79.だからちょっと歌ってみますね
「っ!・・・」
わたくしは、立ち上がってこちらへ振り向いた子供の顔を目にした刹那、自分の声を封じた。
淑女たるもの、安易に感情を表すものではない。
自習でおさらいしている淑女教育の成果が、ここで現れたのはなによりだと詰めた息をこっそりと吐きだす。
もう一呼吸して冷静に、は、なれなかったけれど、動悸をおさえつつあらためて窓の外にいる者の足元を見る。
そして、その子供と思われる小さな体に、しっかりとした木靴を履いた足が二本あることを確認し、あらためて悲鳴を上げなかった自分を褒めた。
ふぅーーー。
よく我慢したわね、わたくし。
これはオバケの類ではなく、生きた人間の子供よ。たぶん。
ええ、嫌な子供だわ。
わたくしがうっかりメリーさん的に声掛けをして怖がらせてしまったことへの報復にしても、半沢、いえ、三倍返しで驚かすことはないでしょうに。
未だ正確な状況は不明。
少し冷静になったものの、奇妙なものには関わらなければよかったとしか思えない。
それでも、今見ている状態がわたくしの思っている通りならば、これはこのままそっと立ち去れるのでは?
そう考えてそろりと足を一歩後ろへ動かした瞬間、「だあれ?」とその子供に問われてしまったので動けなくなった。
木綿と思われる生成りの服がワンピース型なので、性別は女の子なのだろう。
七分袖の二の腕の部分には小さな赤いリボンも縫い付けられている。
被っている、色のくすんだ青い帽子は、子供用にしてはつばが大きいもののそこまでおかしいことはない。
では、わたくしがいったいなにに対して驚いたかというと、子供がこちらを見上げたことで帽子のつばが上がって見えた、その顔だった。
大丈夫よー。落ち着いて、わたくし。
不意打ちだったせいで大げさに驚いてしまったけれど、よく見れば黒い布を被っているだけだわ。
その子供の顔は、鼻の下まで黒い布で覆われていた。
たしかに、貴族が素顔を隠すためのベールや、葬儀の際などに用いる黒いベールはある。
しかし、それらの生地は透ける程度の薄さであり、このように光を通さないであろうほどの厚みがあるものではない。
だから、当然目と鼻の形がわからないために、不気味さと若干の威圧感を受けてしまったのだ。
しかし、それでも色が黒であったことはまだましだと思おう。
これがもし肌色だったのならば、のっぺらぼうが現れた!と悲鳴を上げて腰を抜かしたに違いないのだから。
「シスター?」
その子供は、こちら側に顔を向けているにも関わらず、やはり布で目隠しされて見えていないのであろう。
どうみても貴族令嬢らしい服を着ているわたくしを、シスターと勘違いしている。
そして貴族ごっこは続行するのか、布を取る気はないようだった。
危ないものに身バレするわけにはいかない。
いきなり容姿について尋ねてしまい、『見~た~な~』的に布を取られて、やはり目鼻がないというホラー展開になる可能性もまだ捨てきれない。
わたくしは、勘違いされているのならばとシスターに擬態すべく、またこっそり一呼吸してからなるべくやさしげな声を出す。
「ど、どうしてこのようなところにお一人でいるのですか?」
うん。見事に上ずったわ。
悪役令嬢には荷が重いわね。
一瞬にして『子供にやさしいシスター』になりきるのは無理だと悟り、この後の会話をどうしようかと思ったけれど、幸いにも彼女はナタリア様タイプのようで、勝手にいろいろ話し出す。
「ミリィね、6歳になったから聖歌隊に入ることにしたの。リタがお金がもらえるからお兄ちゃんのために入った方がいいって言ったから。でもおとーさんもお兄ちゃんも入らなくていいって。だからリタが内緒で行こうって一緒に教会まできたの。リタは後で迎えに来るからって言って帰っちゃったから、隣にきた子が歌を教えてくれたの。でも、すぐにあっちに行ってって言うのよ。ミリィ明るいの痛いでしょ?この布は明るくないのよ。だからここからちょっとだけ見てここまで来たの。あ、『お気遣いなく』って言うんだった。お医者さんはもう良くならないけど悪くもならないって。でもお兄ちゃんのせいではないのよ。顔に棒が当たったのはミリィが立ったからいけないの。ええと、あと、リタはね、お兄ちゃんのお嫁さんになりたいの。内緒なのよ。あ!ミリィのおうちは八番街にあるジオス道具屋よ。『なんでもジオスにおまかせを』って看板があるの。ジオスはミリィのおじいちゃんで、おばあちゃんはコリィよ。お母さんは籠を編んでいるの。朝食べたパンがいつものと違ったのはおとーさんが―――」
