3話目:誤解を解いた
「あのっ、吾妻さん!!」
「あ?」
呼ばれて咄嗟に出た声のガラがやたら悪くて、威嚇してる風になってしまった。やべっ。
振り返れば、星野くんが若干怯えた顔をして立っている。いやごめんて、別に怒ってはいないんだよ。本当に。
不意に出る声の可愛げのなさが我ながら酷い。咳払いして、喉の調子が悪かったと言うことにして誤魔化した。誤魔化せたかは微妙だが。
「何」
「えっ、あぁー、ええっと!!」
分かりやすく挙動不審な様子に、疑問符が浮かぶ。
そもそも何故彼が私に話しかけてきたのかも分からない。この間は思わぬところででバッタリ会ったから声をかけてきたのだろうが、まさか学校で話しかけられるとは思っていなかった。
学校で私と星野君が言葉を交わすことは、ほぼない。親しいとか親しくないとか、それ以前の関係だ。
それ見ろ、クラスの子たちが不思議そうにこちらを見ている。安心してくれ、私自身が一番不思議に思っているから。
「あ、あのさっ!?」
「だから何だ」
星野君は普段の気さくな性格が見る影もなく、やたらと視線をあっちへこっちへと巡らせている。
もしかすると、私の言い方が高圧的で言い出しづらいのかも知れない。だとしたら、申し訳ない。申し訳ないが、染み付いてしまったものなので今更どうしようもないと言うか、うん、なるべく直そうとは思う。
怒っている訳でも威圧している訳でもないので、気楽にして欲しいものだ。
あ、それともあれか、私の表情が悪いのか。可能性はあるな。笑顔でもつくれば多少は緩和されるだろうか。
だからと言って面白くもないのに笑うことは出来ないので、指で無理矢理口角を上げてみる。
すると、星野君にキョトンとした顔をされた。昨日から彼のこの顔ばかり見ている気がする。
「……?吾妻さん、何してるの?」
「いや、なかなか話さないから、顔が怖いのかと」
「ふっ」
吹き出された。
口元を押さえて肩を震わせている星野君は、どう考えても笑っている。
このヤロウ、人の気遣いを笑うとは何事か。イケメンと言えど許さんぞ。
「ご、ごめ……何それ、かわっ……ふふっ」
馬鹿にされている。腹立つなこのシューティングスター。あ、違う、スターダストだったか。いやもう何か最早どっちでも良い。
口角から指を離し、星野君にジトリとした視線を向ける。すると彼は、慌てた様子で顔の横で手を振った。
「あっ、いや、違う違う!!馬鹿にしてる訳じゃなくて!!その!!可愛いなって思っただけなんだ!!」
うわ、すげ。今サラッと可愛いとか宣いやがりましたよこいつ。ホスト怖すぎだろ。
こうやって何気なく相手を褒めて持ち上げて、数えきれない程の人を魅了してきたのだろう。うむ、鮮やかなお手並みだ。
「それはどうも。で、何」
「あっ、うん」
素気無く応えると、星野君の眉が八の字になる。
怖がられていようが何だろうが、私はもう気を使わないぞ。
「あの、近藤のことなんだけど」
「近藤?」
名前を聞いて、即座に教室内全体を見渡す。不思議そうにこちらを見ているクラスメイトの中に、奴の姿は見当たらなかった。あー、あれか。千紘ウォッチングか。
もしかしたら、星野君は教室に近藤がいないのを見計らって声をかけてきたのだろうか。
「近藤がどうした」
私の問いに、彼は「あー、」と小さくうめき声のようなものを上げながら、胸の前で両手の人差し指をくるくる回した。
「本当に付き合ってないの?」
思わず吹き出しそうになった事を許して欲しい。
確かに今朝、星野君が、私と近藤が付き合っていると誤解している、と聞いてはいた。いたけれども。
何と言うか、いまいち信じきれていなかったのだ。何故、突然疑われたのかサッパリ解らなかったから。
