第4話 僕、沈んでいくみたい
シュピーゲルの手首を斬り裂いて溢れ出たのは、やはり神気だった。手のひらを前に出して吸収していき、自らの糧としていく。
その作業をしていると、またもや先ほどと同じような状態に陥ったシュピーゲルが苦悶の声を上げた。
さっきよりは余程効いているのだろう。なにせ、手首を8割方斬っているのだ。薄皮一枚、とまではいかないもののあと少しのところまで斬れている。
どんどん溢れ出る神気を抑えるように、手首にもう片方の手を当てて治癒を瞬時に行った。
「あなた」
体が芯から冷えていくような冷たい声。慌てていた連中ではない声に、思わず身構える。
「なんじゃ」
「遊びすぎではありませんこと?」
彼女は誰に怒っているのか。それは愚問であり、明確な答えが存在している。
底冷えするような瞳に冷淡な黄金の光を宿し、絶世の美女がシュピーゲルを横目で睨んだ。
「そんなことないじゃろう。破壊の神よ、これは元より児戯ぞ? 遊ぶことこそが目的じゃ」
「……その割には、力を吸い取られているようですが」
「なに、この程度すぐにでも補充できるのじゃから、気にせずとも良い」
戦いの最中にありながら気安い会話をする2人に、緊張感などといった崇高なものはない。
目の前に僕がいるのに……。まるでシュピーゲルにダメージが入っていないかのような物言いだ。
実際にはこうして、ダメージを与えて吸収しているのだ。無傷で済むわけがない。
……そう思い込むことは簡単だ。仮にも相手は神で、僕は生身のない死人ということを認識して置かなければならない。
そして、来希もあちらの手から奪取出来ていないのだ。はやく取り戻して、現世に戻さないと。
「あなたはすぐそうやって……。良いでしょう。では、私が代わりにトドメを……」
「待て、はやまるでない。アレにはまだ、アスティンェルが残っているのじゃぞ」
「もう良いではありませんか。彼は、裏切りものですわよ」
「同時に我の、唯一の友でもある」
2人はしばし見つめ合い、絶世の美女がため息を吐き出す。
「はぁ……。わかりましたわ。あなたがそうまで言うのでしたら、待ちましょう」
「感謝する、ティアゼーレ」
「それには及びませんわよ」
恭しくティアゼーレと呼ばれた絶世の美女がシュピーゲルに頭を下げると、こちらをひと睨みして一歩下がった。
「さて、そろそろ出てきてくれんかのぉ。アスティンェルよ、其方、実は目覚めているのじゃろう? 奈緒が呪文を唱えられている時点で、わかりきっておる」
僕の魂を覗き見するかの如く、一瞬にして眼前に躍り出たシュピーゲルの顔面――右目の瞳が肉迫する。
……見えなかった。いったい、どうやって?
「僕はアスティンェルじゃないっ!」
刀を破れかぶれに振り、運良くシュピーゲルの瞳を裂いた。けれど、彼はなんの痛みも感じないのか、ただただ僕の中を覗き込む。
「少し静かにせぬか。アスティンェルと交信ができぬ」
アスティンェルとやらは僕であっても、いまの僕ではないのだ。そんな見ず知らずの人探しに付き合っている暇はない。
「ぐぅっ」
もう一度刀を振ろうとした途端、金縛りにあったかのように体が動かなくなった。
動け、動け! と念じても動かない体。
そして、何かの違和感を感じて視線を下へ向ける。
「――ッ!?」
痛みはない。生身ではないから。だけど、その光景はあまりにも衝撃的で、正気を保つことはできない。
「からっ、体がっ!? ないっ! どうして! どうして!?」
首から上だけになっていた。
体は、目をギョロつかせても見つからない。どこに行った? 僕の体は、どこに!?
「眠っておれ。……運命の神」
呆れたような目で、至近距離で見つめるシュピーゲルの瞳に感情はなく、ひたすらに冷たい。
運命の神は死んだのでは? と体のことを差し置いて浮かんできた疑問は、空間に歪みが生じた瞬間に全てが崩れ去った。
「やはりこうなりましたか。いやはや、迫真の演技だったでしょう? 地球で言えば、主演男優賞を貰っているでしょうね」
「無駄口を叩くでない。はやくせんか」
運命の神、ヒリァセミルは僕に手をかざすと、何事かを呟く。
たとえ消されていたのが演技だとしても、僕は運命を2度も変えた。そう簡単にかかるはずがない。
人はそれを、慢心と言うのだろう。
「なに、これ……」
「――奈緒っ!」
頭がぐらりと揺れた。
視界は、どこが地面かさえもわからない。どう定義付ければいいのかさえ、理解できない。
さっきまでは簡単にできていたことが、全くできなくなっている。
ふと、そう言えば2人はどうしたのだろうか、と思い浮かんだ。来希に名前を呼ばれたからか、体がなく不明瞭で混濁した意識の中、魔王とリヴィのことが脳裏を過った。
「魔王……リヴィ……?」
きちんと声に出ただろうか?
出ていたら、返事があるはず。そう思って少し待っていても返事がなく、ああ、声に出せていないんだな、と結論付ける。
「奈緒……あいつらは、もう」
もう? もう、なに?
来希が見えない。
歩くための足もなければ、這うための腕もない。いや、そもそもそれ以前に、足場がない。
「来希……」
暗い。
どこだろう? ここは。
「我らを相手にしようなど、甘過ぎる。遊びはここまでとしておこうぞ、奈緒よ」
シュピーゲルの声が聞こえたのを最後に、とぷん、と意識が沈んだ。




