表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴーレム使い  作者: 灰色 人生
バトランタ攻防戦
248/250

219話〜裂かれた盟約(めいやく)〜聖王国の影と帝国の焔〜

 

 ラーバント帝国・北部辺境。


 砦都市ベル=グラン。


 雪を被った城壁の上を、氷の風が吹き抜けていた。


 その上を見張る兵の一人が、遠く黒煙の立つ山の方角に目を細める。


「……やはり、まだ終わってはいなかったか」


 その呟きに答える者はない。


 だが、煙の中で蠢くもの――それは魔物だった。

 戦の余波で帝国領に侵入した“異界の獣”。


 もとは王国東境の召喚戦で呼ばれた異種が、主を失い野放しになったものだ。


 帝国軍は数度にわたりこれを鎮圧した。

 だが、犠牲は大きかった。


 その損害報告が帝都ラップランドに届いたのは、三日後のことである。






 ■■■


 帝都ラップランド・黒曜宮。

 高窓から差し込む冬の陽が、黒い大理石の床を淡く照らしていた。


 謁見の間に並ぶのは十名の領主。


 いずれも、辺境防衛戦で被害を受けた諸侯である。


 中央の玉座に座す男は、ラーバント皇帝――ジグル・ハルマ・ラーバント・ゼンベラント1世

 齢五十を越えたその目には、常に冷静な炎が宿っていた。


「……つまり、被害は予想を超えたというわけか」


「はっ。獣の殲滅には成功しましたが、異界の獣の召喚によって生じた魔瘴の残滓が、未だ浄化されておりませぬ」


「ふむ……」


 皇帝は顎に手を当て、沈思する。


 謁見の間に静寂が落ちた。


 やがて、一人の老侯が進み出た。


「陛下。この件はもはや看過できませぬ。

 すべての元凶は、ルパメント聖王国が勇者を制御できず、勝手に“召喚の門”を開いたこと。

 それを放置すれば、帝国の権威が問われましょう」


 別の侯爵も声を上げた。


「我らの民は死んでゆき、都市は焼かれた。勇者の名を借りた聖王国の傲慢は、もはや神の業に非ず!」


「ならば、陛下に進言すべきです。“金の亡者ども”を切る時かと」


「うむ、わしもそう思っていた」


 老侯らの声が重なる。


 やがて、一人の若い貴族が膝をつき、頭を垂れた。


「陛下、どうかルパメント聖王国に抗議の書状を――」

 だが、皇帝は静かに手を上げた。


「まだ、時ではない」


 重々しい声が響く。


「勇者の失態、魔物の流入、聖王国の無策……。

 いずれも確かに聖王国の責めに値する。だが、今、戦を起こせば我らの軍は二分される」


「……はっ」


「補填金を出せ。民の不満を鎮めろ。

 この場は、それで良い」


 不満げな声があがるが、誰も反論はできなかった。


 皇帝の目が一人一人を射抜くたび、空気が凍る。


 やがて、玉座の脇に控える黒衣の男が、静かに一歩進んだ。


 ゼム・フォルクライン。


 “敗戦の梟”の異名を持つ、元侵攻軍司令官である。


「……陛下、民の怒りは容易に消えませぬ。

 今の聖王国は“信仰”の仮面で隠された商業国家。あの金座の都市――ヴェルド=エンとも深く通じております」


 皇帝の眉がわずかに動いた。


「ヴェルド=エン、か。……あの街は燃えたと聞いたが」


「燃えました。しかし、潰えてはおりませぬ。

 王国南部では今、商都を巡る権力争いが始まっております。

 つまり、王国はすでに“二正面の混乱”に陥っている」


 ゼムの声は低く、だが確信に満ちていた。


「聖王国を討つのは、その後でよろしいかと。

 まずは、王国を完全に疲弊させるべきです」


「……王国を、か」


「はい。彼らの後継者争いが始まる今こそ、間者を増やし、火種を煽る好機。

 我らは表に立たず、ただ“焔を導く風”となれば良いのです」


 皇帝はしばらく黙し、やがてゆっくりと頷いた。


「ゼム・フォルクライン。お前に任せよう。

 王国の混乱を広げよ。……だが、帝国の名は出すな」


「御意」


 黒衣の将は一礼し、闇の中へと消えた。


 こうして、帝国は新たな“影の戦”を開始した。




 ■■■



 一方、聖王国ルパメント。

 神聖大聖堂の高窓から、白光が差し込む。


 中央の聖座には、白金の冠を戴いた少女――若き聖王イリス・ルパメントが座していた。


 そして、彼女の隣にはアンキロス教皇の姿もあった。


