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チューリップ

作者: きつね

佐英は日曜日に限り、母親より早起きだ。

6時には目が覚めて、リビングの床を揺らす。

小型の犬のような小さい体と忙しい足取りで、家族の住む2DKのキッチンに向かっていった。

リビングの中央にあるダイニングテーブルの横を通って冷蔵庫の正面に立つと、既に開封済みの牛乳パックを取り出した。次に横にある食器棚から自分専用のお気に入りの赤とピンクのボーダーが入った透明なコップを取り出した。小さな手で、相対的に重く大きな牛乳パックを慎重に扱って牛乳をコップに注ぎ、グビグビと一気に飲み干す。それを佐英でも手の届く低い棚に置きっぱなしにして、自分が寝ていた母親のいる寝室へと走って戻っていった。


「お母さん、起きて」

母親は起きない。

何の返事もなく、ちょっと手が動くとかいうこともなく、我が子に揺らされるがまま、目を閉じて何の反応もない。佐英は壁のほぼ一面窓になっているほうへ走っていって、窓の前の部屋の天井から吊るされた洗濯バサミの下で立ち止まった。まだ閉まったままのカーテンの端を掴むと、反対側まで移動しながらカーテンを開く。すると、薄暗かった部屋の半分に朝の光が射し込み、佐保の顔にも容赦なく降り注いだ。佐保のまぶたが少し嫌そうに動いたが、佐英はまったく見ていない。続いて、佐英は慣れた手つきで鍵を開け、カラカラと大きな窓を開けた。今度は四月初めのまだ少し冷たい風が入ってきて、佐英の体に当たって少し冷やした。少し遅れて佐保の顔にも届いた。そろそろ彼女も起きる覚悟を決めたかもしれないが、まだ動かない。佐英は外に足を伸ばして腰掛けながら、自分用の小さいサンダルを片方ずつ履いた。そして、すぐに左を向いて数歩進むと、急に顔が喜びの表情に変わった。佐英は、ピンクのパジャマが朝露で濡れるにも構わず、開けた窓に戻り、佐保の元に駆け寄って声をかけた。

「お母さん、チューリップ咲いてる。」

「ん、そう、もう咲いたの。」

「ねえ、咲いてる、早く来て。」

「んー、わかった、わかった。」

佐保は気だるそうに答えると、よいしょと起き上がった。

茶髪のロングヘアはボサボサで右頭部が変に盛り上がっている。白地に緑のチェック模様で少しぶかぶかのパジャマ姿の佐保は、

『あまりこの姿で外に出たくないな、でもまだ早いし数分だけだから良いか』

と思うと自分のサンダルを履いて、佐英に続いて外に出た。


佐保と佐英の住んでいるアパートは静かな住宅街に位置し、真っ白な外観をして、北と東が道路、南と西は一軒家に囲まれていた。南の一軒家の塀まで数メートルのアパート一階の庭には、雑草に交じって東側の道路との境のフェンスの内側に沿って十数本のチューリップが綺麗に咲いていた。この場所には毎年放っておいてもチューリップが咲くので、実は佐保もほんのわずかではあるけれど楽しみにしていた。

「綺麗に咲いてるねー。」

佐保はすっかり目が覚めたようで、普段の声で言う。

「すっごいきれい!!」

佐英は興奮したように言う。少し大きすぎる声で叫んでいるようだけれど、子供だから微笑ましく聞こえる。佐英はしゃがみこんでチューリップの中を覗き込んだり、匂いを嗅いだりしている。佐保もしゃがみこんで一つ手に取ってみたが、正直ものの数秒で飽きてしまって手を離した。佐保はチューリップよりも我が子のほうが気になって、彼女の動作を眺めていた。

『私がこういうものを楽しめなくなったのはいつからだろう。』

『この子がチューリップなんかで喜ばなくなるのはいつからだろう。』

こんなことを考えるなんて、朝だからちょっと心がセンチメンタルなのかもしれない。そう思いながらしばらく我が子の様子をぼーっと眺めていた。

『いや、でも今日は日曜日だしいいかな。』

『せっかく早く起きたんだし、今日はなにかしてみようか。』

佐保は最近休日は10時近くまで寝ていたし、起きるとテレビを付けるのが日課だった。ここしばらくは日曜に朝早く起きて午前中に買い物に行ったりすることなんてなかったと思う。でも、今日は佐英と買い物に行って、お昼はサンドイッチでも作ろう、近くの公園の芝生の上で食べるのもいいかもしれない、そう思った。今の佐保にはそれが素晴らしく素敵なことに思えて、気付けばチューリップではしゃぐ我が子と同じ気持ちでいるようだった。

「佐英、部屋に戻って、朝ごはん、作ろうか。」

「えー、まだ外にいたい。」


・・・

・・


咲いたばかりのチューリップが、佐保と佐英の人生のほんの一部を赤く彩った。


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