Stompin' At The Savoy
神谷先輩の新作についての感想文を提出するために、私は出版社のミステリー編集部に顔を出した。
灯ちゃんは神谷先輩のところに行っているらしく不在なのは残念だったけれど森川先輩は在席していて、笑顔で出迎えてくれた。
「お、さっそく書いてくれたのか。無茶振りして悪かったなあ」
「その口調、全然悪いと思っていませんよね」
「なんだ、ばれたか」
「ばれてますよ。でも神谷先輩の最新作を先に読めて得した気分なので許してあげます」
「ふん、瀬戸もちょっとは言うようになったな。結構結構……さっそく読ませてもらうな」
そう言うと、森川先輩はおちゃらけた顔から一転、真剣な表情になって原稿に目を落とした。そういえば、神谷先輩もバツイチ独身だけど先輩も独身よね・・・モテそうなのに。
いや、モテちゃってるから結婚とかに興味ないとか。今度の主人公、年収・外見・性格と申し分ないのになぜか独身な男の人にしようかな。ちょうどモデルは目の前にいるし。
「……おい、瀬戸。いま今度の小説は俺をモデルに、いい歳した独身の男を主人公にしようかなーとか考えただろ」
「え、なんで分かるんですか」
「長い付き合いだからな。お前、木ノ瀬相手にも妄想したりするのか?」
木ノ瀬くんに妄想……確かに彼はイケメンの部類だしソツがなくて私にはもったいないくらいの担当だけど、そういう対象じゃないのよね~。
「あ、それはないです」
「お前、あっさりしすぎ。……気の毒に」
「誰が気の毒なんですか?」
「なんでもねーよ。それより、なかなかいい文を書くようになったな。神谷もきっと喜ぶぞ。今度はあいつにお前の本の感想を書くように言ってやろうか」
「え?本当ですか。それは嬉しいかも。もし引き受けてもらえたら先輩に無茶振りされたかいがあります」
神谷先輩に感想を書いてもらえるんだったら、とても嬉しい。
「お前、昔から神谷作品好きだもんなあ~。男として神谷はどうだ?」
「私にとってはいい先輩です。だいたい神谷先輩は灯ちゃんのこと気に入ってるじゃないですか」
「さすが恋愛小説家。“人の”恋愛には聡いな」
森川先輩はニヤリとしたあと“人の”の部分をやけに強調して言った。
「先生」
ミステリー編集部から出てエレベーターを待っていると、後ろから声をかけられた。木ノ瀬くんの“先生”って言い方はちょっと独特の響きがあって、私はたまにどきっとする。
「あ、木ノ瀬くん」
「今日はもうお帰りですか?」
ちょうどエレベーターが来たので乗り込むと、木ノ瀬くんも一緒に乗ってきた。
「うん。木ノ瀬くんは何階?」
「先生は何階ですか?僕がボタンを押しますよ」
「私はもう帰るから1階で」
「僕もちょうど休憩したかったので、ついでに駅までお送りしますよ。いいですよね?」
いいですよねって聞いてるわりには、ちょっと強引。でも休憩ついでなら断らなくてもいいか。
「今日はこちらに用事だったんですね」
「ミステリー編集部に神谷先輩の最新作についての感想文を持ってきたの」
「ああ、そうなんですか」
そこで私は、森川先輩に原稿を読んでもらっている間に思いついた主人公の設定を彼に話してみる。
「……そしたら、森川先輩に俺をモデルに妄想してただろって見事に当てられちゃって。なんで分かったのかなあ」
思わず腕を組んで考え込んでいると、隣で木ノ瀬くんが吹きだす。
「……すいません。先生は確かに表情は変わりませんが、おそらく付き合いの長い人だと妄想してるかどうか分かるんだと思います」
確かに、ツッコミを入れてくるのは玉恵や先輩のように付き合いの長い人ばかりだ。
エレベーターが1階に到着し、扉が開く。
「なるほど、確かに木ノ瀬くんの言うとおりだよ」
「ちなみに僕も先生が妄想してるかしてないか分かりますよ」
「そっか、もう私の担当になって3年だもんね。付き合い長くなったね~」
「ええ、今後もよろしくお願いしますね」
「うん、よろしくね。でもどうしたの、急に改まって」
「先生に言っておきたくなったんです。僕の本気が伝わるように、これから頑張ろうと思って」
「ふうん……」
いつも自信たっぷりの涼しい顔してる木ノ瀬くんでも気合いれるようなこと言うんだなあ……。