うーん。ナタリア様以上に相槌を打つ間もないし、話が止まらないわ。
情報過多なのにいまいちよくわからないし。
それでも、この子は聖歌隊の練習に来た普通の子供で、イミフだった顔の布は遮光の為だというのはわかったわ。
彼女は話の途中で顔を覆う布を少しずらして足元を見るそぶりをしたから、完全に見えないというわけではないようす。
きっと、お兄様がやんちゃに棒を振り回したのが不幸にも当たって目に怪我をしたのね。
それで、明るいと痛みがあるのだわ。
こういう時に他の物語のヒロインならばささっと治してあげられるのでしょうけれど、残念なことにこのゲームのヒロインである、聖女の魔力は万能で・・・はないのよ。
たしか怪我に関しては負ったばかりでないと治せなかったはず。
そのせいでレオン様にもがっかりされて・・・あら?
あのゲームの内容を書き出したノートにも書き洩らしたことをここで思い出したけれど、どういう話だったかしら?
んー。
たしか、王太子ルートでなにかしらの条件がそろった時に発動するイベントで、どなたかが過去に負った怪我を治せるかと殿下に問われたのだけれど、結局ミニゲームをこなしても治療できなかったのよ。ああ、恵美がプレイしていたヒロインがね。
推しの願いを叶えられないだなんてありえないでしょう?
だからどうしたらクリアできるのかと、友達、の?誰だか?に聞いたら『こっちの攻略本にもできないって書いてあるよ』と言われて『できないのになんでやらしたんじゃ!』と荒ぶったものよ。恵美が。
それで、恵美が持っていなかった攻略本2に書いてあるその怪我の経緯を、ついでに教えてもらった気がするのだけれど・・・『そのエピソードいる?』と言ったことくらいしか思い出せないわ。
殿下の周りに怪我人がいるという話は聞かないから、これから発生する事故なのかしら。
だからといって、何一つわからないのだからご忠告申し上げることもできないし。
まあ↑、その怪我を治せず↑、殿下にがっがりされるのは↑、殿下の真実の愛な人なのだしぃ→
わたくしには関係のないことね。
強力な光の魔力をもっているくせに、殿下のお役に立てないだなんて。
なんて使えないヒロインなのでしょう!!!
・・・うん。少し気が晴れたわ。
「シスター?いる?」
「あら、失、いえ、ごめんなさい。憂さ晴らしをしていましたわ」
「でね、おじいちゃんが後でって言ったのにお兄ちゃんが―――」
ああ、また家族のほのぼの話が始まってしまったわ。
ええと、このあとどうすればいいのかしら。
ここまでこの子供の個人情報を聞いてしまっても、わたくしにはなにも関係は無いのだから、切りのいいところで『では、ごきげんよう』と去ってもいいのだけれど。
だが、なぜかここでわたくしは、まだ現れてもいないヒロインに対して謎の対抗心が芽生えた。
んー。
この子供の怪我はすでに定着してしまっているからヒロインにも治療はできないわよね。
となれば、ヒロインがこの子供から同じ話をされても、対処は悪役令嬢と変わらないということだわ。
ここはヒロインにはできない別角度でこの子に対してなにか善きことをすれば、ルーチェより優位に立てるのではないかしら。
話を聞く限りでは、この子供にはきちんとした保護者がいるのだし、ぱっと見てできそうなことといえば、わたくしがびびってしまったこの黒い布をどうにかすることね。
きっと、『あっちに行って』と言ったという子も、この不気味さに耐えられなかったのでしょうし。
やはり色が黒の単色だから印象が悪いのだわ。
だから工夫をすればいいのよ。
目を暗くするために黒は必需ならば、その上に白い布を・・・それはそれである意味怖いわね。
そうだわ!女の子なのだから、レースを付けた布ならばかわいらしいのではないかしら。
そう考えてポシェットからレースのハンカチをさっと取り出してみたものの、それは殿下の尊い唇が当たった奇跡の指を拭いたハンカチだった。
・・・ちょっと、お待ちなさいな、わたくし?
