46.あの人は今はいずこ?
「そんなはずはないでしょう」
エリザベルお姉様の冷ややかな否定は、王太子殿下ではないかなとど発言した当人には・・・届いていないようね。
聞こえなかったのか、聞いていないのか。
隣のテーブル席から立ち上がって、身だしなみのチェックを始めたし。
そう。あそこにいるのは、王太子殿下であるはずがないのよ。
前提からしてありえないことだけれど、億千万が一にも王太子殿下がこの場へお越しくださるとなれば、まず先触れがあるし、そうなればこの場にいる全員でお出迎えすることになるでしょう。
あんな風にロイス兄様が横に立つこともなければ、お母様方も着席したまま歓談する、なんてこともなさらないわ。
常識で考えればすぐにわかることなのに。
まあ、常識をお持ちならば、そもそもこの場にいないはずよね。
皆から怪訝な視線を向けられているというのに、いそいそとピンク色のフリフリドレスの皺を払っているのはバーンズ伯爵家の末っ子。
つまり、カトレア様の妹であるジャスミン様。
今日は体調を崩されたカトレア様の代わりに来てくださっていた。
といえば聞こえはいいけれど、それならば改めてジャスミン様のお名前で招待を受けるべきもので、決して当日打診も了承もなくやってきていいものではない。
お客様のお出迎えをしていた執事のバルトが、非常識な訪問に渋い顔をして報告にきたけれど、まさか追い返すわけにもいかないのでお入りいただいた。
お招きした当のカトレア様からは、3日も前に体調を崩しているのでご迷惑をかけるといけないから欠席しますとのご連絡と、わたくしへの誕生日プレゼントが送られてきていた。
だからお礼状とお見舞いの品を送った。ので、お礼状が届いた。
ええ、普通の流れよ。
でも、そのやり取りに一切!ジャスミン様の名は登場していなかったので、本当に唐突だったのよ。
そもそも、ジャスミン様とは初めましてなので、来ていただける義理も義務もない。
ご兄弟はおらず、五人姉妹のカトレア様にもなぜか名簿に要注意マークが付いていたので、親戚関係を紹介するために寄越されたのかしら?と思ったけれど、ジャスミン様ははじめの失礼な挨拶以外に特段話し掛けてもこない。
まったくもって目的がわからないのよね。
ああ、そういえば、ジャスミン様に関する最初の情報は、ナタリア様から聞いたのだったわ。
あれは、王太子殿下の婚約者候補が決まった際に一度顔合わせ兼、今後の説明の為に集められた日のことよ。
本来、バーンズ伯爵家からは次女のダリア様が候補に挙がっていたのだけれど、ご病気により急遽三女のカトレア様がいらしていた。
それで『代わりなど立てずに辞退なさるべきだわ』と隣の席にいたナタリア様が憤慨し『まあ、ジャスミン様でないだけましね』と続け、聞いてもいないのにジャスミン様の話を始めたの。
なんでも、バーンズ伯爵家は上のふたりに重点的に教育を施したために、下の三人は教育が足りておらず、ジャスミン様はどうせカトレアお姉様は落ちるのだから自分が代わりの候補者になると言い張った、とか。
そもそもジャスミン様は空気が読めない、思い込みが激しい、攻撃的だ、などなど。
饒舌なナタリア様に、そういうことだけは情報通ねと感心したものだわ。
そこで『まあ。あなたにそう言われてしまうだなんて、よっぽどね』と、話のお相手をして差し上げたというのに、怒っていらしたけれど。
・・・さて。
もはや懐かしいナタリア様はさておき、今日はジャスミン様が連れてきた従者もなんとなく不気味だし、あまりジャスミン様には関わらないでおこうと思っていたのに、主催者としてはやはり対応しなくてはならないかしら。
そう悩んでいたところで、身支度が済んだらしいジャスミン様が周りを見渡した。
「こんなところで王太子殿下に会えるだなんて。ラウル様を見てみたくて来たけれど、いないしつまらないし、危うく帰るところだったわ。あら、まだ座っているなんて非常識な人ばかりね。こちらから王太子殿下に挨拶に行かないなんて不敬よ!」
んまぁ!(ナタリア様っぽく)
侯爵家がこんなところで申し訳ございません。
