220話〜王都会議・揺れる刃と影の印〜
オルトメルガ王国・王都オールガ。
冬の朝、街の空は鉛のように曇り、遠くで教会の鐘が鳴っていた。
通りには鎧をまとった兵士と、荷を担いだ冒険者がすれ違う。
彼らの表情には、どこか焦燥の色があった。
最近――王都の北方、ヴァルドの森やカーネル丘陵地帯で、魔物の出没が急増している。
討伐依頼の数は、ここ一ヶ月で三倍に跳ね上がっていた。
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冒険者ギルドオルトメルガ王国本部・会議室。
長い楕円形の机を囲み、十数名の幹部と代表冒険者が集まっていた。
壁には地図。赤い印が無数に打たれ、王都を中心に魔物の発生が“円を描くように”拡がっている。
「……昨日の報告では、北部街道の村がまた一つ消えた。
目撃者の話では、夜に“黒い霧”が迫り、村ごと呑まれたらしい」
低い声で報告したのは、壮年の男性――ギルドマスター、ガーレン・バストーク。
戦場帰りの元A級冒険者で、実務派として知られる男だ。
「黒い霧、ですか……。まるで“氾濫”の前兆のようですね」
若い女性職員が呟く。
ガーレンは腕を組み、深く息を吐いた。
「“氾濫”ならまだいい。“大氾濫”の兆候である可能性もある。
特に北東の山脈――ラーバントとの国境線付近で、地脈の流れが乱れていると魔導士団が報告している」
沈黙が落ちた。
やがて、老いた冒険者が椅子の背にもたれ、ぼそりと呟いた。
「……勇者どもが異世界から召喚されてから、どうも世界の均衡が崩れてるな」
数人がその言葉に顔をしかめる。
「おい、そういうのを軽々しく言うな。王都じゃ“勇者召喚”は禁句だぞ」
「禁句だろうと現実だ。あの帝国の戦で、何かが狂った。
最近の魔物は妙に統率が取れてやがる。まるで“誰かが率いてる”ように、な」
会議室の空気が張り詰める。
ガーレンは卓を叩き、静かに全員を見渡した。
「……お前たちも感じているだろう。何かが、この大陸で蠢いている」
「“大災厄”……ですか?」
「まだ断定はできん。だが――各地のギルド支部が似た報告を上げてきている。
バハンタール、セイルン、南の自由都市群……すべて、魔物の異常活性を確認している」
地図の上、赤い印は国境を越えて連なっていた。
まるで、見えない手が大陸全土に“線”を描いているようだった。
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そのとき、会議室の扉が開いた。
入ってきたのは、王都支部の参謀役――フィーネ・エルカスト。
冷静沈着なエルフの女冒険者で、情報分析を担当している。
「報告を追加します。
北東部のバトランタ領――クヴァルム子爵が管轄する地域にて、
“黒い霧の獣”の討伐を目的とした調査隊が編成されたとのこと」
「クヴァルム子爵……。第三王女派閥のあの若造か」
ガーレンが顎に手を当てる。
「ええ。ただし、彼は戦で功を立てた人物です。
ヴェルド=エンとの商業同盟を成立させたという話も。
あの都市連合の利益が、今や王国に流れ込んでいる」
「ふむ……となると、第二王子派の連中は面白く思っていまい」
別の幹部が苦い顔をする。
「最近、貴族たちの派閥争いが王都にも影響を及ぼしている。
ギルドの依頼の中に、“政治的な裏目的”を持つものが混ざり始めてるんだ」
「つまり、“表向きは魔物討伐”でも、実際は派閥の圧力や情報戦の一環というわけか」
ガーレンが唸る。
「その通りです、マスター。
我々の“中立”の立場を崩そうとする動きが、確実に増えている」
ガーレンは拳を握りしめた。
「……ギルドは、王でも貴族でもない。
人々の暮らしと命を守るための“中立の刃”だ。
それを忘れた瞬間、我々はただの傭兵崩れになる」
その言葉に、場の全員が頭を垂れた。
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会議が終わりに近づいた頃、若い受付員が慌てて駆け込んできた。
「ま、マスター! 緊急報告です!」
「どうした?」
「今朝、王都北門に、封蝋のない依頼書が投げ込まれていました!」
彼女が差し出した羊皮紙には、黒い印章が押されていた。
それは、見たこともない紋章――円の中に、裂けた翼を持つ蛇。
「……“影印”か」
フィーネが眉を寄せる。
「古い伝承にある“禁忌契約”の印……。これを使う組織は、今は存在しないはずですが」
ガーレンは無言で依頼書を開いた。
そこには、震える筆跡でこう書かれていた。
《北の霧の中で“声”が呼んでいる。
勇者が逃げたその場所に、“主”が目覚める。》
沈黙。
会議室の全員が息を呑んだ。
ガーレンはゆっくりと紙を畳み、視線を上げた。
「……この依頼、受ける。だが公には出すな。
調査は最精鋭――S級冒険者に任せろ。
この件、王家にも報告するな」
「マスター、それでは――!」
「今、王家も貴族も信用できん。
この印……“大災厄”が再び大陸に迫っている証かもしれん」
窓の外では、雪が静かに降り始めていた。
その白さの中に、黒い霧のような影が揺らいで見えた。
誰も、まだ知らない。
その影が、やがて“世界を呑み込む夜”の序章になることを――。
──続く。




