タッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
なあ、つぶらやよお、最近「ときめき」とやらを感じることがあるか?
俺は全然、ナッシングだ。勉強もスポーツも娯楽も人間関係も。疲れてアクションを起こすのがめんどいというのもあるんだろうが、その時、その時はこれが有効な手段に思えてしかたないんだよなあ。倦怠感とかに包まれていてさ。
けれど、一年後くらいに、決まって悔やむ。どうしてあそこで動こうとしなかったのか、と反省じゃなく後悔するようなことがしばしばだ。そんなのは暇と元気と余裕を持て余している今の自分が、その場にいたとしたら、だろう? 時々の状態、境遇に応じて、最適なものを、まぎれもない自分で選んだはずなのに、な。
繰り返し、体験することができないから、当時の謎や納得のいかないことを、つい蒸し返し気味だよなあ? 俺もいまだに、もやもやしていることの一つや二つある。
――その顔は、聞きたいって感じだな。
いいだろう。話せば少しは気晴らしになるかもしれん。
俺は昔から、世界は俺を中心にまわっていると思っていた。今でも、そのケがあるのは否定しないが、これでもだいぶ収まってきたんだ。
身体の仕組みで例えると、俺は脳。取り巻いている人、ものは筋肉や神経。もっと突き詰めれば、俺の命令を聞いてくれる細胞のごとき感覚だった。
親も周りも、よく構ってくれたからなあ。あの時、染みついた感覚がいつまでも残っていて、いわゆる「構ってちゃん」に矯正されてしまったさ。
俺を放置など許さない。俺の思うとおりに動かないなど許さない。自分にさからうものは、この世からなくしてしまいたいと、顔の血管がパンパンに膨れ上がるような、弾けて吹き飛んでしまいそうな、「痛い怒り」を覚えるのさ。
そんな俺に、いつも絡んでくる奴がいたんだ。
俺が「痛い怒り」を強く実感したのは、小学校で、ある友達に遊ぶ約束を断られた時かな。
そいつとは幼稚園にあがる前から遊んでいた仲で、遊びを断られたのは初めての経験。習い事のためだと聞いて、「なら、そんな習い事やめちまえ!」とほざく始末。頭を下げて去っていくあいつの背中に、盛大なあっかんべーをかましてやった時
「ぷっ、たなちん、変な顔―!」
いつの間にか隣に、同級生の女がいた。俺の苗字の「田中」からとった、「たなちん」という呼び名を広めた張本人。今も、ぷにぷにと、おちょくるようにほっぺたを突っついてくる。
「うるせえ」と、怒りのまま、ラリアットを繰り出す。当時は、相手が女だから手心を加える、なんて考え、頭になかったからなあ。
彼女は俺の腕をひょいとかわし、二回、三回と飛び跳ねながら距離を取ったかと思うと、俺に向かって「おしりぺんぺん」し始めた。
今、振り返ってみると、丈の短いスカートで尻を突き出すものだから、なかなかきわどかった。だが、当時のオンナに興味がなく、怒り心頭の俺にとっては、怒りの火に油を注ぐ以上の意味を持たない。
俺が駆け出すと、彼女も逃げ出した。放課後の運動場を舞台に、文字通り、女の尻を追いかける男だが、追いつくどころか、ぐんぐん差をつけられるものだから、かっこ悪いことこの上ない。
怒りに身を任せても、限界は来る。数分でへばった俺に、安全圏から彼女が煽る。
「あたし一人、思い通りにできないくせに、世界の中心とか、ちょーしのんな!」
今まで口にしていない本心を、ずきりとえぐられた。よっぽど、それらしい態度が外に滲んでいたんだろう。
ぎりっと唇を噛むが、足ががくがく笑って、立つことができない。のどからあふれる、心臓のあえぎを感じながら、ただ彼女をにらむだけ。
「せめて、あたしのお尻に触ってみなさいよー! かけっこでねー!」
続く挑発に、俺はつい息も絶え絶えに答えちまった。
「ああ、ぜってー触ってやんよ、お前のケツに! いや、ケツだけじゃねえ! 捕まえて、全部全部触ってやる!」
彼女はにっこり笑うと、一気に俺に走り寄ってきて、右手の小指を出してくる。
「指切りげんまん」だ。
「いいよ、追いつけたら、全部触らせてあげる。追いつけたら、ね。ただし、期限は卒業式当日の正午まで、ね。無理だったり、あきらめたりしたら、あたしのお願い、聞いてもらう」
彼女が無理やり小指を絡ませて、「ゆ〜びきりげんまん」と文言を紡ぎ出す。
バカ大将の誕生だった。
