32.鏡よ鏡、世界で一番・・・
「あー、そのなんだ、今日はずいぶん早くから城にいたのだ、いや、いたのか?」
メイドたちがテラスからはけていってしまい、殿下の従者だけがわたくしの左側の背後に残っている状況になると、ようやく殿下が話しかけて下さった。
今日は水色のドレスを着てきたのだけれど、謀らずも殿下のシャツと色が被っている。
リンクコーデみたいだわ。なんちゃって。
「あ、はい。本日は11時頃参りました」
「そうか。図書館へ行ったのであろう?目当ての本はあったか?欲しい本があるのなら言うがいい」
「え、あ、ありがとう存じます。はい、図書館におりました。寄り道をするなどいたしまして、申し訳ございません」
ああ、いけない。
どうにも先ほどの楽しいやり取りのせいか、まだ浮かれているわ。
よく考えてみれば、謝罪にきたというのに先に図書館へ行くなど反省が足りていないわね。
それにしても、図書館へ行ったことがばれているだなんて。
まあ、わたくしが城で行うことなどたかが知れているから、呼び出しより早い時間に城へ来たわたくしが何をしていたかなんて、聡明な殿下はすぐに考えつかれるわね。
「いや、構わぬ。勉強熱心なのは良いことだ。それで昼は休憩室で過ごしたのであろう?どうだ、部屋は気に入ったか?」
「え?あ、はい。一番良いところを使わせていただいたようで、とても素敵なお部屋でした」
「そうか。では今後もあの部屋を使うといい」
「・・・はい。ありがとう存じます」
「昼は何を食べておったのだ?あれはパンか?いつも従者と一緒に食べているのか?」
「・・・はい。パンを。・・・従者は・・・慣れない、場所だったので、今日は一緒に・・・」
なにかしら。
なにか会話に違和感があるわ。
人払いしてまで話すことでもないし。
「そうか。・・・ところで・・・あ、いや・・・・・・・・・許せ」
殿下がなにか言いかけて止め、一度視線を落として少し考え込まれたかと思えば、急に何かをつぶやいてから強い眼差しでこちらをご覧になられた。
その瞬間、横から突風が吹きつけてきて、かぶっていた鍔の大きい帽子が飛んでしまった。
「きゃっ!」
「取ってまいります」
すぐに従者が拾いに行ってくれたけれど、更にそちらへ風が吹いたのか、帽子はテラスの手すりの向こうまで舞い上がり、そして下へ落ちていってしまった。
「あ」
「アラン、取りに行ってこい」
「・・・はい」
殿下に言われた従者が魔術を使ってふわりと手すりを越え、下へ落ちたのを見送りながら、この間のフリーフォールを思い出して身震いしていると、今度は下から風が吹き上がってきた。
舞い上がる髪を押さえようと手を上げると、ふと頭の締め付けが緩んだ気がした。
風が止むと、白い物がハラハラと目の前を通過する。
つられて下を見ると、一度膝の上に落ちた包帯が、床へ向かって流れそうになっていた。
え?これ、わたくしが顔に巻いていた包帯?取れてしまったの?あ、落ちちゃう。
慌てて包帯をかき集めていると、ふと横に影が差す。
包帯を握ったまま顔をあげると、なぜかわたくしの左横に殿下が立っていらした。
少しかがんだ殿下が、左手を伸ばすと指先ででわたくしの顎を持ち上げ、そしてわたくしの顔を気持ち右側に倒された。
「なんだ、もうほとんどわからぬではないか。これなら責任を取って婚約しなくても良いな・・・ああ、悪い。気が急いてしまってな」
至近距離からわたくしの左頬の傷口を確認していた殿下が、慌てて手を離すと元の席に戻っていかれる。
驚き過ぎて反応もできず、そして何を言われたのか理解が遅れた。
責任を・・・取って・・・婚約?
ああ。
そう。
そうなのね。
わたくしが、責任を取って婚約者にしろと言い出さないか、殿下はずっとご不安だったのね。
そして今、たまたま包帯が取れたことで確認するチャンスだと、つい近寄ってしまったと。
そう。
そういうことね。
そこまでお嫌でしたら、最初から婚約者候補になさらなければよろしかったのに。
そうしたらわたくしも、狩猟大会なぞ行きはしなかったのに。
「・・・はい。ご心配なさらずとも、責任を取っていただくつもりはまったくございませんわ」
少し言葉にトゲが出てしまったけれど、大丈夫。声は震えていない。
包帯を握りしめている手に力を入れることで、痛む心をなだめる。
「ああ、それでいい」
殿下から、憂いの無い、素敵で大好きな笑顔を向けられたので、わたくしも口角を上げる。
従者が帽子を持って戻って来て、わたくしの姿を見て絶句した。
「王太子殿下。恐れ入りますが、包帯を巻き直して身なりを整えさせていただきとう存じます」
「ああ、そうか。アラン、誰か呼んでくれ。・・・でももう包帯はいらぬだろう?よく顔を見たい」
そんなに傷跡を確認して、安心したいとおっしゃるの?
従者が呼んできたメイド長も、わたくしの姿に驚愕したけれど、彼女はすぐに包帯を握りしめているわたくしの左手をやさしく取って立ち上がらせてくれ、かばうように肩を抱いてくれた。
「さ、こちらへ」と促されたので「御前、失礼いたします」と殿下に告げて辞する。
サロンを通過する間、誰かの息を飲む声が聞こえたけれど、そちらを見ることなく足早に廊下へ出た。
きっとみっともない姿をさらしていることでしょう。
侯爵家の令嬢として、ありえない失態だわ。
でもこれは風のせい。
これ以上無様では、お母様に叱られてしまう。
絶対に躓かないようにとだけ考えて歩く。
廊下へ出ると、来た方向とは反対の方へ連れて行かれた。
「包帯をお預かりしますね。さあ、こちらへお座りくださいませ」
ひとつ扉をくぐると、大きなドレッサーの前でそう言われたけれど、わたくしは立ったまま鏡で自分の姿を確認する。
ああ、なんてひどい顔をしているのかしら。
この顔はまだ少し幼いけれど、間違いなく『光の君に口づけを』の悪役令嬢、エミリアーヌ・マルセルム。
そして、恵美がゲームでルーチェとして殿下にやさしくされていた時間の方が多いから、やはり心のどこかでは、いつかあのエンディングのようにやさしくしてもらえるのではないかと、厚かましく思ってしまっている勘違い女の顔。
よく御覧なさい。
なんの不思議もないわ。
嘆く権利さえないのよ。
わたくしはヒロインのルーチェではない。
思い出しなさい。
王太子ルートのわたくしは、殿下にやさしくしてもらえなかった婚約者。
最後にはあの冷たい眼差しを向けられ、婚約破棄を言い渡される悪役令嬢。
そうよ、決して殿下に愛してもらえる存在ではないのよ。
ええ。殿下が悪いわけではないわ。
殿下は貴族の頂点である王族。
内心はどうあれ、好き嫌いをはっきりと出されるはずはない。
あれは強制力で無意識なのだわ。
そうでも思わないとあの仕打ちに耐えられない。
わたくしは鏡に映る自分に言い聞かせる。
これは物語が、悪役令嬢に辛辣なだけ。
この世界が、
わたくしにはやさしくしてくれないだけ。




