4話目:仲良くなった
食べ終わった弁当の蓋を閉めている時だった。
「ねぇ、いつホストと仲良くなったん?」
空になったメロンパンの袋をぐしゃぐしゃと丸めながら、共に昼食をとっていた友人がふと思い出したようにそう聞いてきた。
え、何だその質問。
ホストと言うのは、もちろん星野君のことだ。友人である彼女──井上は、私と同じように星野君を密かにホストと呼んでいる。「スターダスト」やら「超新星」やらのダサい通り名に共に笑った、仲の良い親友だ。
井上の質問に訳が分からないと言った雰囲気を全面に醸し出しながら、弁当箱をバンダナで包む。
「仲良くないが」
「でも何か仲良さ気に話してなかった?」
やべぇ記憶にねぇぞ。いつの話だそれ。
咄嗟に否定しようとして、そう言えばいつかの休み時間、彼に話しかけられたことを思い出す。
いやでもあれ、別に仲良さ気ではなかったと思うのだが。失礼ながら、基本適当な返事しかしていなかったような気がする。
「どのへんが」
「吾妻にしては饒舌だった」
確かにその通りだったので、すぐには否定の言葉が出なかった。言われてみれば、今まで全く接してこなかった相手に対して沢山喋った。
とは言え、別に仲良くなったから口数が多かった訳ではない。必要だったからだ。
「誤解を解いてただけ」
「誤解?何の?」
「私と近藤が付き合ってると言う誤解」
多少の不機嫌さを滲ませながら言うと、井上はこらえ切れなかったかのように吹き出した。汚い。彼女が口の中に何も含んでいなくて本当に良かった。
「ついにその誤解が生まれる季節になっちゃったか!」
そう言う井上の声は笑いで震えている。完全に面白がっていた。
「動物の産卵みたいに言うのをやめろ」
バンダナで包んだ弁当箱を保温バッグに仕舞い、それで井上の頭を軽く小突く。彼女はぷひゅぷひゅと口から笑い声のような吐息を漏らしながら、保温バッグを押し返してきた。
「ゴカイの産卵期」
「釣りの餌にするな」
「釣れるのは無駄な心労」
「心の底から嬉しくない」
わざとらしく重いため息を吐く。我ながら怨嗟のこもった良いため息だ。
井上は口元をニタニタさせながらジュッと音を立てて紙パックの野菜ジュースを吸う。
「幼馴染は大変だねぇ」
ストローを口に咥えたまま、さして大変そうだとも思っていなさそうな口調でのたまいやがる。と言うか完全に面白がっているだけ。
イラッとしたので、紙パックを持つ手を上から握って野菜ジュースを押し出してやった。ぶがご、と妙な声を上げる井上を鼻で笑ってやる。
「もう慣れた。が、面倒臭い」
何が面倒って、誤解を解く事自体はもちろん、絶対にへそを曲げる近藤の相手をするのが面倒臭い。
千紘は私と近藤が付き合っていない事など分かっているのだし、いちいち不機嫌になるのを止めていただきたい。気持ちは分からなくもないけれど。
「てか、そもそも何で誤解された訳?しかもホストに」
中身のなくなった紙パックを潰しながら、井上はもののついでとでも言う風に尋ねてくる。
絶対に来ると思っていた質問が、お菓子のオマケのようなノリで来た。
「話すと長いし面倒な上に理解不能だった」
星野君の弁明は今思い返してみても意味が分からないし、いくら何でも早とちりがすぎる。
これでもかと言うほど疲れを滲ませて言うと、井上はただ「はぁ?」と不可思議そうに首を傾げた。うーん、その顔、星野君の話を聞いた時の私の顔にソックリ。たぶん。
「昨日、家の前で偶然鉢合わせた。で、近藤の家に一緒に行こうと誘われたのを、近藤が怒るからと断ったら誤解された」
簡潔に説明すると、井上は二、三回頷いて首を傾げてを繰り返した後、菩薩もかくやという無闇矢鱈と慈愛に満ちていそうな穏やかな笑みを浮かべながらサムズアップ。
「サッパリわからん!」
「同士」
コクリと頷きながらサムズアップを返す。
星野君の思考回路を理解できないのが自分だけではない事に、心の底から安心した。
「何でそこから?色々飛躍しすぎじゃね?」