そして、ご丁寧な目的説明をありがとう存じます。
ラウルをご鑑賞にいらしたのですね。
それも不思議ですけれど、とりあえず目的に対する疑問が解消できたので今夜はよく眠れそうですわ。
でも、あの調子であちらへ行かれてはまずいわね。
「ジャスミン様。お待ちになって。あの方は王太子殿下ではありませんわ」
中途半端な常識を掲げて走り出しそうなジャスミン様に、そう声を掛けるも「は?」と睨まれてしまった。
まあ、勘違いしてしまうのも仕方がないけれど。
あの人はおばあさまがこの国の元王女なので、殿下と髪の色が似ているし、いまや背格好も同じくらいなのだから。
「うふふ。エミリアーヌ様はお優しいわね」
「ええ。お止めにならなくてもよろしいのに。向こうへ行けば、それなりに歓迎されたでしょうから」
別にわたくしはジャスミン様に優しくしたわけではないのよ。
悪役令嬢を舐めないでいただきたいわ。
あくまでも自分のために、ジャスミン様を止めたのよ。
ええ、あちらへスキップして行ったジャスミン様が「王太子殿下じゃないじゃない!」とか言いそうだからよ。
侯爵子息に向かって、たかが伯爵家の五女が言っていいセリフではないわ。
ジャスミン様もヒロインではないのだから、攻略対象者に向けての無邪気な発言が、好意的にとられることはないのよ。
それも母親である侯爵夫人の前で。
そして今日は向こうに四大侯爵家の夫人が揃っているのよ。
あちらでなにかやらかせば、どれだけ恐ろしい待遇を受けることか。
それでも、ジャスミン様のことは知ったこっちゃないわ。
そこではなく、あとでこの場のジャスミン様のやらかし話があちこちでささやかれる時に『エミリアーヌ様のお茶会で』という枕詞が付くことになるでしょう?
そこまで読んでの保身のためよ。絶対そんなところに名が出るのは避けたいわ。
「嘘をついているのではないでしょうね?」
双眸を細めてロイス兄様の隣に立つ人を凝視し始めたジャスミン様に、そう言われてしまった。
わたくしの隣にいるエリザベルお姉様の扇がパチリ!ギリギリと音を立てたので、大丈夫ですとお姉様に目配せをする。
エリザベルお姉様、その扇はわたくしがお誕生日にプレゼントした物ですわ。
厳選しましたので目の前で折らないでくださいまし。
ここまでエリザベルお姉様が感情を顕わにしているのは珍しいことなのよ。
まあ、ジャスミン様に『初めまして。ようこそおいでくださいました』と挨拶した後にやらかしてくれたことからの積み上げなのだけれど。
わたくしはあの時、非常識な訪問だけれどわざわざ誕生日を祝いに来て下さったのだしと、にこやかにジャスミン様にご挨拶したわ。
寛大なわたくしは、常識として野花の一本でも手折ってくるべきではないかしらと思いはしたけれど、ジャスミン様が手ぶらできたのもよしとしたし。
そして、勉強熱心で性格も良いカトレア様の妹なのだからと、わたくしの顔を見ながら『ふん。まあまあね』と言ったのも聞こえないふりをして差し上げた。
でも、わたくしの隣にいたエリザベルお姉様に向かって『王太子殿下の婚約者がさっさと決まらないのは、それだけ魅力的な人が候補者にいないからじゃないかしら』と言い放ったのはかなりまずかったと思うのよ。
『ええ、おっしゃるとおりかもしれませんわ。そしてジャスミン様が候補者でしたらすぐに決まったことでしょうねぇ』
そこで返事を止めたエリザベルお姉様の、あとに続いたはずの『落選が』という言葉は、その場に居た全員が聞き取ったことでしょう。
『ふふん。やはりそうよね』そう言って顎を上げたジャスミン様以外の全員が。
あれはくだらない小物を相手になさらないエリザベルお姉様で、尚且つジャスミン様がまだ11歳だからその程度のあしらいで済んだのよ。
どうして、あのカトレア様の妹なのにこういう風に仕上がったのかしら。
ああ、もう目的のラウルも王太子殿下もいないのだから、また余計なことを言い出す前に帰って欲しいわ。
わたくしは、本格的にエリザベルお姉様を怒らせないようにしたいと考えるのに精一杯で、自分が怒っている暇はなかった。




