来客
1865年。
コルシカ島でマリーと貧しいながらも暮らしていたファーブル。
庭での虫たちに囲まれたティータイムに、来客があった。
「お父さん!お客さんだよ!!」
ファーブルの息子である、ジュールが駆け寄ってきた。
その後に、スーツに身を固めた男がついてきた。
「どうも、ファーブルさん。私はパスツールという者です。細菌を研究をしています。あなたの助力を求めてやってきました」
昆虫の学術誌を読んでいたファーブルは、突然の来客に戸惑った。
「これはこれは…」
学術誌をテーブルに置いて、スーツ姿の彼を家に招いた。
おそらく、都心から来たのであろう風貌のパスツールに対し、失礼がないように恐る恐る対応する。
「こんな辺鄙なところまでお出でいただき大変だったでしょう。粗茶しか出せませんが、ごゆっくりしてください」
パスツールは、家の中を見回したあと、持っていたカバンからボトルを一つ取り出した。
「この度は、突然の訪問をお許しください。私からのお気持ちです、お受け取りください」
「おお…!」
それは、ワインであった。
「これは年代物ですな…、こんなものを頂いたお礼に特別に酒蔵をお見せしましょう。そこで、パスツールさんの申し出をお聞きします」
ファーブルはボトルを持って、キッチン、そのまた地下へ続く扉をくぐりパスツールを手招いた。
胸ポケットからマッチを取り出し、ランタンに焼べた。すると、樽が並んだ部屋が浮き彫りになった。
「ほぉ、これはいい酒蔵をお持ちでいらっしゃいますね!」
パスツールの目が輝いた。
しかし、苦笑いのファーブル。
「この家に移り住んだときに、前の持ち主が置いていったものです。私自身、どうしたものかと…」
「ワインは寝かせば寝かすほど美味しくなるものです、簡単に開けてしまうのはもったいない。よければ、私が持ってきたワインを開けてしまいましょう。おそらく、私の持ってきたワインは足元には及ばないほど貴重なものですから」
ファーブルは、ランタンの灯りを消して、また上がってリビングに行くよう促した。
ちょうどその時、庭いじりから帰った妻のマリーと居合わせた。
「やぁ、マリー。こちらは細菌学者のパスツールさんだ。何か、おもてなしの品を用意してくれないか?」
ワインをマリーに見せるように軽く持ち上げた。
「まぁ、こんな格好でごめんなさいね。支度をして菓子でもお出ししますので…」
「いえいえ、お気遣いなく」
ファーブルは、パスツールに座るよう促して、グラスをマリーから受け取った。そして、ワインを注いだ。
「さて、パスツールさん。細菌学者であるあなたの申し出というのは一体何かな?」
「はい。単刀直入に申し上げますと、それは、昆虫の基礎知識をご教授いただきたいと思ってあなたのもとへ来たのです」
「昆虫学者の私にもってこいですな。しかし、基礎ならば私の元に来ずともいくらでも学べるでしょう」
「昆虫学の第一人者のあなたでなければ、この問題は解決できない…と思いまして」
「この問題…?」
「はい。今ヨーロッパでは蚕の病気が蔓延し、壊滅的です。あなたもご存知だと思いますが私はこの病気の原因を突き止め、何とかしたいと思っているのです」
予てより、ファーブルのおやつに作っていた焼き菓子をマリーはテーブルに置いた。そしてマリーは察したのである。いま彼にスイッチが入ったことを。
ファーブルは、ワインを飲む手を止めた。
「いいでしょう!それでは、希望に沿って、まずは昆虫の基礎に関しての講義をはじめましょう…!ただし、それは私の口からではなく、こちらの小さな者からですが…」
こうして、ファーブルと、その息子のジュールとパスツールは蚕の病気を突き止める研究をはじめたのである。