33.お次はまな板の上の鯉の刑
「申し訳ございません。風が強くなった時点でサロンに入っていただくようお声を掛けるべきでした。さあ、御髪を整えましょうね」
鏡を凝視したまま動かないわたくしの背中を、メイド長がやさしく撫でてくれる。
たぶん王族の前でこの姿をさらした失態に、落ち込んでいると思われているのでしょうね。
ぐすん。ここにやさしくしてくれる人がいたわ。
「あの、一度顔を。風で目にゴミが入ってしまったようなので、顔を洗わせて下さい」
一度このひどい顔を洗ってひきしめようと思ってそう言うと、部屋の奥に案内された。
そこでようやく気が回り、この部屋がとても豪華なことに気が付く。
調度品がほとんどなく、現在使われている感じではないというのに、この豪華さはなにかしら。
我が家のお母様のお部屋もやたら豪華だけれど、ここはそれ以上ね。
お母様の部屋はピンクのフリフリで構成され、ザ・かわいいお姫様という感じなのだけれど、この部屋は白を基調にゴールドとブラックの装飾で、高貴なお姫様という感じだわ。
「あの、このお部屋は一体・・・」
「ここは王太子妃のお部屋ですよ」
「えっ!?王・・・え?」
「まだ前王太子妃殿下がお使いになられていた時のままですけどね。ああ、次期王太子妃が決まり次第、改装されますので大丈夫ですよ」
だいじょばないわ!
前王太子妃って、すなわち、現王妃じゃないの!!
「そんな。わたくしは王太子殿下の婚約者候補ですらないのに、使わせていただくわけにはいきませんわ」
「ここの者は誰も文句は言いません!ささ、タオルをお持ちしますからね」
背中を押されて踏み込んだバスルームは、もはや異国。
恵美としてはとうに異世界と異国状態なのだけれど、更に異国!
石油が出る国の宮殿はきっとこんな感じよね。まったく見たことはないけれど。
きゃー!洗面台もものすごく豪華だわ。本当に使わせていただけるの?
現王妃様は、大国エバルリラの元王女様だった方なのよ。
憧れの本物のお姫様の洗面台よー!
テンション爆上がりながらも、恐れ多くてびくびくしながら顔を洗う。
タオルで拭きながら、じりじり近寄ってみたお風呂も素晴らしかった。
え、もしかして、将来殿下の婚約者になったヒロインも、何かあったらここを使うことがあるかもしれないということ?
侯爵令嬢のわたくしでさえびびるのに、平民のルーチェは大丈夫なのかしら。
逆に平民落ちしてしまう可能性のあるわたくしとしては、一生の思い出ね。
はー、小国のお姫様であったお母様には悪いけれど、ご実家に力があるとこうなるのねー。
次期王太子妃が決まると、これを改装してしまうの?なんてもったいないことを。
あ、ルーチェの実家は街の食堂・・・まあ、聖女なのですもの、殿下がそれなりに用意されるわよね。
わたくしが考えることではないわ。
本当は少し涙が浮かんでいた目、というか顔を洗い、しっかり目の保養もしてから、これまた実は豪華だったドレッサーの前へ戻ると、先ほどとは違う、少し年嵩なメイドがふたり待ち構えていた。
「お待ちしておりました!ささ、どうぞお座りになって!包帯はしなくてもよろしいのですよね?お化粧してもよろしいですよね!?おまかせくださいっ!!」
「出番がきたと馳せ参じれば、10分で仕上げろとはなんて無情な!ああ、ドレス選びからしたかった!でも合わせてみせましょう!腕が鳴りますわ!」
「え、あ、はい。よろしく・・・」
ふたりの勢いに押され、ろくに返事もしないうちに座らされる。
そしてなぜか大興奮のふたりは、わたくしにケープを掛け、風で絡まった髪を梳き終わると、ひとりは化粧に取り掛かり、もうひとりは、怒涛の勢いで髪を編み込み始めた。
ええと、これから舞踏会に行くわけではないので、整えてもらえるだけでいい・・・とは、張り切っているこのふたりにはとても言い出せないわ。
そしてここまでされて、残りあと30分くらいの謁見が終わったら、髪をほどいて化粧を落とし、また包帯をして欲しい・・・とも言えない雰囲気よね。
今日はメアリを連れてきていないから、ここでやってもらうしかないのに。
うーん、今日はお母様がお留守だから、このまま包帯なしで帰っても大丈夫かしら。
ここは王城だし、謝罪に来ているわたくしがわがままを言える立場でもないので、もう好きにしてもらいましょうと目を閉じる。
はぁ。それにしても、ようやく前回の謎が解けたわ。
なぜ殿下が、わざわざわたくしを下まで運んでくださったのか、という謎がね。
もちろん、あれが夢を見ていたのではないことは、本当はちゃんとわかっていたけれど、どうにも理由がわからなかったから、夢のようだと思っていたのよね。
ああ、でもあれは、幸せな夢のままであって欲しかったわ。
現実は、階段上りで足を痛めたわたくしが、下りであれ以上に足を痛め、よけいに責任を取れと言い出さぬようにと先手を打たれたのだわ。
え?『いつかここにもこうして運んでやるからな』とおっしゃっていた?
ふふ。あれは思い込みの激しいわたくしの、都合のいい聞き間違いか勘違いよ。
間違いではないとすれば、あそこは拷問部屋なのかもしれないわね。
聞かなかったことにしましょう。
そして無理に謝罪せよという呼び出す理由をつけておき、怪我が治った頃に確認するおつもりだったのだわ。
その証拠に、今日も謝罪など一切させてはもらえないし。
日を置いて呼び出したけれど、まだわたくしが包帯をしているので焦られたでしょうね。
ということは、あの風は殿下にとってはまさに神風ね。
わたくしにとっても、これでもう呼び出されることはないので、怪我ならぬ失態の功名ってところかしら。
「「終わりました」」
ふたりにそう言われて目を開けると、自分でも少し驚くくらいの美少女に仕上がっていた。
地味なドレスがかえって清楚に見えるのに、13歳とは思えぬ色気まで出ている。
さすが王城で働いているだけあって、短時間だったというのにすばらしい腕前だわと感心はするけれど、はっきり言ってやり過ぎよ。
たしかにこれから王太子殿下との謁見の続きに赴くのだから、美しくしてもらえたのは喜ぶべきところなのだけれど、どうせ殿下のお好みではないのにと思うと、ものすごく空しいわ。
やり切った感と物足りなさそうな感のふたりにお礼を言い、大絶賛してくれるやさしいメイド長に連れられてサロンへと戻る。
「この程度か」
「ええ、これが限界かと」
殿下はソファで書類を見ながら従者となにやら話をしていらした。
お仕事でお忙しいのにまだ居て下さったのね。
そんなにまだわたくしの顔を確認なさりたいのかしら。
さあ、エミリアーヌ。美しい顔に微笑みを乗せなさい。
傷跡は化粧で隠せているのだから、そこだけでも綺麗だと殿下にご満足いただけることでしょう。
痛む心は上手に隠すのよ。
この時のために、厳しい淑女教育を受けてきたのだから。




