1話目:遭遇した
同じクラスに、私が密かに「ホスト」と呼んでいる男がいる。星野一と言う男だ。
理由は簡単。顔が整っているし、女の子に優しく、モテるから。ついでに言うと、男子からも慕われている。あと、少しチャラい。それが何か、店のナンバーワンホストとか、そんな感じの何かを彷彿させるからそう呼んでいる。完全にホストという職業に対する偏見で、ホストの皆様には大変失礼な話だが。
ちなみに呼んでいるとは言っても、心の中でと、仲の良い友人の前でだけだ。いや、他の人の前で呼んだら、多分いじめられるんじゃなかろうか。何しろ彼は人気者だし。そんな彼を、凡人な私が「ホスト」なんて呼んでるとバレたら、「何だお前」みたいな感じになるに決まっている。
でも、彼の取り巻きのような人たちが言っているアダ名と言うか異名みたいなのよりは、「ホスト」の方がマシなんじゃないかと思っていたりもする。
何しろ、取り巻きの人たちが言っているのは、「一番星」とか、「超新星」とか、「スターダスト」だ。初めて聞いた時、吹き出すのを必死に堪えた。最高にダサい。
多分、取り巻きの人たちは彼の「星野」と言う名字と掛けた上で褒め讃えているつもりなのだろうが、どう聞いてもギャグだ。未だに、不意にそれが聞こえると笑いが込み上げてくる。
善意で言っているあたり、私の言う「ホスト」よりはマシなのかも知れないが、ネタにしか思えない。
だがまぁ、私と彼は同じクラスとは言え接点などないし、話す機会などない。だから何と言うか、彼の事を「ホスト」と呼んでしまうような失態も、「一番星」と言う異名に思い切り吹き出してしまうような失態も、しないと思っていた。
ええ、思っておりましたとも。今の今までは。
つまり何が言いたいのかと言うとだな。
──やらかしてしまいました。テヘペロ。
本人に向かって、ペロッと口にしてしまった。「あ、ホスト」と。
あぁ、彼がキョトンと目を丸くしている。何だその顔、可愛いな。
いや、だって、まさかマンションの自宅の扉の真ん前で彼に声をかけられるなんて、予想だにしていなかったのだ。不意をつかれたのだ。
何でここに、と思ったけれど、そう言えば隣の隣にクラスメイトの、というか、幼馴染の男、近藤が住んでいる。そうか、近藤の家に遊びに来たのか。
と、そんな推測はどうでも良いのだ。問題は、この状況をいかに上手く切り抜けるかである。
いやいやまさか、本人に向かって言ってしまうとは。さて、どう誤魔化したものか。
しばしの沈黙が流れる。おぉ、何と気まずい。この何とも言えない空気を、私はどうしたらいいと言うのだろうか。ぷりーず・てぃーち・みー・じ・あんさー。
彼は何度か瞬きした後、周りを見渡してから自身を指差した。
「えーっと……ホストって、もしかして、俺のこと?」
「他に誰が?」
あ、やべ、素で即答してしまった。これはもう取り返しが付かない。もともと周りに他の人なんていないし、どうしようもなかったのだけども。
彼は反応に困ったのか、眉を下げながら首を傾げた。
「あー……うーんと、それは、どういう意味で?」
どうもこうも、ホストはホストである。接待役と言う意味ではなく、女性用バーで接客する男性と言う意味の。シャンパン頼むとコールしてくれる職業の方のことだ。
とか言うのは自重しておこう。
「格好良い、女の子に優しい、男子に慕われている」
取り敢えず、私が彼を「ホスト」と呼ぶ理由を並べてみた。チャラい、は流石に止めておく。嘘は言っていないし、無駄に相手を不快にさせる言葉まで述べる必要はないだろう。
と、彼の顔が、じわりじわりと赤くなっていった。
おい、嘘だろ。マジか。言われ慣れているだろうに、照れるのか。何の感情も込めず淡々と言ったのに。
「えー……あー……」
