71.事件(忘れてるよね)です 4
「で、殿下。畏れながら申し上げます。わたくし、本日履いている靴の踵が高こうございまして、この道ではそれほど早くは歩けません。ですから、ひっ!」
ですから、走って逃げることもできません。もう観念いたしますので、どうぞ連行は他の者にお任せくださいませと続けようとしたのだけれど、無理だった。
なぜなら、殿下の左腕に拘束されている右手を、こっそり引き抜こうとチャレンジしていたのがバレていたようで、殿下の右手によって手の甲を上からがっちりと押さえ込まれてしまったのだから。
しかも殿下は、先ほどまでは着用されていた手袋を、いつのまにか外されている。
つまり、すでに素手。
よって、素手を素手で掴まれている状態!
ひぃぃ。手が、手がぁー。
ああ、わたくしの手がヌルついているとすれば、それは出掛けに塗られた保湿クリームですー。
「うむ。たしかに3日前より背が3cm高いな。ここは砂利もあるから転ぶといけない。私にしっかりつかまるがいい」
「はいぃ」
とっくにしっかりと心情的にも物理的にも捕まっておりますが、これ以上に?
もしや、わたくしがわざと転び、作った隙をついて逃げるやもしれぬとお考えで?
そしてそれを捕らえるのに、手袋で滑べると取り逃がす可能性があるとして外された?
うん、うん。さすがな殿下は、きっと犯罪心理学とか、捕縛方法なども学んでいらっしゃるのね。
それにしても、大きくて温かい手だわ。
はぁ。抑止されているとはいえ、殿下と手を重ねているだなんて。
夢だったけど、夢じゃなかったー。
「では、エミリアーヌ。行こうか」
「はい、殿下(ハート)」
こんな状況なのについ夢見心地でハートを飛ばしながら返事をしてしまった。
けれど、上手いことおとなしく連行に応じると判断されたのか、殿下が満足げに頷かれる。
そして、わたくしの手に重ねられている、殿下の指先が動き始めた。
あら、もう離されてしまうのね、残念だわ~。と、単純に思った。
しかし、予想に反してそれは離れることはなく、なんと、わたくしの指の間に割って入ってくる。
な「っ!」
指を絡められ、親指を親指で撫で上げられる。
そうして、指を弄ばれた後、殿下の指は、ゆっくりと、わたくしの、指の、股を、撫・で・て・か・ら!!!抜けて行った。
――――――んてこと!息が止まってしまっていたわ。
こんなのボーナスステージを最高得点でクリアしても起きなかったのに。
はっ、もしやこれは課金イベントでは?
どこに“料金が発生しますがよろしいですか?YES or NO”の選択肢があったの?
未成年が課金するには親の・・・ああ!わかったわ!保護者であるお父様が承諾なさったからだわ!
どうしましょう。
わたくしはヒロインではないのだから、特別料金も発生しているはずよ。
まさか娘が悪役令嬢だなどとは思いもしない娘LOVEのお父様は、後で来る高額な請求書にさぞや驚かれることでしょうね。
いろいろな意味で心臓がバクバクし、体中の血液がすべて顔に集まってきている。
たぶん、顔は赤くなってしまっているはず。鼻血が出ないことを祈るしかない。
この勢いで吹けば、出血多量で死んでしまうのだから。
ああ、殿下はわたくしに良い思いをさせておきながら、実は裏では借金を負わせ、そのうえでまたもや斬新な方法での処刑をなさろうだなんて。
とりあえず、エロ攻撃の直撃で即死した、指が開いたまま硬直している自分の右手を確認のために見る。
すると、いつの間にか殿下を挟んだ向こう側にいたナタリア様が、ご自分の足元を見ているのも目に入った。
彼女はいつも『いざという時に動けないのは失態ものですもの。特注品ですのよー』と、走りやすそうな靴を履いているのだけれど、その低い靴の踵をわざと上げ出した。
貴女まさか、殿下にエスコートされようとお思いになってその位置に着かれたの?
わたくしは、靴の踵が高いからエスコートを受けているわけではないのよ。
ましてや、貴女は証人なのだから、連行される必要も無いのだし。
そちらへは一瞥もくれず、ひたすらわたくしの動向だけを見張る殿下の視線を感じながら、殿下が歩き出されたので大人しく従う。
ううう。まだ胸の鼓動がドキドキしているのに。負けそうにならないで!わたくし。
あら?死後硬直していた右手の指が閉じた気がするわ。
ああ、右手はすでにゾンビ化してしまったのね。
でも、それを確認する余裕はないのよ。
だって、このクロードの足を踏む目的で履いてきた、凶器になるハイヒールで殿下のおみ足を踏むわけにはいかないのだから。
これ以上、罪と支払い額を増やしてなるものかと、まずは慎重に足を出すことに集中していたわたくしは、追課金がここまですぐに来るものとは思っていなかった。
「以前のように抱き上げたいのだが、義父上の目があるからな」
ひえ!なにかとんでもないことを耳元に囁かれた気がするわ!
巧みで魅惑的な課金イベントの押し売りに、思考回路はショート寸前。
クーリングオフは8日以内にできるかしら。
とりあえず、これ以上加算させられては堪らない。
だから、話題を変えなければと焦ったわたくしは、つい、気になっていたことを口走ってしまった。
「で、殿下、アラン様のよう・・・」
はっ、しまった。アラン様の容態はいかがですか?なんて質問、まだ毒殺未遂事件の概要も聞かないうちから尋ねてしまえば、わたくしが犯人ですと自白しているようなものではないの!?
「ん?アラン?・・・アランに何か用があるのか?」
ほら、容疑が固まって殿下の声がワントーン下がったわよ。
失態でさっと血の気が引く。
とりあえず鼻血噴出死は免れたようだけれど、早く釈明をしなくては。
「あ、いえ、本日のお供がアラン様ではないので、もしかして体調が良ろしくないのではと思いまして。アラン様の兄である我が家の執事のバルトカザルは、わたくしの兄の新婚旅行に同行しておりますから、万が一、アラン様になにかあれば、我が家から連絡をした方が早いかと・・・」
あーもう駄目ね。これではいかにもアラン様に何かあったと知っている前提の話し方よ。
墓穴は向こうの墓地で掘り、ついでに埋まってきますと言えば釈放してくださるかしら。
「・・・アランは予定していた休暇を取っているだけだ。ああ、そういえばアランには、年上の恋人がいるぞ。アランは年上好きのようだから、だいぶ年下のエミリアーヌとは合わぬな。そうだ、今日にも結婚の申し込みをしているやもしれぬぞ!」
「それは・・・よう、ございました」
んん?なぜ殿下はそのようないらぬ個人情報の漏洩を?
とりあえず、このご様子だとアラン様が毒を受けられたわけではないようね。ちぇ
もしかして、毒殺未遂事件自体もなかったとか?
わたくしは、早とちりの勘違いから一人で馬鹿みたいに盛り上がっていたようだわ。
では、これは単にエスコートをしてくださっているということかしら?
ええ、そうね。お優しい殿下のことだから、今現在はまだ無罪であるわたくしには親切にしてくださっているのね。
課金はさせられているけれど。
ああ、なんとかして、請求書の『悪役令嬢 加算分』だけでもお父様へ返さないといけないわね。
どうにか稼ぐ方法はないものかしら。




