63.そんなことより、準備を、したほうが、ね?
「ああ、違います。別件ですよ。決して、昨日メアリがまたお嬢様のティーカップを割ったという話をしにきたのではありませんよ」
「ひぇ!!」
ラウルのあっさりとした暴露にメアリが後ずさる。
その拍子にメアリの手がワゴンに当たり、乗っていたティーカップがガチャンと音を立てた。
メアリ。
そういう落ち着きのない動きをするから割るのではなくて?
怯えなくとも、別にメアリのドジっ子は今に始まったことではないのだから怒る気にもならないわよ。
はぁ、メアリ。
寛大なわたくしだから、そのてへぺろでごまかそうとするのも許してあげるのよ。
間違ってもお母様の前でやるんじゃないわよ。
でも、メアリ。
ここ最近使っていたあのティーカップを割ってしまったのね。
気に入っていただけに残念だわ。
あら、メアリ。
今、あなたがさりげなく割れていないか確認しはじめたティーカップ、それがそうでしょう?
無事じゃない。 無事でしょうね? でも、それが無事ということは・・・
「ねぇ、メアリ。どのティーカップを割ったのかしら?まさか黄色のカップではないでしょうね?」
「えっ?あ、だ、大丈夫です!これと同じものです!お嬢様の一番大切なティーカップには、私は近づくことすら許されていませんから!」
「・・・同じもの?どういうこと?」
今メアリが手にしているティーカップは、他ならぬメアリがこの間のわたくしの誕生日に贈ってくれたもの。
白地に紫のラインが施されているだけのシンプルなティーカップなのだけれど、温まると徐々に内側にぽつぽつと薔薇の蕾の柄が現れ、それが今度は開いて行く仕掛けになっている不思議なカップなの。
だからメアリが淹れる、毎回濃さの違う紅茶であっても目は楽しめるので気に入っているのよ。
「あっ!しまった!えへ。ええとー、実はー、殊の外お嬢様が気に入って下さったのでー、同じものを買ってありましてー。えへへ」
「スペアは残り2客でしたっけ?」
「ラウル!シーです!」
ああ、割ってもバレないようにスペアを用意してあるということね。
って、悪知恵を働かせる前に、体を慎重に働かせなさいな。
今までに何客買ったのかは、問わずにおいてあげるから。
「メアリ。たしかにわたくし、そのカップをとても気に入っているの。メアリがわたくしのために厳選してくれたのでしょう?だからスペアがあるとはいえ、割れてしまうと悲しいわ」
「はいっ!!そうなんです!安い割に面白いなー、ウケたらご褒美にお菓子がもらえるかなー?とか、お嬢様はド派手な赤い薔薇のにしとけばいいか―、とか思って選んだんじゃないんです。以後割らないように気を付けまーす!」
いろいろ漏れているわよ。
そして、そう言っている側からカップを落としそうになって慌てているし。
まったく。前任メイドのアンは、一度たりともそんな粗相はしなかったというのに。
・・・まあ、アンは誕生日にプレゼントをくれたこともなかったけれど。
え?なぜそんなドジっ子をいつまでも部屋付きメイドにしているんだ? ですって?
・・・アンが辞めてしまった後、わがままなお嬢様に付きたがるメイドがいない中、メアリだけが立候補してくれたそうなの。
それを聞いてしまったら無下にはできないでしょう?
「黄色のティーカップというのは、南サロンのカップボードの最上部に飾られているものですよね?バルトしか扱えないと聞きましたが」
あら、ラウル。まだ居やがるのね。ちっ
「別に、そういうわけではないけれど・・・」
「あのティーカップはですねー、バルトの淹れるおいしい紅茶専用なんですよ。お嬢様が落ち込まれた時に、いつもは口うるさいバルトが黙って紅茶を淹れてくれるってとこが嬉しいからなんですよねー?お嬢様」
ああ、そういえばそんなことをうっかりメアリに言ってしまったことがあったわね。
まあ、それも間違いではないけれど。
「メアリ。それをバルトに言っていないでしょうね?」
「はい!バルトには言ってません!」
はぁ。間違いなくバルトに伝わっているわね。
次にお茶を出された時にどんな顔をしたら・・・
いいえ。
もうあのティーカップの出番はないのだから大丈夫よ。
―――あれは、わたくしの8歳の誕生日にエリザベルお姉様が贈って下さったもの。
カップの外側は上品な黄色。
淵に細い緑の蔦の柄。
内底には青い小鳥が一羽。
そう。
殿下の金髪のような綺麗な黄色。
殿下の瞳に時たま現れる緑色。
殿下の普段の瞳の色である、澄んだ青空のような青色。
まさに殿下色のティーカップなのよ。
