第14話 僕、リヴィに謝るみたい
その言葉を聞いた途端、それが心の奥底にすぅーっと浸透していった。
初めて聞く名前のはずなのに、どうしてか呼び慣れているように感じる。
魔王を見れば、彼は穏やかに微笑んでいた。それとは真逆の反応を示し、憎悪の炎を灯した瞳でヴィーナさんは魔王を睨んでいる。
「奈緒っ! 耳を貸しちゃダメ!」
悲痛の叫びを聞き、何の確信もないままに頷いた。
いや、確信などいらない。僕が信じるべきは、ヴィーナさんなのだ。
魔王はきっと、僕の心を揺さぶろうとしているだけに過ぎない。そう考えた方が得心が行く。
それでも、心の奥底に届いた言葉は、名前は、懐かしい響きがあった。記憶が掘り返されるような感じがしたけれど、どうにも、思い出せない。
あと少し、何かが起これば思い出せる気がするのだ。
『思い出せ、かつての記憶を! 妹が――『術式解放・展開ッ! 第1条、第6項「不滅の炎ッ!」』
魔王の言葉の途中、ヴィーナさんが挟み込んで慌てたように声を張り上げる。
発現した魔法は鳥の形をした炎であり、その色は青白く、途轍もない高温だということがわかった。
魔法は、何と言おうとしたのかわからない魔王へ向けられ、魔王に衝突する直前で搔き消える。
また、あの不思議な防御魔法。
どのような魔法でも防がれるのだろうか?
どうすれば倒すことができるのか。そういう思考へ、無理やり促されているように感じた。
けれど、魔王を倒すのは正しいことだ。何も抗う必要はない。促された通りに、淡々と魔王を倒す術を見つける。
それが、僕の役目。僕の使命。
今回の魔王の侵攻を防ぎ、殲滅するのが僕たちのしなければならないことだ。
遠慮はいらない。
全力で魔法を放つ。
ただただ無言で。
想像した魔法は、核爆弾だ。僕の知る限りではこれこそが最強と言えるものであり、これを防ぐ手立てはさすがにないと思いたい。
虚空より出現した魔法の姿を見た眼下にいる冒険者たちは、一様に不可思議なものを見つめるかのように核爆弾を見ている。
けれど、その内包する魔力は絶大である。気付いた人は一斉に逃げ出そうとし、背後にいる仲間である冒険者たちに逃げ道を遮られていること愕然としていた。
隣に立つヴィーナさんでさえその表情は険しく、いますぐにでも防御魔法を使いたそうにしている。
僕はできる限り、味方に被害を及ばさないよう指向性を持たせていた。うまく行くかはわからない。それでも、あの魔王を強く睨みつけるヴィーナさんを安心させるためには必要なことなのだ。
練習なしでありぶっつけ本番の大魔法。
失敗したらどうしよう、という思いが胸中を駆け巡る。だけど、その弱い心があるから失敗するのだ、と言い聞かせる。
刹那――魔王と侵攻してきた魔物たちの方向へのみ、核爆弾の効果が現れた。
向こう側にとんでもない現象が起こり、こちらの陣営は畏怖の瞳で僕を見上げる。
指向性を持たせてあちら側に爆発させたと言っても、爆風はどうにも操作できなかったらしい。凄絶な爆風が味方を襲い、その体を高い高いされる赤ん坊のように空へ舞い上げた。
「やりすぎたかな……」
でも、この程度で倒せるとは思えない。舞い上がった冒険者諸君には心の中で謝罪しつつ、エアクッションを即座に発動させて落下の勢いを殺しながら着地させておく。
そうすれば、怪我はしない。おそらくしたとしても軽い傷程度だろう。
「……ダメ」
隣で、爆炎が畝る魔王のいたところを厳しい目で睨むヴィーナさんが、ぽつりと零した一言を皮切りに、一瞬にして核爆弾の効果が消されてしまった。
そう、消された。魔王の手によって。
『ふむ……以前より魔法の威力は上がっているが……俺とて負だけでなく正の魔気も手に入れられるようになっている。この程度では、もはや勝敗は目に見えているな』
清々しいほどに、効いていないらしい。
爽やかな笑みを僕に向けると、隣に視線を移して睨みつける。この2人は、何かしらの敵対関係にあるのかと疑ってしまうほどだ。
けれど、この2人はこの世界に来て初めて会うはず。僕の知らないどこかで会っている可能性も、限りなく低いというのを通り越して皆無と言っていい。
もしこれだけ強大な力を持つ魔王が近くに現れたら、たとえ寝ていたとしても気付くだろう。
『話の続きをする前に一つ、おもしろいものを見せてやろう』
戦いの続きではなく、話の続き。その時点で、既に僕たちのことは目に入っていないということに他ならない。
ヴィーナさんが魔法を次々と展開して穿つものの、効果は全くない。魔王の前面に張られている透明な板状の防御魔法によって、全てを防がれていた。
『あれを見ろ』
遠くにも関わらず、指を差す魔王。僕たちが視力を強化できずにいたらどうしていたというのか。
魔王を最大限に警戒しながらも、その指差した方へ視線を転じれば、幾何学的な模様が空に浮かんでいる。
魔王の新たな魔法か――と判断するのは、あまりにも早かったようだ。
幾何学的な模様から虚空より出現したのは、いつか見た龍。東洋の龍に酷似している。大きさは優に50mを超えているだろう巨体に、翼も生やしている。
はっきり言って、歪な龍。
この龍が魔王の仲間? だとすれば、早々に倒しておくべきだったと歯噛みせざるを得ない。
『リステリア、思い出せ。儂らと過ごした日々を。儂らに与えた空中大陸を』
『地球で俺と会ったことも、思い出せ』
『リステリア、君のいまの名前はなんだ?』
僕の名前……?
