75.パパの目を盗んではいけません
「エミリアーヌ嬢?どうかなさいましたか?」
ああ、そうだったわ。
マティウスとの会話の途中だったわね。戻らねば。
そうそう、ついうっかり、このチョコレートチップ入りのクッキーが殿下のお好みのものではないか、などと言ってしまったところよね。
「え、あー、ええと、なんでもありませんわ。わたくし勘違いをしていたようですの。どうぞお気になさらず~。おほほほほ」
「そう、ですか・・・いいえ、勘違いかどうか私が確認致しましょう!ですから、そのエミリアーヌ嬢の白魚のような指で、クッキーを私の口へと運んではいただけないものでしょうか」
・・・。
だーかーらー、どうしてそうも絶対にいただけないものだと思わないのかしら。
それだけ普段、女性に断られることがないから自信があるとでもいうの?
きっと、こういうことをあちらこちらで言っているに違いないわね。本当に嫌だわ。
わたくしは、口元に開いていた扇をわざとばさりと音を立てて半分閉じる。
「白魚を口へ押し込んでいただけないものかとおっしゃるのなら、喜んでやって差し上げますわよ」
「ふっ、ふふ。おっと失礼。その麗しい唇から、面白い冗談が零れるとは思わなかったもので」
・・・。
笑っていないことをわかりやすくしたというのに、よくもまあ、冗談だと受け取れるものね。
今ならもれなく本気でやって『いただけます』わよ。
だから、さっさと本物の白魚を手配してちょうだい。
「マティウス」
急な横からの、いつもよりは低いけれど相変わらずの素敵(ハート)ボイスでの呼びかけに、反射的に扇を閉じて姿勢を正す。
いけない。殿下がおかんむりよ。
なるべくコソコソ話していたのだけれど、思考のお邪魔をしてしまったようだわ。
「は、はい、殿下」
マティウスは返事をしながらも素早くわたくしの後ろから対面に回ると、クッキーを小皿に取り分け始める。
「あー、その、こちらのお菓子はエミリアーヌ嬢の勘によると殿下のお好きなお味らしいですよ!はい、自分で自分の口に入れます・・・はいはい、毒見は済みました。さあ、どうぞ!お召し上がりください」
「エミリアーヌが私の食の好みを熟知しているだと?」
はっ!?いえいえ、これはたまたま前世で得た知識でございまして、クッキーだけで熟知などとは大げさでございましょう。
『どうやって調べた?食事をしているところを覗いたのか?さてはストーカーか?』と、処刑理由へとこじつけるのは勘弁してくださいまし。
「と、とんでもないことでございます。勘、ではなく、勘違いをした、と申しました、ので、あの、」
わたくしが止める間も無く、殿下がクッキーへ手を伸ばされる。
怪しすぎると口にされないのが当然なのに、ありがたくも殿下はこのやりとりにお付き合いくださるのね・・・ああ、殿下も空腹でしたのね。
それで、ストーカー疑惑の検証と称してお菓子を召し上がろうとなさっているのだわ。
まあ。殿下のちゃっかりさん。
きっと脳を使われたから糖分も欲していらっしゃるのよ。
そういうことなら、なんでも美味しいと感じるはずよね。
ええ、クッキーが美味しかったからやはりストーカーか?と、怪しまれても、そう言い張ってごまかしましょう。
しかし、なぜか、殿下は寸でのところで手を止められると、一度チラリと後ろを確認された。
そして、なぜか、わたくしまでひとり分あいていたソファーの間を詰めてこられると、なにか言いたげにされる。
「あー、エミリアーヌ嬢。えーと、殿下の御手を汚してはいけませんので、どうか、エミリアーヌ嬢がクッキーを殿下の口元まで運んで差し上げて、あー、ほら、あーんってやると喜ばれると思いますよ!」
「はいっ!?」
今までで一番変なことをここで言い出さないでちょうだい!
それならばマティウスが・・・ううん?いや、それはちょっとあれで、いえ、それはそれで・・・
いえ、ちょーっと待ってちょうだい、わたくし!