宝物にするはずだったこれを?渡してしまえるの?
でも、ハンカチはこの1枚しかないし、これの他となると服についているレース、は、まさか破れないし。
・・・・・・。
ああ!ダメね!
だってこのハンカチ、イニシャルではなく堂々と『エミリアーヌ・マルセルム』と刺繍してあるのよ。
平民が、腐っても侯爵令嬢の物を持っていては、あらぬ疑いやトラブルを招きかねないでしょう?
うん、うん。これはダメよね、仕舞いましょう、仕舞いましょう。
自分に都合のいい言い訳をしながら、ハンカチをさっさとポシェットに戻して改めて考える。
他にわたくしだけにできること・・・・・・うん。特になかったわ。
所詮、わたくしは家の威を借る悪役令嬢であって、できることなどたかが知れているのだから。
ええ、今日はもう気持ちの目まぐるしさから疲れていたところに、ホラー要素もあっておかしくなっているのね。
やはりヒロインには勝てないのだから、変な欲をかくのはやめま・・・ああ!そうだわ。
ひとつ閃いたので、子供の話が途切れたところでまたもやシスターの擬態に挑戦する。
「そう。素敵なご家族ね。お話を聞かせてくださってありがとう。そうだわ、ミリィさん。ここへ来ていることが内緒ならば、ご家族に楽譜を見ていただくわけにはいかないのでしょう?よろしければ、わたく、私が、歌をお教えしましょうか?」
話の中で、内緒だから家では歌の練習ができないと言っていたのでそう提案する。
「ほんと?!あっちに行ってって言わない?」
「ええ。では、その楽譜を見せてくださる?」
「・・・これね?!ミリィ、ちょっとだけ見えると言ったらくれたんだけど、これはぐちゃぐちゃでわからないの」
彼女は顔に掛けた布の下の部分だけをチラリと動かしてベンチに置いた楽譜を手に取ると、こちらへ渡そうとしてきた。
しかし、腰高の窓なので届かない。
「ああ、窓が高いので届きませんわね。どこかにドアが、え?ちょっと、大丈夫ですの?・・・ああ、そこからでしたら。ええ、もう少し上ですわ。ええ、そのまま、で、はい!もう手を離してもよろしくてよ。気を付けておりてちょうだい。・・・大丈夫ですの?少しお待ちなさい。そのまま座っていらしてもかまわなくてよ」
布を大きく何度か動かし、位置を確認しながら彼女がベンチによじ登ったので、こちらも身を乗り出して楽譜を受け取った。
ついやってしまったけれど、身を乗り出すだなんて令嬢としてははしたないことだったわ。
・・・まあ、誰も見ていないからいいわね。
あなたさえ黙っていて下されば、ばれやしないのだし。
ね?お願いしますわね。
え?いいけど、やさしいシスターの擬態が解けているよ。ですって?