「僕は、初雪奈緒だ! それ以外に名前なんてっ――『本当にそうか?』
「奈緒っ、一緒に攻撃するよ!」
ヴィーナさんの声。とても落ち着く声だ。だけど、何か物足りない。足りない? ――違う。この声じゃない。
「奈緒……?」
不思議そうに問いかけるヴィーナさんは、僕の顔を覗き込む。
ヴィーナさんだろう。声がヴィーナさんだ。
なのにどうして、歪んで見えるのだろう?
とてもではないが、顔として認識できない。
歪んだ顔からふいと顔を逸らす。その先には、何もなかった。ただただ真っ白な空間が、そこには広がっている。
「ここは……」
――リステリア!
誰かが僕を呼ぶ。
この名前を聞くと、やはり心が落ち着く。そしてなぜか、この声で呼ばれるとさらに落ち着いた。
穏やかな風が心の中を吹き抜ける。
『思い出したか』
誰かはわからない。
ふるふると首を横に振り、否定を示す。
けれど、この龍と魔王は大切な人で、強い絆で繋がれていると感じた。
ヴィーナさんの姿は跡形もなく忽然と消えてしまい、僕以外にこの白い空間には魔王と龍がいる。
『鈴木奈緒――いや、坂上奈緒。それがいまの、リステリアの名だ』
リステリアというのが僕の名前だということは、このとき既に理解が及んでいた。だって、その名前は僕のものだ、と心が叫びたがってるんだ。それを受けても自分のものではないと言い張る人がいるのならば、見てみたい。
そして、魔王からいまの名前を言われて、全て思い出す。
この龍は聖龍――リヴィであること。
この魔王はいま、真央の中にいること。
転生した記憶。
それまでの記憶。
ミスティと過ごした日々と、短いながらも両親と暮らした記憶。
教わった龍族の魔法。
地球で起きた惨い修学旅行。
地球から神の手によって転移させられ、初代龍王と出会ったこと。
膨大で懐かしい記憶から最新のものまで取り揃えた逸品。
そして、宇宙で死ぬことを覚悟した一撃のあとの記憶はない。つまり、死んだ直後にでもあの幻を見せられていたのだろう。
『リステリアには、待ち人がいるじゃろう?』
そうだ!
僕には大切な人がいる。
とてもとても大切な人。
その名を呼びたい。その人に呼ばれたい。
ああ、そうだ。子どもの顔も見なくちゃいけない。きっと、帰りが遅くなって怒っているだろうし、泣いているはずだ。
「……ごめん、リヴィ」
『構わぬ』
僕がリヴィを殺した。
殺した、というよりも天寿を全うさせたと言った方がいいだろう。
初代七龍を送り出すときに。
まだまだ龍王を支えたかったろうに、そんな優しい言葉を投げかけてくる。
お爺ちゃんよりもお爺ちゃんだ。
『そろそろ行くぞ』
僕たちの戦いは、まだ終わっていない。
魔王とリヴィを従者のように侍らせ、僕は立ち上がる。
銀髪がゆらりと揺れた一房が視界に入り、かつての姿を取り戻したことに安堵した。
魔王の掛け声にて、僕たちは力を解放する。