彼は世話しなく視線を動かしながらも、チラチラと私を見る。何度見する気だコイツ。
「……それ、本当に、思ってる?」
何故か不安げに聞いてきた。どうして疑うのだろう。私はそんなに信用がないのだろうか。信用が生まれるほど彼と接した覚えは確かにないが。
私に言われたことがなくとも、あらゆる人から耳にたこが出来るほど言われたことがあるだろうに。周りから言われ続けてきたことを、何故私が言ったら疑うのか。
「思っている。事実だ。星野君は格好良い」
すっぱりと言い切ると、彼はさらに赤くなった。だから、今さら私に言われたところで何故照れる。
たちまち真っ赤になった彼に、私は心の中で「お前はトマトか」と突っ込んだ。
「……その、あの、えーっと……まさか、吾妻さんに、そう言ってもらえるとは……」
そう言いながら、彼は耳の後ろを触る。
そうか、意外な人物から言われて照れたのか。納得したが、心外だ。私だって人並みに、あの人が格好良いだとか、この人がイケメンだとか考える。それとも何か、私は他の人と美的感覚がズレているとでも思っていたのだろうか。あぁでも、アレだ、私の表情筋は職務怠慢気味で、ほとんど仕事らしい仕事なんてしておらず、何を考えているのか分からないと良く言われるから、そのせいか。
彼は真っ赤な顔のまま、何故か頬をつねった。訳が解らない。なかなかに強い力でつねったらしく、「いづっ」と小さなうめき声が聞こえた。何がしたいんだ、彼は。
星野君はまた一頻り視線をさ迷わせた後、私を真っ直ぐに見て笑う。
「ありがとう。嬉しい」
その顔を見て、理解した。成る程、そりゃ星とか呼びたくなる。取り巻きのひとたちが何を考えていたのか、少しわかった。ただし、一番星ではない。超新星でもなければ、流れ星でもない。ついでに、分かったには分かったけど、やはりダサい。
「星野君は一等星だ」
断言する。星野君はまたキョトンとした顔になった。やはりこの表情はとても可愛い。
「えっ」
「一番明るい星の事」
「いや、うん?」
彼は困惑した顔をする。そりゃそうだ。が、まぁ詳しく説明してやる気はない。自分で言っておきながら何だが、何とまぁ恥ずかしい事を口にしたもんだ。あと、うん、コレもダサい。
私は「じゃ」と短い挨拶をして、逃げるように自宅へ入ろうとドアノブに手を伸ばす。
と、それを阻むように、手首を掴まれた。誰にってもちろん、星野君に。
「何」
出来れば早急に放していただきたい。睨むように見上げると、彼はあからさまに焦った様な表情を浮かべた。
「あっ、いやっ!せっかく会ったんだし、吾妻さんも一緒に近藤のとこ行かないかなと!思って!」
ああ、やはり彼は近藤のところに遊びに来たらしい。
しかし、たまたま会っただけの、別段仲が良い訳でもないような女を誘うとは。何というか、さすがである。何を思って誘ったのかは不明だが、私が心の中で「ホスト」と呼ぶだけのことはあるな、と妙に感心した。
「いや、遠慮しておく」
この後特別用事があるだとか、やらねばならない事がある訳ではないが。
一応言っておくと、星野君が嫌な訳ではない。彼と遊ぶと取り巻きの女性陣の恨み妬みを買いそうではあるが、そこはたいした問題ではない。これから彼が向かうのであろう場所が問題なのだ。
「近藤が怒るからな」
「え?」
驚いたせいなのか、星野君の手の力が緩む。これはチャンスと、私はそっと手首を抜き取った。
「じゃあ、また学校で」
「え!?ちょっ、吾妻さん!?」
今度は捕まらないように、素早く自宅の中へと身を滑り込ませる。
外から「今度遊ぼうね!」と声が聞こえた。社交辞令まで完璧である。
おそらく、その「今度」とやらは永遠に来ないんだろうなと思いながら、私は脱いだ靴をシューズラックに置いた。