もしかしたら近藤の冗談かも知れない、とも思ったくらいだ。あり得ないけれども。
千紘大好き星人な近藤が、私と付き合っていると誤解されている、なんて嘘を吐くはずがない。
しかしまさか、ご本人から直接尋ねられるとは。そう言えば、機会があれば問い詰めてみようと思っていたんだった。忘れかけていたけれども。
いやいや待て、よく考えれば星野君はまだ「誰」が「誰」と付き合っているのか言っていない。いや、片方は近藤に決まっているのだが。
ともすると、単純に近藤に恋人がいるのか否か聞きたいだけかも知れないではないか。
「誰と」
「吾妻さんと」
「………………………………誰が?」
「近藤が」
よーし確定した。
知らず知らずのうちに、口から海より深いため息が出る。いや、嘘だ。海より深いはさすがに盛り過ぎた。
「あり得ない」
断言すると、星野君は目を丸くした。驚いた顔も大変絵になって羨ましい限りだ。
「えっ!?嘘!?」
「嘘じゃない。あり得ない。可能性もない」
畳み掛けるように否定すると、彼は焦ったように両手を忙しなく動かした。
「ほっ、本当!?本当に本当!?」
だから何故星野君はいちいち私を疑ってかかるのか。昨日も思ったことだが、さすがに信頼なさ過ぎやしないだろうか。
わちゃわちゃと視界で動き回る星野君の両手首を掴む。
「付き合っていない。付き合うなら星野君がいい」
イケメンだしな。
と、言う発言はさすがに控えておいた。顔で選んでる感物凄くて最低だし。
大体、昔から好きな子がいるような男と付き合いたいはずがない。是非とも一途に好きな子を追っかけていてくれ。
どうだ、ここまで言ったのだ。さすがに信じるだろう、と若干ドヤ顔気味に星野君を見上げる。
と、彼の頬が何だか真っ赤に染まっていた。何だ血行良いな超新星。
「……………………………………………………………………吾妻さん」
妙に長い間を置いてから開いた星野君の口から出たのは、絞り出したような、微妙に裏返った声だった。
「何」
「ちょっと、格好良すぎると思うんだ」
「確かに星野君は格好良すぎるな」
うむうむ、と同意を示すように頷いてみせる。
まさしく星野君の目鼻立ちはアホかと言うほど整っていらっしゃる。自分で言ってしまうのも分からなくはない。
しかし何故突然、自画自賛を始めたんだ。訳が分からな過ぎる。
伺うように星野君を見れば、彼はより顔を赤くしていた。さすがに血行良すぎやしないか。大丈夫?噴火する?
いや、照れているのであろうことは分かっている。どうせ昨日のパターンで行けば、意外な人に同意されて照れているのだろう。
何と言うか、二日続けて言われたんだから慣れろよ。
「いや違、あーーーーもう!!」
何だか喚きながら、私に掴まれたままの手をブンブン上下に振り出す。力強いなお前。
「惚れそう!!」
急なナルシスト宣言。どうしたんだ星野君は。
「いいんじゃないか」
彼の手首を解放しながら素っ気なくも頷いてやった。星野君がナルシストになろうが正直どうでも良い。
まぁこんなに顔が整っている訳だし、ナルシストになるのは致し方ない。形はどうあれ、自分を好きになれるのは良いことだ。
星野君は私の言葉に数秒固まった後、自由になった両手で顔を覆った。
「許可を頂いてしまった……」
許可って何だ。ナルシストになるのに許可がいるのか。赤の他人の許可が。
星野君の思考回路が本当にサッパリ分からない。どう言うことなんだ、いくら親しくないし接点もないとは言っても、同じ人間なんだからもう少しシンパシー感じても良いんじゃないのか。
それとも何だ、私は余程他人の感情に疎いのか。否定しきれないのが地味にショックだ。