幼い頃、単純に素敵な王子様のお嫁さんになりたいと張り切って始めた勉強も、殿下が王太子であるがゆえに、王太子妃という肩書を背負うためにどんどん厳しくなって行く。
ただでさえ、同じく王太子妃となるべく勉強なさっていたエリザベルお姉様には最初から2歳差という遅れを取っていた。
本気で王太子妃を目指し、ライバルに勝とうとするのならば、勉強も嬉々としてやれることばかりではない。
正直にいえば、わたくしにも不得意なことがたくさんある。
それを得意と言えるようにするためには、時には辛くてくじけそうになった。
そんな時、バルトはアンを下がらせて、黙ってそのティーカップにおいしい紅茶を淹れてくれる。
メアリがくれたカップとは逆に、紅茶を淹れると青い鳥は消えてしまう。
けれど、飲みながらカップを傾けるとちらちら現れてくれる。
おいしい紅茶を味わい、その青い鳥を見つめながら飲み干した頃には、また、勉強をがんばろうという気になった。
でも、もう王太子妃になることはないからそのための勉強はしない。
青い鳥に青い瞳の殿下を重ね、紅茶と一緒に辛い思いも飲み込んで勉強をするのももう終わり。
だからもうあのティーカップの出番はないの。
いっそ、メアリに扱わせようかと思うけれど、さすがにエリザベルお姉様からの贈り物を割るわけにはいかないでしょう。
だから、いつか。
いつかこの初恋がいい思い出になって、懐かしみながら使えるようになるまでは飾っておきましょう。
「・・・メアリ。そのメアリがくれた、わたくしのお気に入りのカップに・・・なるべくおいしいお茶を淹れてちょうだい」
「はい!お任せを!あ、お湯を沸かしますね。少々お待ちくださーい」
メアリが湯沸し用のポットに両手を向け、魔力操作をしてお湯を沸かし始める。
メアリの魔力属性は水と火で、魔力量は少ないものの、それがかえってお湯を沸かすのにちょうどいいらしい。
『お風呂を沸かすのだけは得意です!』と、初めて挨拶にきた時に言っていた。
使えなさそうなのが来たわと思ったことを思い出しながら、ドジぽちゃメアリが湯沸し用のポットをボンバーしないか見守る。
ちなみに、毎回わたくしがいつもいるソファから一番遠い、ドア近くの隅でやらせているわ。
あら?考えたらあそこで爆発した場合、逃げようにも出口がないわね。
「むむむ。ボコボコ沸騰したらすぐに止める。もう少し。あとちょっと」
「・・・」
「・・・」
「はい!沸きました」
知らぬ間に息を詰めていたようで、ラウルと共に安堵の息を吐く。って、まだ居るし!
「ラウル。そういえばあなた、なにか用事があってここに来たのではなくて?」
「ああ、大した用件ではないので失念しておりました。お嬢様。お手紙をお持ちしました」
「・・・それは大した用件ではないと?それにしても、あなたが持ってくるなんてめずらしいわね。ああ、ジェラルドは忙しいものね」
今朝、アルフ兄様達は新婚旅行に出かけられた。
領地とエスペル王国で、それぞれ披露宴を行うのだそう。
アルフ兄様はそれが決まってから、何度もわたくしに一緒に行こうとおっしゃられたけれど、もちろん毎回お断りしてきた。
最後の方はリディアンヌ様まで『是非!ご一緒に!』とかおっしゃるし。
どこの世界に小姑を連れてハネムーン旅行する新婚がいるのよ!ここにいたけれども!
それで、今朝も出発ギリギリまでふたりから一緒に行こうと粘られたのを、ようやく追い出・・・お見送りしたのよ。
そして、それに護衛や使用人も付いて行ったことと、結婚式の準備と片付けで忙しかった者が休みを取っていることで、我が家はまだ当分人手不足なの。
先ほどは、いつもは長い脚で優雅とさえ思える足取りで歩くジェラルドが、めずらしく庭を走っていたのでびっくりしたわ。
「それで?そのお手紙はどこにあるの?」
「こちらですが、燃やしましょうか?」
そう言ってラウルが自分の胸元を叩く。
執事服の内ポケットに入れているのね。普通はトレーに乗せてくるものよ。
「何を言っているの?読まずに燃やしてしまったら、ご用事はなんでしたでしょうかというお手紙を仕方なく・・・まさか・・・まさか、またファドリック侯爵令息から来たの?」
なんと、アルフ兄様の結婚式の翌朝、クロードから食事のお誘いのお手紙が来たらしいの。
でも、わたくしの元に届くことなくお父様が断って下さったそうよ。
ええ、わたくしは封筒すら見ていないわ。
まあ、たとえわたくしのところへ直接届いたとしても、即刻断るに決まっているけれどね。
わたくしが他の女性のように喜んでお誘いを受けると思っているのかしら。
どれだけ自分に自信があるのよ。 ちっ
それに、聖女批判を断罪する気でしょう?
