50.処刑は16歳になってから
「こんな男を想って泣くな」
「え!?」
急に抱きしめられた感覚があったかと思えば、上から殿下の美声で身悶えするセリフが降ってきた。
ああ、いけない。つい感情が高ぶってしまって。
落ち着きましょう。
とりあえず録音を。今のセリフを録音したいわ。
んん?今はボイスレコーダーを取りに異世界へ行きたいと神に祈れる状態になくなくない?
え?抱きしめられている?誰に?まさか殿下に?
目に溜まる涙でよく見えないけれど、この香りは殿下で間違いないわ。
なぜ?なぜ?どういうこと?
なぜにわたくしごときが殿下に抱きしめられているの?
殿下とわたくしの間で押しつぶされている扇が、手に当たっていて痛い。
痛いということは、これは妄想でも夢でもないということよね?
ステンドグラスを見上げた状態で抱きしめられたので、わたくしの顔は上を向いている。
わたくしの背丈はたぶん殿下の胸くらいなのだけれど、わたくしが上を向いている状態だからまともに殿下のお顔が真上にある。と思う。
まばたきで目に溜まっている涙を払ってみれば、殿下のお顔がはっきりと!
ひっ!御尊顔がっ!近いー!!!
フリーフォール時と違って真正面!
まだ殿下が眉根を寄せて目を瞑っていらっしゃるからいいものの、開けられたら・・・無理!ひー!
至近距離・至緊距離・死近距離
無理!死ぬる!は、早く離れないと!
ようやく現状把握したわたくしは、急いで体を離そうと身じろぎしてみたものの、殿下の腕はびくともしなかった。
なんとか頭を後方に動かして顎を下げ、顔だけは下ろすと視界の端に殿下の従者の姿がある。
「あ、の、」
そこの従者!わたくしを助けなさい!
ええと、たしか、以前殿下にアランと呼ばれていたわよね?
ちょっと!アラン! アランさんや!
え?・・・まさか?・・・まさかとは思うけれど、アランさん、あなたもしかして後ろを向いていらっしゃるの?
まさかの見て見ぬふり?
さっき、人数に入れられなかったから拗ねているとか?
でもそれは殿下がなさったことよ。
わたくしはちゃんとあなたを認識していたわよ。
ちょっと!こっちを見てちょうだい、くださいませ!お願い致しますっ!
死ぬから。
殿下を引き離して下さらないと、わたくしが死んでしまうから!
いいのね?死にますわよ?心臓がもう壊れちゃうから。
ドキがムネムネしすぎてなんか鼓動が一人分とは思えない立体音響よ!
もう一生分使い切ってしまうわ。
わたくしがこの状態で死んだなら、あなたの御主人様は殺人犯よ?
それでもいいのかしら!?
あ、いいのね。
殿下がわたくしを殺したところで、目撃者はあなたひとり。
たとえ多数であっても、王家の権力でいかようにも処理できるものね。
ああ、わたくし、今からここで死ぬことになるのね。
ゲームですら16歳になってからだったのに、もう?
あー、物語の悪役婚約者に肩入れしたから?
そんな思想の持ち主は早めに排除なさろうと?
それにしても、好きな人に抱きしめられた動悸で逝く処刑方法だなんて斬新すぎるわ。
どこの世界にもきっとないわよ。
わたくしが世界初?歴史に名を遺してもうれしくないから。
「おのれ、エミリアーヌを泣かすなど許せん。あのステンドグラスは破壊しよう」
いいえ、もう涙はとっくに引っ込んでおりますので、どうかお構いなく!
ちょっとアランさん!アラン様!殿下が!殿下がご乱心あそばされているわよ!
王子様のお腕様の力が増したのよ!
力強くて素敵です(ハート)って言っている場合ではないわ。潰されてしまう。
死因は心臓発作から圧迫死に変更されるの?
嘘ではないから!本当に苦しいから!