今は違う世界へ思考を飛ばしている場合ではないわ。
普段からそうされるのが当然のことなのか、殿下はなんのためらいもなくますます間を詰めてこられた。
えぇっ?本当に?御所望で?普段はどなたが?
ああ、わかりましたわ。
メイド兼毒見役でもある恋人様が、毒見のあとにやっていらっしゃるのね。
あ、もしかして、もうお別れしてしまったとか?
それで?今はわたくしにそれをやれと?
本当に?本当にわたくしがやってもよろしくて???
婚約者でもない、ただの一般貴族令嬢の立場、だけではなく、よりにもよって、殿下に嫌われる悪役令嬢であるこのわたくしですのよ?
なにかの間違いとか手違いとかではございませんの?
エミリアーヌとなってからはあまりこういう言葉使いはしないのですけれど、今の心情にぴったりな言葉だから言わせていただきますわね。 『マジで?』
動揺しまくっているというのに、マティウスがわたくしの前に小皿を突き出してきた。
反射で死んでいるはずの右手が勝手にクッキーをつまんでしまう。
以前、家の者達にスノーボールを食べさせて回ったことがあるので、人の口に押し込むことには慣れてはいるけれど、今回の相手はあろうことか殿下。
本当にありえないのに。
しかし、わたくしがクッキーを持っていても、殿下は別に何もおっしゃらずににじり寄られる。
なので左手を添え、一応叩き落とされる覚悟をしてからお隣の殿下の方へと向き直る。
すると、殿下はもう体が触れそうなほどに近かった!
ひぃ!腕も伸ばせませぬ。これは近づき過ぎなのではないでしょうかー!?
「もう少し上だ」
「は、はい。どうぞ」
「エミリアーヌ嬢、セリフが違いますよ」
「あ、あーん?」
ひぃ!おのれマティウス、やってしまったではないの!
今度こそ叩き落とされてしまうわ。
それでも、仰け反りながらクッキーを差し出すわたくしへ向けた視線を、殿下はまったく逸らしては下さらない。
ひー!と叫びたいのを我慢している間に、殿下は、ほんとーに、わたくしが持つクッキーを口にされた。
ゆ、指!指!今、唇、あた、当たったったったー!
「・・・好きだ」
「!?!?!?ー!おおお口に合いましたようでなによりでございますー!」
もう気絶寸前で、殿下の好みを知っていたということをごまかすための言葉が出てこない。
好いているお人に見つめられ、この至近距離で好きだと言われてしまえば、お菓子が好きだと言われたとわかってはいても、これはもう、またもや自分の都合のいいように受け取りたくなる。
きっとゲームのエミリアーヌも、こういう勘違いを重ねたせいで悪役令嬢になってしまったのだわ。
ああ、殿下はなんて罪なお人。
罪?いいえ、殿下はなにをされても無罪。
すべての罪は悪役令嬢が犯したことにされるもの。
はっ!もしかして、毒を振り掛けたりしないか凝視されていた?
この後、殿下のお加減が悪くなられたとしたら、わたくしが毒を盛ったと疑われるのでは?