ああ、ベンチに上った彼女にひやひやしたものでつい地が。
ええ、もう無謀なことはやめますわよ。
無事にベンチへ座りなおした彼女を見届けてから、楽譜に目を通す。
ふんふんふん♪
先ほど聞いていた限りではここまでは正確に歌えていたわね。
では、なぜこの先はラララに・・・ああ、なるほど。
『あっちに行って』と言ったという子が、この子に意地悪して途中から教えなかったという可能性も考えていたのだけれど、違ったようだ。
たぶん、次の歌詞を見て、その子なりにこの目の悪い子供に気をつかったのだろう。
わたくしがその立場ならば、ライバルにそういう気遣いはしないでしょうね。
まあ、今回は相手がライバルでもないことだし、逆にその気遣いによって困るのはこの子供なのだから、わたくしはちゃんとお教えしますわよ。
「では、さきほどミリィさんが歌えていなかったところからにしますわね。わたくしの後から復唱してくださいまし」
「うん?」
「少しずつ歌うので、後から歌ってくださいね。では、始めますわよ。『よくみてごらん~♪』」
「・・・よくみてごらん~♪」
「てんへ♪」
「てんへ♪」
彼女がラララで歌っていたところからであったし、課題曲らしく一番しかないので、そのまま最後まで短く刻みながら教える。
「どうかしら?覚えられて?・・・では、通して歌うので聞いていてくださいまし」
彼女が考えている風だったところへ、ちょうど前奏が聞こえてきたので、一曲ご披露することにした。
顔も見えないし、相手もこちらを見ていないし、子供相手だし、恥ずかしくはないわ。
♪
神に捧げる絵を描こう
神より賜りし色で
他の人と同じではない
自分だけの色で
まだ途中だろうけれど
よく見てごらん
天へ召される時に持参する絵は
悪事に染まらぬ誇れる鮮やかさか
♪
歌いながら考える。
どこかで聞いたような歌ね。
悪役令嬢であるわたくしが、大勢の前で堂々と歌える歌ではないしね。
それにしても、やはり楽譜が見えないこの子供が、受験者の多い聖歌隊に入れるとは思えないわ。
『よく見てごらん』
うん、うん。せめて顔の布が外せる程度に回復するといいわね。
「・・・どうかなさって?」
歌い終わったので楽譜から視線を外すと、子供がうつむいているのが見えた。
どうやら、両手で顔を覆っている様子。
まさか、わたくしの歌声で気分が悪くなったとか?
悪役令嬢が自虐かよと、笑いをこらえているとか?
「うーん。なんかキラキラして眩しいの」
「まあ、大変。今日はもうお家にお帰りになった方がよろしくてよ。誰かに送らせますわ」
確かに、先ほどよりも日差しが強くこちらに向いてきている。
移動させようにも、帰らせようにも、誰かに付き添わせた方がいいだろう。
しかし、呼び鈴は向かいの部屋にある。
だから戻ろうと思ったその時に、誰かが彼女の名を呼んだ。
「おーい!ミリィー!どこだー?」
「早く!急いでお知らせを!」
「私は聖堂へ行きます」
「あ!お兄ちゃんだ!」
ええと、急にあちこち騒がしいわね。
廊下の方の声は修道士だと思うのだけれど、鑑定の準備が整ったのかしら。
窓の外を見れば、人を探していると思しき青年っぽい後ろ姿が生垣の向こうにあった。
保護者が来たのならば、わたくしはさっさと去りましょう。
妹が貴族令嬢といるのは、お兄様の心臓に悪いでしょうし。
「ミリィさん、お兄様がいらしたのね?あ、楽譜!ええと、背の後ろに落としておきますわよ。隠して!」
急いで身を乗り出して子供とベンチの背もたれの間に楽譜を落とす。
手探りで手にした楽譜を、彼女が慌ててポケットに押し込むのを見届けてから、窓の脇へ身を隠す。
んー?なんか共犯者になった気分。
なぜこんなことをしているのかしらね、わたくしは。
「では、ミリィさん、わたくしはここで失礼しますわ。試験頑張ってくださいまし」
こそっとそう告げて、子供の返事を待たずにささっと部屋を出る。
幸い、廊下には誰の姿もなかったので、そそくさと元の部屋に戻った。
ふぅ。
疲れたわ。
今日はいったい何をしに来たのだったかしら。