本当にその通りだ。彼の思考は一歩足を踏み出すだけで地球から月に到達出来そうなほどすっ飛んでいると思う。いや流石にそれは言い過ぎだが。
「近藤が怒る理由を、嫉妬からだと思ったらしい」
「いや吾妻がいつも突然行くからっしょ」
仰る通りでございます。流石は中学以来の親友だ。色々と分かっていらっしゃる。
「はぁー、イケメンの考えは良く分かりませんなぁ」
ストローとグシャグシャになったメロンパンの空き袋を、他のパンのゴミも入ったレジ袋の中に突っ込み持ち手を縛りながらそうボヤく。
全くもって同意だが、イケメンと言うよりも星野君個人が何を考えているのか分からない。他のイケメンも彼同様に思考が工程を飛び級してらっしゃるのだろうか。私の狭い友好関係の中にイケメンが他にいないので、知りようもないが。
まとめたゴミを、井上は「ほっ」と声を上げながら教室の隅にあるゴミ箱に向かって投げる。
中身がビニールばかりで重さの足りなかったそれは、二つ並んだゴミ箱のどちらにも届く気配すら見せず床に落ちた。なんと言うか、この結果、知ってた。
井上は「あーー惜しい」とか何とか宣いながら、今度は潰した紙パックを振りかぶる。何が惜しいだ、少しも惜しくない。
ゴミを投げるな、と腕を降ろさせて虚しく床に転がるビニールを振り返ると、丁度誰かがそれを拾い上げていた。
何と思いやりにあふれた人かと顔を見れば、話題の中心にいたその人、星野君。
彼は拾い上げたそれを、軽く振りかぶって「シュート!」とゴミ箱に投げる。緩い弧を描いて、ビニールはゴミ箱の中に収まった。ただし、燃えるゴミの方に。
「あっ、外した!せっかく格好つけたのに!恥ずかしい!」
星野君は素早くビニールを燃えないゴミの方へ移動させると、こちらを振り向き耳の後ろを触りながらへらりと笑った。
「いやーいいぞ星野、さすがイケメン!ありがとう!ミスってるけど!」
「心意気がイケメン。ゴール間違えてるが」
井上と一緒になって野次を飛ばす。しかし井上はもう少し反省すべきだと思う。ありがとうじゃないし微妙にケチつけてんじゃねーよ。いや私もノっちゃったけど。
「ついでにコレも捨てて!」
「厚かましい」
持っていた紙パックを、見せつけるように左右に振る井上の脳天に軽いチョップをお見舞いする。反省とかそんなレベルではなかった。
「はーいごめんなさーい」と不満気に言いながら、井上は席から立ち上がってゴミを捨てる。最初からそうしろ。
「ゴミ捨てるだけに立つのって面倒だよね」
朗らかに笑いながら星野君が歩み寄って来る。便利屋扱いされたと言うのに、微塵も機嫌を損ねた様子がない。立派かよ。
と言うか、真に失礼なのだが、本当にまた話しかけてきた事に割と本気で驚いている。いや、正しくは、まだ星野君が会話を続行しようとしている事か。彼は私の目の前まで来たし、これは明らかにまだ話す流れだろう。
え、マジか。ゴミを捨ててくれたまでは、星野君の人柄的に分かるのだが、そのまま爽やかに立ち去るものだと思っていた。
もしかしてアレか、また話そうと言ったから、実行に移さなければと言う使命感にでも駆られているんだろうか。律儀と言うか、真面目と言うか。有言実行するタイプなのかもしれない。
「面倒は面倒だが、投げて散らかる方が嫌だろう」
なるべく驚いているのを隠しつつ応える。まあ、そんなに気を付けなくとも、私の表情筋は対して働かないからバレないだろうが。ついでに言えば声音もあまり仕事をしない。
「あー、中身が飛び散ったら悲惨だしね」
「あのゴミにはパン屑なんかも入ってたしな」
「昼休みの教室内にパン屑が舞い散る──!!」
ゴミを捨て戻ってきた井上が、何かアホな事を言いながら席に座る。ちょっとドラマティックな言い方してんじゃねーよ。
「それゴミが舞ってるだけだろう、汚い」
「光が反射して綺麗かもしれないじゃん?」
「あー、ホコリとかが日光に照らされて、ちょっと綺麗に見えるみたいな?」
星野君が例えを出して「わかるよ、わかる」と神妙に頷く。いや、確かに分かるけども。たまに日光でホコリが無駄に幻想的に見える時とかあるけども。
