19.フリーフォールは膝から下が上がりませんか?
「殿下、なにをなさるのです」
「殿下、どちらへ行かれるのですか」
周りの人々が慌てたように言う中、わたくしのことをお姫様抱っこした殿下はそのままサロンから廊下へ出て、ツカツカと歩いて行かれる。
え?なにこの夢。いやに感触がはっきりとしているわね。
わたくしの背中から左脇に回っている腕と、右肩に当たっている殿下の胸の部分がやけに温かいわ。
「腕を私の首に回しておけよ」
そう零距離でイケボが聞こえ、全身がゾクゾクしてから自分の両腕が中途半端に上がっていることに気が付き、慌てて言われた通りに殿下の首に回す。
え?これいいのかしら?夢だからいいわよね?
安定性が増したところで、行く先を見ていた視線を殿下の顔に移してみた。
ち、近い!眉毛が!まつ毛が!流し目がっ!!
だめよ!耐えなさい!悲鳴を上げたら起きてしまうわ。
まだこの幸せな夢から覚めたくないでしょ!
のけぞりそうになった背中も逆に丸めることで耐えた。
でも、そのせいでよけいに顔が殿下に近くなってしまった気がする。
殿下の肩に頭がもたれているのは、前進しているからであってわざとではないのよ。
息が、息遣いまでもが感じられる気がするけれど、もう動かないことにするわ。
これは夢、これは夢、これは夢よ!
これが現実なら今すぐ死ぬわ。
やっぱり重いと下ろされるくらいなら、もうここに墓を建てて放り込んで下さい。
あ、もしかしてわたくしはもう死んでいるとか?
悪役令嬢は死んで、こんどこそヒロインに生まれ変わったのではないかしら?
それならお姫様抱っこされていることも納得できるわね。
「いつかここにもこうして運んでやるからな」
ひとつのドアの前で急に歩みを遅くした殿下がそうつぶやかれた。
ここ? も、もしかしてここが殿下の寝室なの?
いやん、なんて都合のいい幸せな夢なのかしら~
でもわたくしはヒロインですもの~
はりきって「はい。ぜひ!」とお答えした。 心の中で。
・・・だって、違ったらはずかしいじゃない。
今更ながら殿下の匂いを認識したので吸い込む。すぅはぁ
あ、わたくしは臭くないかしら?階段上りで汗をかいたはず。
これは夢だと思うけれど、夢でも臭ったら嫌だわと焦っているうちに、先ほどの拷問階段のところへ出た。
更に進んで階段空間の中央付近で足を止めた殿下が、わたくしを抱く力を強め
「行くぞ」とおっしゃる。
どちらへ?と問う間もなく宙に一瞬フワって浮いたと思ったら、殿下が手すりをトンと蹴って乗り越え、そのままわたくしたちは落下し始めた。
「ひっ」
突然の浮遊感に身を固くしたけれど、周りを見ればどうやら階段の吹き抜けを真っすぐに落ちているようだった。
あれよ、これは恵美の時に遊園地で乗ったフリーフォールみたいな感じよ。
でもあれは乗るぞと気合を入れて、上がっている間に覚悟を決めて、頂上で後悔してから落ちるものなのよ。
何回か乗ったから落下するこの感じは初体験ではないけれど、事前に落ちるとお知らせだけでもして下さいませー!
しかも肩に安全バーがないのだから手を離したら浮く!
つい殿下の首にしがみつく形で頭に抱き着いてしまった。
落下速度がさほど早くないからなのか、結構時間が長い。
これ、本当に夢よね?
落ちる夢って良くないっていうわよね?
足がビクっとして目が覚めるのよね? もうなる?まだ?まだならない?
ひゃあぁ、もう地面に着くわぁぁぁ・・・あ?あら?ふわってしたわ。
ふわって・・・着地したの?
最後は目を閉じて覚悟しながら、かなりぎゅうぎゅうと殿下にしがみついてしまった。
無事に地面に降り立ったことで体の重さも自分に戻ってきたけれど、まだ殿下にしがみついたまま離れられない。
「殿下なんてことをなさるのです!」
追いかけて降りてきた殿下の従者がすぐ脇に着地したので、慌てて殿下の首から腕を離してから、バクバクと動悸がしていることを自覚した。
急にフリーフォール体験したからなのか、殿下に抱き着いてしまっていたからなのか、なんだかもうよくわからない。
「はぁ、はぁ」
動悸から息を切らせて目を白黒させているわたくしの様子を見た殿下の従者が
「マルセルム侯爵家の従者を呼んで下さい!」
と誰かに向かって叫ぶ。
「スピードの加減はしたが怖かったか?」
そのまま入口のホールまでわたくしを運びながら殿下が問うてきたけれど、ふるふると頭を振ることしかできない。
また一度ぎゅっと力を入れて抱きしめられてから、ホールにあるソファに下ろされた。
「大丈夫か?フフフ、よし!よくも私の手を煩わせてくれたな。次回はこのことを謝罪に来い!」
魔術を使ったせいなのか、上気した顔をしている殿下が、とても楽しそうにそうおっしゃって笑っている。
はぅ、レオ・・・殿下の笑顔を間近で見てしまったせいで、また動悸がー。
ええと、謝罪ですか?謝罪?謝罪?はて、なにをしでかしましたでしょうか?
もしかして、どさくさにまぎれて抱き着いた時に殿下の頭の匂いも嗅いだのがばれていたとか?
「殿下!なんという無茶をなさるのですかっ! 大丈夫ですか?」
どうやって降りてきたのかわからないけれど、案内人ももう追いついてきた。
そしてわたくしの前で片膝をつき、こちらの様子を伺ってくる。
「あとは任せたぞ」
そう案内人に言いおき、わたくしに向かって一度深々と頭を下げた従者を伴って、殿下は颯爽と去って行かれた。
はい、もうだいぶタイムオーバーですものね。
挨拶どころか、立つことすらもできずに殿下の素敵でかっこいい後ろ姿を見送っていると、マルセルム家の従者と、なぜかロイス君がやってきた。
「エ、エミリア」
「あ、ロイス君。私はもうエミリアーヌじゃないわ、ルーチェよ」
私はひらひらとロイス君に手を振りながら、笑顔でそう告げた。