 その前で、宰相補佐の神官たちが報告を続ける。


「――帝国より、“勇者引き渡し”の勅書が届いております」


「勇者を……引き渡せ、ですって?」


 イリスの表情が凍る。


「そんな理不尽、受け入れられるはずがありません!」


「ですが陛下、帝国の被害は甚大。賠償金の請求も――」


「支払う必要などありません。

 勇者は帝国の地を守るために戦った。それを理解しないのは、彼らが神の恩寵を失った証よ」


 その声には、幼さよりも強い誇りが滲んでいた。

 だが、神官たちは顔を見合わせ、ひそやかに言葉を交わす。


「……陛下の理想は尊い。しかし、帝国を敵に回すのは危険すぎます」


「外交を誤れば、再び戦になる」


 その懸念が現実になるのは、そう遠くなかった。

 帝国の各地で“聖王国の陰謀”という噂が広まり始めたのだ。


 勇者が魔物を招いた。


 聖王国が帝国を見捨てた。


 そして――勇者は“逃げ出した”。


 市井の人々は噂に怯え、信仰を疑い始めた。


 祈りの声が減り、教会から離れる信徒が増えていく。


 中には「神は帝国にいる」と唱える者まで現れた。


 勇者が“人々の希望”であったがゆえに、

 その崩壊は信仰そのものを揺るがせた。


 だが、それは自然に起きたものではなかった。


 ――王国の間者が、裏で巧みに“言葉の刃”を流していたのだ。



 ■■■



 王都オールガ。


 王女派の根拠地である“銀塔”の最上階では、数名の密偵たちが地図を囲んでいた。


 その中央には、クヴァルムの部下である情報士官リセルの姿がある。


「帝国と聖王国が互いに不信を抱き始めています」


「上出来だな」


 リセルが冷静に地図を眺める。


「勇者の逃走を“聖王国の背信”に見せかけた情報は、帝都で効果的に広がっている。

 これで帝国は外に動けない。……その間に、我々は内側を制する」


「後継者争い、ですか」


「ああ。王国の統を決するのは、この数ヶ月だ。

 “商都戦役”を皮切りに、貴族派・王権派・伝統派・穏健派・好戦派――全ての火種が再燃する」


 彼の視線の先にあるのは、燃えるヴェルド=エンの地図。


 そこに赤い印がいくつも記されていた。


「帝国も聖王国も、いずれこの混乱に介入してくる。

 だが、それまでに“主導権”を取らねばならん。

 クヴァルム様が動ける時間は、そう長くない」





 ■■■




 その頃、ヴェルド=エン。


 焼け跡から立ち上がる黒煙の中、クヴァルムとメリッサは再び会っていた。


 港は半壊、商人たちは避難し、街は辛うじて息をしている。


「帝国の密偵が残した書簡……これが、彼らの次の標的?」


 メリッサが灰の中から拾い上げた羊皮紙には、帝国語で短くこう書かれていた。


 ――“信仰を断ち、商を奪え”。


「……聖王国を揺さぶるつもりね」


 クヴァルムが頷く。


「帝国は直接攻めない。だが、言葉と金で崩す。

 そしてその裏で、俺たちの王国も内部から裂かれる」


「つまり、“三つ巴”の戦が始まるのね」


「そうだ。剣ではなく、ことわりと信仰と欲望の戦だ」


 二人はしばし黙った。


 風が吹き、焦げた帳簿が空に舞う。


「……守るだけでは駄目ね」とメリッサが呟いた。


「今度は、奪われぬために仕掛ける番よ」


 クヴァルムは静かに頷き、剣の柄を握る。


「ならば、俺が前線を作る。

 お前は“裏の戦”を仕切れ。帝国の間者網を潰すんだ」


 メリッサの瞳が鋭く光る。


「了解したわ、子爵殿。

 ――ヴェルド=エンは、もう金の都ではない。

 これからは“灰の都”として、全てを見通す鏡になる」


 二人の決意が、焦げた街の空に響いた。


 そしてその頃、遠く帝都では。


 ゼム・フォルクラインが報告書を閉じ、微かに笑った。


「王国は、まだ“自分たちが生きている”と思っている。

 だがもう、土台は腐っているのだよ」


 彼の背後の地図には、

 王国・聖王国・帝国――三つの国を跨ぐ赤い線が引かれていた。


「“三界の戦(さんかいのいくさ)”。

 最初に崩れるのは、誰だ?」

 冷たい笑みとともに、

 帝国の影が、再び静かに世界を覆い始めていた。



 ──続く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