もう、いったい何度こういう危機に直面するのかしら。
「殿下。なにをしておいでですかな?」
今度は背後からの低い声に、殿下がズサッとわたくしから距離を取られた。
「ち、ああいや、マルセルム侯爵。エミリアーヌが選んだこのクッキーは実に私好みであった。エミリアーヌは私のことがよくわかっておるな。つまりはそういうことだろう?」
ああ、お父様。
もう終了させたはずなのに、またもや間抜けな娘を課金沼に引きずり込もうとなさる殿下を止めてくださいましたのね。ありがとう存じます。
それにしても、そういうこととはいったいどういうことでしょう。
ああ、なるほど。
殿下は、殿下がまだ課金したりないことをわたくしがわかっていて、わざとクッキーの話を持ち出したとおっしゃるのね。
つまりは、わたくしが自主的に課金イベントを受けていた、そういうことだ!と、この課金分の正当性を主張されたのだわ。
はぁ。勘違いから殿下にまたもや最高ランク金額のメニューを追加で出されてしまったようよ。
こうなればもう、今夜はベッドで反芻大会を開催し、代金分以上に悶え尽くしましょう。
とりあえず、殿下はご健勝で相変わらず素敵(ハート)なご様子。
この後罠にはめられるところだった、毒殺未遂断罪コースだけはお父様によって阻止されたようで助かったわ。
お父様、恵美が『殿下がクッキーを召し上がる新スチルをGETしたい!』などと思ったばかりに、またもや代金が嵩み、申し訳ございません。
でも、恵美ももう貴方様の娘の一部ですので、そこはご容赦くださいまし。
「・・・。さて、とりあえず一通りのお話は伺いましたので、現場検証へ参ります。
サミュール伯爵令嬢、引き続きお付き合い願えますかな?」
しばらく、黙って殿下と見合っていたお父様が、ナタリア様に向けてそう優しく問うた。
「んまぁ。それはできかねますわ。わたくし、これから聖女の認定を受けなければなりませんのよ」
しゃべり倒したせいか、修道士にお水のお代わりを要求していたナタリア様が、お父様に対してそう無礼に断ると、入り口近くにいた別の修道士たちが慌てた様子で口を挟む。
「も、申し訳ないのですが、本日はもう鑑定は中止かと、魔道具を止めてしまいました。再起動にはお時間が掛かります」
「先ほどクロード様よりお怪我の程度は軽傷で、明日にはこちらへ来られるとの伝言がありました。マルセルム侯爵令嬢とサミュール伯爵令嬢には、明日、あらためて鑑定を受けにいらしていただきたいのですが、ご都合はいかがでしょうか?」
「んまぁ!それでは間に合いませんわ!皆様ご存じのとおり、三番街にあった我が領地の特産品を扱う店が、すぐそこの!一番街に移転して、明日!オープンしますのよ!そのオープンイベントにサプライズとして、このわたくしが!聖女であると華々しく発表する予定になっていますのに」
なるほど。
その開店準備でお忙しいから、ナタリア様の保護者はここに不在でこれが野放しなのね。
特産品?
ああ、そういえば、サミュール伯領は養蚕が盛んで、織り物がそこそこ有名だったわね。
たしか、絹織物を王族に献上していて?アンテナショップ的なお店が王都のどこだかにあって?どこだかの国の誰だかが訪れたとかなんとか?
以前、そのような自慢話をナタリア様からされたような気がするわ。聞き流したけれど。
「そ、そうですか。では、サミュール伯爵令嬢は本日に。マルセルム侯爵令嬢は明日、クロード様立ち合いのもとで鑑定をお受けいただきたく、」
「んまぁ!だめですわ!わたくし、エミリアーヌ様にも特別に!オープンイベントの御招待状をお送りしましたのよ!エミリアーヌ様も明日は一番街の一等地にある我が新店舗に駆け付けなくてはならないのですから、明日だけはお暇ではありませんわ!」
・・・。
まあ。この寛大なわたくしを、その新店舗にご招待してくださったの?知らないわね。
一番街というと、たしか大聖堂から一本入ったところにある大通りのはず。
ニューヨークの五番街的な感じなのかしらね、どちらも行ったことはないけれど。
まあ、興味はなくとも、わたくしは寛大なのでお祝いくらいは言って差し上げましょう。
「まぁ。それはおめでとうございます。まったく存じ上げなかったもので、お祝いの言葉が遅れましたわ。なにせ重要ではないと判断された書状はわたくしの元には届かないもので。んー、そうですわね、そのうち暇で暇でどうしようもなく暇で、そのうえで気が向きましたらお店の方に寄らせてもらいますわね」
「んまぁ!」
「ああ、そういえば、サミュール伯爵令嬢が今日鑑定を受けられるのでしたら、わたくしも今日受けねばなりませんわ。誕生日順なのですからわたくしが先、そうおっしゃいましたわよね?ナタリア様?」
「え?ええ、エミリアーヌ様のおっしゃる通りですわ。エミリアーヌ様の方がわたくしよりお誕生日が早いのですから、当然わたくしより先に鑑定を受けていただかなければ。ですから、今日!ふたりとも受けますわー!」
お父様に視線を向けると、わたくしへ向けて軽くうなずかれた。
「いいでしょう。サミュール伯爵令嬢の証言はもう十分に伺いましたから、他から調書を取るとします」
その言葉に、お父様の脇でナタリア様の話を書きとめていた人達が部屋の隅にある机へ向かった。
あの調書、さっき後ろからちらりと覗いたら、ナタリア様の『わたくし』の部分を『×』と省略していたのよ。きっと今から書き直すのでしょうね。
たくさん出るから書いていられなかった、というのはわかるけれど、もうそういうことはやめてほしいわ。
危うく吹き出すところだったし、じわるじゃないの。
「わかりました。では鑑定装置の準備をしますので、控えの間にてお待ちを。すぐにご案内いたします」
修道士たちもそれぞれ動き出したので、わたくしも移動のために立ち上がろうと扇を持ちなおす。
すると、すかさず殿下が立ちあがり、わたくしへと手を差し伸べてくださった。
一瞬躊躇してしまったけれど、お断りするという選択肢はこの世に存在し得ないので、すぐさま手をお借りする。
これくらいはもう無料サービス、というわけにはいかないのでしょうか?
