の風景画だけ。
そこらへんのちょっとお金持ちの平民とほぼ変わらない暮らしを城の中でしている姫など、どこの世界を探してもモニカくらいだろう。
長年この生活を続けているが、それに文句も言わない彼女が、ジャスパーはたまに心配になる。
「…ねぇ姫様。エリザが姫様の侍女として城に上がりたいって言ってましたよ?この間」
信頼できる人間はもう身近に置いておいたほうが良いとジャスパーは言う。
食事だって、今も彼の母が侍女をしていたら彼女は自分で用意することもなかったかもしれない。
少しでも味方を増やして欲しい彼は、妹のエリザは今でもモニカを慕っており、常々彼女の侍女になりたいと言っていることを告げた。
しかし、モニカは首を横に振る。
「だめよ。何のためにこの城から出したのかわからないじゃない」
今だって学園でもエリザが無駄にとばっちりを受けることがないよう関わりを殆ど絶っているというのに、侍女になってしまえばどんな嫌がらせを受けるかわかったものではない。
食事の準備を終え、テーブルの飾り付けを始めたモニカは、人懐っこいエリザの顔を思い出しながら優しくジャスパーを諭す。
「エリザとは、たまにお忍びで会うくらいが丁度良いの。私はあの子を泣かせたくないわ。あの子が泣くことで彼女の母親が傷つくところも、見たくない」
「エリザはそんなに弱くありません。姫様に憧れて育った子ですから、姫様みたいに気が強いんです」
「何を言ってるのかしら?私は別に気が強くないわ。むしろ弱い方よ。か弱いお姫様よ」
「どの口が言うんですか。売られた喧嘩を買わなかったことなどなかったくせに」
「喧嘩を売って買ってもらえないと相手が惨めになるでしょう。かわいそうだから仕方なく買ってあげてるのよ」
モニカはプイッと横を向いた。本当にああ言えばこう言う女だ。
「とにかく!そろそろ侍女は必要だと思います。これから隣国に嫁ぐわけですし、ついてきてくれる侍女を見繕っておいた方がよくないですか?」
「それこそ、エリザに申し訳ないわ。あの子の人生を私に縛り付けて良いはずがないもの。私は一人で嫁ぐから気にしなくていい」
「侍女の一人も付けずに嫁ぐ姫なんて聞いたことありませんけど」
「私が前例になるわ」
「絶対向こうの使用人にも舐められますよ」
「それでも、きっとこの宮殿よりもずっと穏やかに過ごせると思うわ」
少なくとも、ノアが雇っているのだからこの宮殿の人間よりは常識があると思うだろうと、モニカは言う。
確かにそうだと思うが、それでもジャスパーは不安だった。
何故なら嫁いだ後、隣国で彼女がどんな生活を送るのか、自分は知る術がないのだ
そう思うと彼は胸が苦しくなった。
できることなら、自分の目が届かないところで幸せにも不幸にもなってほしくない。
「じゃあ姫様…俺は?」
「俺はって、何?」
「…俺のことは…連れていけませんか?」
「へ?」
ジャスパーはテーブルを飾り付けるモニカの手に自分の手を添えて、俯いたまま小さくそう尋ねた。
自分でも馬鹿なことを聞いていると思う。男の側仕え、それも自分の妻になる女性に対して邪な感情を抱いている男を連れていくなどノアが許すはずもない。
彼は『やっぱ無し』と誤魔化すような笑顔で顔を上げた。
すると…。
「聞いてみようか?」
モニカはキョトンとした顔で、ノアに護衛を連れて行って良いか聞いてみると言い出した。
流石にこの発言にはジャスパーも開いた口が塞がらない。
「何言ってんの?」
「貴方が言ってきたんでしょうが」
言い出しっぺのくせに、呆れ顔で見てくる彼の肩をモニカは軽く小突いた。
「ついて来たいのなら交渉はしてあげるけど、でも本当にいいの?それってキャリアを捨てるも同然よ?」
隣国へ嫁ぐ姫について行くとなれば、大国の騎士団を退団することになる。
問題児といえど皇族の護衛ができる第一近衛騎士隊に所属しているのに、そのキャリアを捨てることになるのだ。
「それでもいいのなら、話つけてあげるけど…。ノア様は貴方のことを気に入っていたし、多分OKをくださるとは思う」
「え?姫様は俺がついて行くことは嫌じゃないんですか?」
「なんで?別に嫌じゃないけど…」
「それって、エリザはダメだけど、俺の人生は縛り付けても良いってことですか?」
「だって、寂しいんでしょう?」
モニカはイタズラっぽい笑みを浮かべて彼を見上げる。
寂しがる犬を置いては行けないということだろうか。嬉しいような不服なような、複雑な心境である。
(…人の気も知らないで)
ジャスパーはモニカの手に重ねていた自分の手をそのまま彼女の手首へを滑らせて、強く掴む。そしてグイッと自分の方へと彼女を引き寄せた。
体勢を崩した彼女は彼の胸にポスっと収まる。
「え?何?」
日頃から軽率に自分に触れてくると思っていたが、自分を見つめるその紫の瞳が少しいつもと様子が違うように感じた。
何だか胸の奥がソワソワするモニカは、彼の胸の中からすぐさま脱出せねばならないような気がして身を捩る。
すると、ジャスパーは突然、彼女の耳に息を吹きかけた。
「ひゃっ!?」
モニカは鳥肌が立つような感覚を覚えて咄嗟に彼から離れ、耳を押さえる。
「何すんのよ!」
「なんか腹立ったんで」
「はぁ!?何それ。意味わかんない!」
発情期の猫のようにシャーっと威嚇するモニカに対し、ジャスパーはまた何ともいえない複雑な表情をして『とりあえず交渉しといてください』と言って部屋を出た。
「だから、どうしてそんな微妙な顔をするのよ…」
彼の心情がわからないモニカもまた、難しい顔をした。