「う、くっ、殿、下」
先ほどとは別の意味の涙が浮かんできたところで、ようやく従者の動く気配がした。
「殿下。そこまでになさってください。マルセルム嬢が苦しそうです」
「あ。いかん。大丈夫か?」
「はぁはぁ」
ありがとう存じます、アラン様。
できれば次回はもう少し早く・・・次回はないわね。
はぁはぁ。たしかに圧迫からは解放されたけれど、ぜんぜん大丈夫にはならないので、未だわたくしを囲っているこの殿下の腕の中という幸せな牢獄から出してくださいませ。
はぁ。なぜこのような状態に?って、そもそもはわたくしが泣いたのがいけない・・・あ!
「で、殿下!お召し物を!お召し物を汚してしまわなかったでしょうか?」
いけない、また新たな罪を発生させてしまった!?
ええと、大丈夫!鼻水も鼻血も出てる感覚はないわね。
長いまつ毛が標準装備されているエミリアーヌさんには、マスカラは不要なのでパンダにもなっていないはず。
けれど薄化粧はしているのよ。
せっかく今日も、殿下のお召し物が偶然わたくしの服と色被りしていて、リンクコーデだわとこっそり喜んでいたのに。
すぐさま殿下から距離を置いて汚れを確認しようと思うのに、どうしても殿下の腕から抜け出せない。
「マルセルム嬢。落ち着いて下さい。服は(むしろ喜びますから)放っておいて大丈夫ですよ。はい、一度こちらへお座りください」
「あ、おい!」
もがいていたわたくしから殿下を引き剥がした従者は、ゆっくりとわたくしを椅子までエスコートしてくれた。
「はい。ここへお掛けください。大丈夫ですか?お水をお飲みになられますか?マルセルム侯爵家のメイドはどちらに?」
「あ、まだ来ていなくて」
「わかりました。では、私がお水をお持ちしますね」
そして従者は振り向いて殿下に近づくと、なにやら殿下に小声で話を始める。
「殿下も平静に。私は水を取りに行ってまいりますので、これでマルセルム嬢の涙を。ああ、そっと目の周りを押さえるだけになさってくださいね。でもそこまでですよ。いいですね?私はすぐに戻りますからね。すぐに!戻ってまいりますからね?」
ぼそぼそと会話されたので、単語しか聞こえない。
マルセルム嬢――わたくしの?
押さえる――――どこを?
そこまで――――基準?
いいですね―――念押し?
すぐに―――――急ぎで?
アラン様。殿下にハンカチのような物を握らせておいでですけれど、何にお使いに?
やはりお召し物が汚れて・・・って、ま、まさか、ここまでわたくしがなかなか死なないから、次はそれでわたくしの首を絞めましょうとのご提案を?
アラン様はわたくしを助けてくれたのではなかったのですか!?
殿下に、確実に息を止めるにはあの辺りを押さえてくださいと?
そして、わたくしの息が止まるまで絞め、ちゃんと確認してくださいと?
そしてそして、それはすぐに実行してくださいと?
わたくしを座らせたのは逃げられないように?
いえいえ、さすがに絞め跡が残るので、それは悪手だと思います!
今度は絞首刑だなんて。
あの、それならば、あの物語のように斬首刑にしていただけないでしょうか?
まだ苦しむ時間が短くて済むと思うのです、わたくしが。
あ、ほら、殿下がおっしゃった通り、ステンドグラスを割って破片で首が切れたことにすれば・・・あ、教会を血で汚すのはダメね、って、自分で処刑方法を考えてどうするのよ!
「あ、ちょ、」
わたくしがおろおろしている間に従者は去って行く。
あ、待ってちょうだい、くださいませ!アラン様!
目撃者はいないことにするのですか?
まさか、そのためにメイドの所在確認を?
ああ、本当に待って!
最期だからと殿下と完全ふたりきりだなんて。
そんな過剰なお情け、悪役令嬢にはいらないですから!!