「エミリアーヌ。私はこれから義父上と話をする。私はエミリアーヌとの今後のために力を尽くそう。だから・・・待っていてくれないか?」
自力で立ち上がれるというのに、手を預けた殿下にぐいと引き上げられ、ついでにそう耳打ちされた。
うっ。今度は左耳が死んだわ。
いえ、そんなことより、いよいよお父様とお支払いに関するお話をされるのね。
ええ、お話し合いが終わるまで、大人しく控えの間でお待ちしますわ。
それにしても、もうかなりの額になっているのは覚悟できているけれど、お父様に対して力を尽くされるほどの交渉をせねばらならぬほどなの?
『今後のため』ということは、今すぐに全額支払えというわけではないから?
まさか、マルセルム侯爵家をもってしても、分割でないととうてい支払えない額?
それはいったい、何回なら払いきれるの?
60回払いだと、ご、5年?
「それは何年くらい掛かるもので・・・あっ!ああいえ、それはもう、何年でも、何十年でも。どうか、なにとぞ良しなに、切に、よろしくお取り計らいいただきたく存じます」
借金返済の話だからと、こっそり耳打ちしてくださった殿下のお気遣いを無下にしないようにこっそり返しながらも、気持ちの上では叫んでお願いしていた。
そうよ、よく考えてみて!わたくし!
本来二年後に処刑されるわたくしに、返済に何年も掛かる借金があるのよ。
完済までは、生かしておいてくださるかもしれないわ。
だから、できるだけ期間は長い方がいいでしょう!
「ふふ。そんなに長くは私の方が待てないな」
ですわよね。がくり
殿下はお父様を呼び止めに行ってしまわれたので、ナタリア様と共に廊下へ出る。
そして案内人について奥へと進み、角を曲がった。
―――それにしても、クロード不在の今日のうちに魔力属性の鑑定が受けられそうでよかったわ。
やはり、クロード立ち合いのもとで光の魔力持ちだと判断されたら、即座にゲームの強制力が働きそうですものね。
ええ、それは将来、ゲームのクロードルートの断罪の際にクロードが放ったあの言葉と同じことを言われることに繋がるのだから、阻止しなければ。
『あんな弱い光の魔力でも聖女と崇めなければならないのは苦痛だった』
二度と言わせはしないわよ。
―――《一方の人払いされた部屋にて》
「さて、今後もクロード・ファドリックがエミリアーヌに付き纏うようでは、また同じような事件にエミリアーヌが巻き込まれるやもしれぬ。そこでだ、ちょうど元凶を消すためのいい話がある。私は、私の愛するエミリアーヌの為にどんなことでもしよう。もちろん、提案に乗ってくれるだろう?義父上」
「ほう。その呼ばれ方は実に光栄ではありますが、まだまだ実現の可能性は低いですな。まあ、その案が本当に私の愛する娘の為になるというのであらば、協力は惜しみませんが。では、娘に対する本気度を示していただくためにもお話を伺いましょう、王太子殿下」




