You Must Believe In Spring
申しわけありません、長文になります。
灯の話は「一擲千金の効用」です(ちょっと宣伝)。
数ヶ月前、灯ちゃんが照れながら“結婚が決まったんです”と教えてくれたとき、こんなことになるなんて思ってもみなかった。
森川先輩から呼び出され、私は先輩お気に入りの喫茶店で奥まった席に向かい合わせで座っていた。
「森川先輩、それって本当ですか?」
「俺がこんなことでお前だましてどうすんだよ。竹倉がなあ、せっかくお前が祝電と結婚祝をくれたのに破談になって申し訳ないって言ってたから……あとで竹倉がお前の家にも行くと思うけどまずは俺から、と思ってな」
「灯ちゃんは大丈夫なんですか?」
「本人には長期休暇を取らせた。今頃ローマを一人旅じゃないか?で、ローマのあとにバルセロナ行って最後はロンドンと聞いてる」
「は?なんですかそれ」
私の驚いた口調に、森川先輩は初めて深刻な顔からニヤリとした。
「神谷のアドバイスらしい。行きたかった場所に旅行するのもいいんじゃないかとかなんとか」
「へえ、神谷先輩が」
「あいつ、ヘタレだよな。そこで“俺がそばにいる”くらい言えねーのかと思わないか?」
「先輩、灯ちゃんは一方がだめになったからって別の誰かにすがるなんてことはしない人です。分かってるくせに。ま、先輩はそういうこと言うから恋愛できても結婚できないんですよ」
「お前に言われたかねーよ。俺は結婚できないんじゃなくて、したくないの」
「確かに私も最近恋愛方面枯れてるかも……自分で言ってて落ち込んできました」
「そんな落ち込むなよ。お前の場合はちょっと気がつけばいいだけだ」
「なんですか、その謎な発言は」
「気にするな……いや、少しは気にしたほうがいいか。俺そろそろ社に戻るけど瀬戸はこれからどうする?」
「せっかく外出したんで、ついでにぶらぶら歩きます」
森川先輩が当たり前のようにレシートを持って立ち上がった。
喫茶店の外に出て、出版社に戻る森川先輩を見送る。ここのところ、原稿書くのに集中してたから外のざわめきや日ざしがまぶしい。
それにしても灯ちゃん、神谷先輩のアドバイスとはいえ思い切ったことをしたもんだ。
できることなら、意外と一途な神谷先輩の気持ちに気づいてくれるといいんだけど……ま、それは私の関知するところじゃないか。
喫茶店から先輩が戻ったほうとは反対側に歩き出すと、ちょうと裏通りに出る。もともと出版社が多い場所が近いせいか、古本屋や専門書だけを取り扱う書店など本に関する店が多く私はここをぶらぶら歩くのが好きだ。
「あれ、蒼葉さんだ」
ちょうど通りかかった古本屋から出てきたのは、木ノ瀬くんの従兄弟である佑くんだった。
「佑くん。平日にこんなところで会うなんてびっくりだよ」
「ここに注文した本を受け取りに来たんだ。蒼葉さんは?」
「私は人と会った後、ぶらぶらしてるの。原稿にメドがたったから久しぶりの外出なんだ」
「だったら蒼葉さん、俺にちょっとつきあって。お願いします!」
両手をぱちんと合わせて拝む格好がなんだかかわいくて、私は思わず吹き出しそうになるのをこらえて承諾した。
佑くんに連れて行かれたのはデパートのメンズフロアだった。
「来月、学会で発表しなくちゃいけないんだけどいつも着てるスーツが少しくたびれちゃって。典からももう1、2着持っておけって言われてるんだけど、買い物が面倒くさくてさ」
「そうなんだ。じゃあ特にお気に入りのブランドとかはないってこと?」
「俺、ブランドなんて分からないよ。試着して着心地がよければいーんだ」
そういうと佑くんは目に付いた店に片っ端から入っていく。私は彼の後をあわてて追いかけ、佑くんが試着室から出てくるたびに感想を言い、一緒にシャツやネクタイを選ぶ手伝いをした。
会計をしている佑くんは気に入ったスーツを購入し、サイズ調整が終わったら送ってもらうことにしたらしい。その後どこかへ電話をかけ、私のところに近寄ってきた。
「蒼葉さん、今日は付き合ってくれてありがとう。お礼に夕飯をおごるね」
「え!いいわよ、割り勘で」
「だめだよ。感謝しているときにはきちんと伝えるのが俺のじいちゃんの遺言なの。だからつきあって」
“おじいちゃんの遺言”……佑くんは当然のような顔をしているので、どうやら彼にとっては普通のことらしい。おじいちゃんには逆らえないわ。
「木ノ瀬くん!?どうしてここにいるの?」
お店に到着すると、先にテーブルにいたのは木ノ瀬くん。
「俺、お店よく知らないから典に聞いたら一緒に食事するって言われたんだ」
「佑は食事に無頓着ですからね。先生を困らせる事態になったらいけませんから」
私の質問に、それぞれ答えてくれる。もしかしてさっき電話していたのは、その件だったのかな?
「ふふ、そっか。2人はほんとうに仲がいいんだね」
「そうだよ。典、そろそろメニュー見ようよ」
「まあ、そうですね。佑、まずは先生にメニュー渡せよ。まったく」
食事中の会話も、佑くんの発言を木ノ瀬くんがたしなめたり、フォローしたりと2人のやりとりは年季が入ってて、きっと学生時代と変わっていないに違いない。2人の高校時代ってどんなだったのかな。
そこで思わずくすっと笑うと、目ざとい木ノ瀬くんが“どうしましたか?”と聞いてくる。
「ん?2人の会話が年季入ってるなと思って。高校時代からそうだったのかなって思ったの」
「蒼葉さん。全然違うよ、俺も成長したし」
「いーや、基本的に佑は変わってない」
「なんだよ。典だって変わってないくせに」
「は?高校時代、佑のフォローをしまくっていたのは僕と寮長、副寮長だよね?ま、寮長は一緒になって騒いでいたほうが多いけど」
「うっ……典がこわい」
木ノ瀬くんにビシッといわれた佑くんが、耳をたれてしょげている大型犬に見えてしまった。……本人には言えないけど。