と言うか、そうだ、そもそも。
「何故、私と近藤が付き合っていると思った」
それが最大の謎である。何をどうしたらそんな勘違いが爆誕してしまうのだ。
「え、だって」
戸惑ったような声を出しながら、星野君は指の間からこちらを見る。いや、顔からその手を外せよ。大分視界が広がるぞ。
「俺と近藤の部屋に行ったら、怒られるとか言うから……」
「そこから何故付き合っていることに」
言った。確かに言った。部屋に行くと近藤に怒られる、みたいなことを。
しかし何故それが恋人疑惑に繋がるのか一ミリも理解出来ない。どんな思考回路をしているんだ。
「俺と一緒にいると近藤が怒るなら、ヤキモチとかかなって……近藤ん家に行くの、初めてじゃないみたいだったし……」
何でだよ。
本当にこの一言に尽きる。何でなんだよ。どこから説明すれば良いのやら。
何だか頭が痛くなってきて、私は片手でこめかみの辺りを押さえた。
「…………まず、私と近藤は幼馴染だ。ほぼ兄妹」
「えっ」
えって何だ。家があんなに近いんだから、大体予想は付くだろうが。
星野君が心底驚いたような顔をしている事のほうが驚きだ。
「近藤が怒るのは私と星野君が一緒にいるからじゃない。私が急に部屋に来ること自体に怒るんだ」
仲は良くても、同い年の異性が突然部屋に来れば戸惑うだろう。
近藤が怒るのは私が結構な頻度で突然部屋に行くので、「またかよ!」とか「突然来るなっていつも言ってるだろ!」とかそんな感じだ。へへっ、いつも悪ぃな近藤。
まぁぶっちゃけてしまうと、断るために適当に言った、と言うのが三割くらいだ。だって星野君と一緒とか何すれば良いんだよ。
「えっ、あっ、えっ?」
「幼馴染だし、仲も良いから当然何度も家には行っている。が、本当に兄妹みたいなものだ。恋愛感情はこれまでもこれからも一切ない」
「えっ、えっ、えっ、うん、えっ?」
口から声を零す度に、星野君の顔から手が離れてゆく。その動転具合は一体何なんだ。
「誤解は解けたか?」
「…………うん」
「そうか」
ならばもう用はないだろう。
踵を返して星野君に背を向けると、「えっ、待って!」と叫ぶ彼に肩を掴まれた。歩を進めようとしていた私は、反動で若干グラリと傾く。
咄嗟に足を引いてバランスと保とうとすると、両肩を支えられ、ついでに何かを踏んだ。やべぇこれ星野君の足だ。
「すまない」
ぐるっと首だけで振り返ると、思ったより近い位置にある星野君の顔は苦笑いをしていた。
「いや、こっちこそごめんね」
さて離れるかと星野君の足の上から歩を進めようとするが、彼は何故か私の肩から手を放さない。
何なんだ本当に。この一番星は一体何がしたいんだ。
「何」
まだ用があるのかと問えば、星野君は眉尻を下げて困った風に笑う。笑顔のバリエーションの多いお星様だ。
「また、話してくれる?」
えっ、何で不安げに聞く内容がそれなんだ。
別に私は会話に応じないほど冷たくはないつもりなのだが。それとも何か、また近藤の恋人について話したいと言う意味なのだろうか。そんなもん本人に聞けよ、仲良いだろ。
社交辞令にしてももっと良い問いかけがあるだろうに。
「もちろん」
断る理由も特に無いので快諾すると、星野君は大袈裟に安堵の表情になる。
「そ、そっか!良かった!」
そしてここで満面の笑み。いやはや、彼の表情筋は実に勤勉で優秀だ。私の表情筋は是非とも見習って欲しい。
中でも最高の仕事をしているのは、この表情の時だろう。この、朗らかな笑み。
「今日も輝いてるな、一等星」
「えっ」
驚きから緩んだ彼の手を、そっと肩から外す。そのまま歩み出すが、今度は止められたりしなかった。