それからというもの、学校外で腹立たしいことがあると、しばしば彼女は、俺の前に現れた。例の「ほっぺたつんつん」から「おしりぺんぺん」の流れはスムーズで、俺の罵倒やキックやパンチをものともしない。
かけっこという約束をした手前、日常生活で力づく、では「触ってやった感」がなくなる。俺は彼女を追いかけ続けたさ。
はじめこそ、俺は蒸気をふかさんばかりの勢いで追いかけていたけれど、やがて高学年になって、保健の授業をやり、男と女について学ぶと、「やべえ」と思い出したんだ。
俺のやっていること、目指していることは、とんでもなく変態じゃないかと。
追いかけっこも、理性が俺にブレーキをかけ始める。今までじわじわと縮まっていた差が、また開いていったんだ。
「やる気、あんの? ねえ?」
からかう時含めて、たいていにこやかな彼女も、この追いかけっこに関しては、真剣そのもの。剣呑な態度と表情を隠そうとしない。
「だって、まずいだろ……どう考えたって」
俺は彼女を直視できない。
ここのところ、彼女の身体の成長が著しくて、目のやり場に困るからだ。走っていなくても、頬が火照り、胸が痛くなる。
彼女は、ずい、とあの時約束を交わした、小指を突き出してくる。
「守んないなら、私にも考えがある。あんたの秘密、ばらしてやる」
「! てめえ、まさか!」
「あっ、本当に秘密あったんだ〜。あはは、かわいい〜」
「か、カマかけやがったのか! このっ……」
結局、俺が殴りかかって、彼女がかわし、いつものチェイスに移行。
頭に血がのぼりやすい自分に感謝するよ。怒っている時は、男も女もないからな。
そして、卒業式の日。
いまだ、彼女を捕まえられない俺に、最後通牒がやってきたんだ。
それは、卒業式が終わって教室に戻り、先生が入ってくるまでのわずかな間でのこと。
みんなの机の上に、A4サイズの紙が置いてあるんだが、俺の机だけはない。連絡のプリントにしては、妙だ。
何気なく、俺の隣の席の奴がプリントをめくって、顔をしかめた。
「コピーか、これ? それにしても、きったねー字。えーと、『歌い惑え、嘆きの亡者。永遠に崩れぬ苦悶の笑みで、咎なき天使、陥れ……』うわ、イテー! なんだこの文章!」
クラス中がげらげら笑いに包まれる中、俺は青ざめる。
俺の秘密が、ばらされた瞬間。書き留めておいた秘蔵の歴史、白日のもとさらされた。
考えられる犯人は一人。俺は平静を装って、大騒ぎの教室を、そっと出る。
いた。横たわる廊下。そこの右手を向いた時。憎き怨敵、立っていた。
間はわずかに5メートル。奴が尻を向けたものの、あとの「ぺんぺん」を待つことなく、俺は弾けて、飛びかかった。
廊下を抜けて、階段飛び降り、全力全開、大捕物だ。
俺は完全に切れていた。触る、触らないは問題じゃない。追いつく、追いつかないの問題でもない。絶対に許さない。
すれ違う先生方が「止まりなさい!」と声をかけてくるが、邪魔だ。キツネのように、ほぼ直角に曲がって逃げていく奴を追って、俺はグラウンドに飛び出した。
頭がぐらぐらする。顔はすでに破裂しそうだったが、身体中は熱くたぎっている。
あと一メートル足らず。今までで最大の追い上げ、腕を伸ばせば、届きそうだ。
――くらえ。
俺は渾身の張り手を、奴に向かって繰り出したんだ。
いきなり奴が振り返った。背中を狙った俺の腕は、彼女の胸元へ。
俺の手がめり込んだ。彼女の皮膚を突き破って内側に。
なのに血は流れない。砂の山に手を突っ込んだかのような、肌触り。戸惑った時には、すでに彼女の両手が、万力のように俺の腕を捕まえて、離さなかった。
「ああ、いい! いいよ! この血、この鼓動、この心臓を待ってたの! ずっと、ずっと」
恍惚とした表情で叫ぶ彼女に対し、俺の腕と身体は一気に冷える。
盗られている。俺の熱、俺の血潮、俺の心臓。
ついさっきまで、確かにあった、みなぎる命。腕を筒とし、しぼんでく。心臓さえも、一緒に冷える。
そして彼女の胸の中。俺が握る手の先で、ピストンリズムのビート震。俺のハートのビート震。
やがて、彼女が手を離し、俺の腕はおのずと抜けて、そのまましりもちをついちまった。
「早く、これを持ち帰らなきゃ!」
追いついてきた先生たちを見やることなく、彼女は学校の外へと走って行ってしまったよ。
それから俺は、何に対してもときめかないんだ。高鳴りがない。脈拍も乱れない。血が足りないのか、激しい運動ですぐに息切れだ。
健康診断では、異状なし。けれど、俺の鼓動は、これからずっと、彼女のものなのだろうな。