「星野君、そいつは基本適当な事を言うから無視していい」
「何てことを言いやがるコイツ!濡れ衣だぁ!」
井上が腕を振り上げながら、わあっとやかましく反論してくる。
いやもう全く持って濡れ衣でも嘘でもないのだが。多少の誇張はあれども。井上は概ねノリで喋るので、ダラダラとやり取りしている時などは特に、言っていることが適当だ。
「仲良いね」
「まあな」
机越しに緩く掴みかかろうとしてくる井上を軽くいなしながら頷く。今の会話、そしてこの光景でどうしてそんな結論に行き着くのか謎でしかないが、星野君の思考回路が私の理解の範疇にない事はすでに学んでいる。
ああ、もしかして、遠慮のないやり取りだからこそ、そう思ったのかもしれない。まさにその通りな訳だが。
何のためらいもなく肯定した私に、星野君は微笑みながらも何故だが少し眉尻を下げた。
「いいなあ」
「羨ましかろう?」
井上が無駄に得意気な顔をする。いわゆるドヤ顔と言うやつだが、すこぶる腹が立つ。何でそんな自慢げなんだよ。
「うん、すごく」
どこに羨ましい要素が、とか何とか突っ込みを入れる前に、星野君が更に眉尻を下げながら頷いた。
ノリ良すぎだろこの人。もしかして眉尻が下がっているのは困惑からではないのだろうか。何で俺が羨ましがらなきゃならないんだ、みたいな。
そんな無理して肯定しなくても、普段は全く接点がないのだし、彼を悪く思ったりはしないのだが。
「ねえ、吾妻さん、俺とも仲良くなって欲しいな」
星野君がどこか不安そうな顔をしながら首を傾げる。え、何その仕草クソあざとい。イケメン恐ろしいな?
しかし直球ストレートなお願いである。それ故に破壊力がすさまじい。すげえぞ私、一番星に友情を強請られている。しかも名指し。一生に一度、あるかないかの経験ではなかろうか。
「是非よろしく」
右手を差し出すと、星野君の顔がパッと一瞬にして輝いた。何と言う煌めき。街灯のない夜道でも明るく照らしてくれそうだ。さすがに言い過ぎだが。
「本当に!?ありがとう!ありがとう!!」
差し出した私の右手を、彼は両手でぎゅうと握ってブンブンと振る。いちいち大げさな気がするのだが、何故そんなに嬉しそうなのだろう。友達百人でも目指しているのだろうか。いや、彼の場合、既に友達百人くらい余裕でいそうだから、千人かも知れないが。
眩しいほどの笑顔で手を握る星野君を見て、はたと気付く。貴重過ぎる体験が故に即座に受け入れてしまったが、これ、星野君ファンの皆様から余計な妬み嫉みを買ってしまわないだろうか。
試しにチラリと教室内を見回すと、何だか戸惑ったような顔をしている人が、男女問わず視界にチラホラと入ってきた。ついでに何かニタニタしてる井上。
うーむ、この程度ならまだ大丈夫だろうか。取り巻きの方々の怒りに触れるラインが分からない。そんなもののために星野君の厚意を袖にするのも申し訳ないし、実害がない限りは気にしないでおこう。
「井上さんも!仲良くしてね!」
「えっ!?あっ、おう!!」
私の手を握ったまま、星野君が井上にも声をかける。まさか自分にも来るとは思っていなかったのであろう井上は、完全に反射で頷いていた。
わぁいわぁいと無邪気に喜ぶ星野君に、いつまで手を握っているつもりなんだろうと思っていると、誰かが彼を呼ぶ声がした。
「星野ー?」
「おー!じゃあ、吾妻さん、井上さん、また!」
声に軽く返事をした星野君は、最後にぎゅうと私の手を握ると、輝く笑顔のまま、上機嫌にパタパタと去って行く。
すげえ。嵐が去った後のような気分だ。
どこか呆然としていると、井上に軽く頭を小突かれた。
「……いつ懐かれた?」
懐くて。ペットじゃないだろうに。
「人が良いだけだろう」
色んな人と仲良くなりたいと思ってるとか、そんなところだろう。こんな関わりもない女子とも仲良くなろうなんて、懐が深いというか博愛主義と言うか。もしかしたら本当に友達千人目指しているのかもしれない。
私の返答に、井上が「そうかぁ?」と訝しげにボヤいていた。