もう?クロード関係は全てが早い気がするわ。
わたくしが心境を隠すことなくしかめっ面をしていると、ラウルがにやりとしながら封筒を取り出した。
「違いますが、似たようなものですからやはり燃やしましょう」
ラウルが右手で封筒をひらひらと振り、左手の人差しを立てて指の先に小さな火を出した。
あら、爪に火をともすというのはそういう感じ・・・って!?
「ちょ!それ王族専用封筒!?待ちなさい!それは王太子殿下からでしょう?こちらへよこしなさい!」
ラウルが持っていたのは、王族だけが使う特別な柄の入った封筒だった。
ラウルは前に王太子殿下からのカードを燃やした前科があるのよ。
再犯しかねないわ。
すぐに取り上げなければ!と、慌てて立ち上がろうにも、椅子がっ、椅子が重くて動かない!
ダメだわ。座る時も苦労したし、やはり前の椅子に戻してもらいましょう。
わたくしがあたふたしているのを、机を挟んだ向こうからラウルがニヤニヤと見ている。
すると、ラウルの後ろにメアリがひょいと現れ、ラウルから封筒を取り上げた。
「よくやったわ!メアリ、その封筒をわたくしに渡してちょうだい」
「メアリ。あのことをばらされたくなければ、私に返してください」
「え?あのこと?」
ラウルの言葉に、わたくしの方に来ようとしていたメアリの足が止まった。
「メアリ。わたくしに渡せば、ラウルの言うあのことというのも不問にしてあげるし、刑期も3日減してあげるわよ」
「はい!お嬢様!どうぞっ!!」
メアリから受け取ったのは、やはり封蝋に王太子殿下の印璽が押されたものだった。
はー、危ない。危ない。一気に疲れたわ。
って、どうしてわたくしが受け取って当然のものなのに、メアリが得をしているのかしら。
「ラウルさん。こればっかりはいけません。デートの邪魔をすると馬に蹴られますからね」
不服そうにメアリを見るラウルに対して、メアリがメイド長がお説教をするときの口真似をする。
さすが。一番受けているだけあって、似ているわ。って、
「で、デート!?そんなわけないでしょう」
「デート?前のように王城への呼び出しではないのか?」
「ええ、一緒にお買い物に行くんですから、りっぱなデートですね」
「なにを言っているの。元はと言えば誰のせいで、」
「あ!そうでした。申し訳ございませーん」
まったく。主人として責任をとらなくてはならないのにデートだなんて。
え?一緒にでかけるのだからデート?になるの???
恵美でもしたことがないから定義がわからないわ。
「へぇ。買い物に。ああ、お嬢様、私が封を切りましょう」
さっそく開封式を取り行おうと、ペーパーナイフを机の引き出しから取り出すと、ラウルが手を出してきた。
そう言ってまた燃やす気でしょう?騙されないわよ!
「ペーパーナイフくらい使えるわ。ラウルはもう用事が済んだのだから出て行きなさい」
さっさとロイス兄様のところへ行っていちゃいちゃすればいいでしょう。
ああ、違うわ。忙しいジェラルドにこき使われなさいよ。
ラウルが軽く首をすくめたので出て行くのかと思いきや、じっとわたくしのことを見つめてきた。
な、なによ、整った顔で真面目な表情はちょっと・・・あれね、いえ、ラウルだし。
ラウルのことはもう視界に入れないようにして、慎重に封筒にナイフを入れる。
とても綺麗に開封できたのでラウルにドヤ顔をしてやった。
「お嬢様。あんなやさしいのは見かけだけ王子に騙されないようになさってください」
「また不敬なことを。わたくしは少しでも国のお役に立てればと、同行させていただくのよ。それにあたりまえでしょう?次代の王がやさしいだけの人ならば、この国の将来が不安だわ」
言われなくとも、充分に知っているわ。
殿下が本当におやさしければ、悪役令嬢は処刑されたりしないわよ。
「・・・へぇ」
だからなんなのよ。その含みは。
絶対にわたくしのことを、見かけに騙されるお馬鹿さんだと思っていたわね。
頭にきたので、シッシッと言わんばかりに手を振ってやった。
わたくしも不敬かもしれないけれど、気にしないわ。
「あのー、ラウル、さん。それで、あのこととはいったいなんでしょうかー?」
わたくしのしぐさに片眉を上げるという器用なことをしてから出て行こうとしたラウルに、メアリが声を掛けた。
「ここで言ったら不問になるのでしょう?言いませんよ。それより、私が言わなくてもどうせすぐにバレたのですから、変な仕返しはしないでくださいね」
そう言って出て行ったラウルを見送ったメアリが、首をかしげながらワゴンに戻る。
「どうせすぐにバレた?なにを言って・・・ひぇっ!?」
あら、メアリさん。
今度は何事かしら?




