A Fella With An Umbrella
「瀬戸、ミステリーを書く気はないのか」
「森川先輩、私サークルでも書いてませんよ。読むのは好きですが、書くのは書評で精一杯です」
「じゃあ今度、神谷の新作で解説書いてくれよ」
「勘弁してください。神谷先輩の作品の解説なんておそれおおくて出来ません」
「しょうがねえなあ、じゃあ読んだ感想を書いてくれ。今、忙しいのか?」
「……今日、原稿を持ってきたので、まあ少しは時間ありますけど」
「じゃあ決まり。神谷が聞いたら喜ぶぞ~」
「え。時間はあるけど書くなんて言ってない……」
「瀬戸。書くよな?」
「……ううう、分かりましたよ、もう」
私と森川先輩の会話が聞こえているであろう灯ちゃんを始め、社員たちは皆下を向いて肩を震わせている。
森川先輩と神谷先輩は、私が大学時代に所属していた「ミステリー研究会」のOBで卒業後も会合などに顔を出していたことから、私も面識がある。そのせいか会話がちょっとくだけた感じになるのだ。
なぜ恋愛メインの作品を書いている私がミステリー編集部にいるかというと、書き上げた原稿を木ノ瀬くんか編集長に渡そうと出版社に来たことが発端だ。
ところが2人とも会議で不在。しょうがないかと思ったところに灯ちゃんから声をかけられた。彼女は現在、神谷先輩ことミステリー作家の神谷宗佐先生を担当しているけれど、以前は私の担当をしてくれていた。
出版社に来た理由を話したところ、なぜかミステリー編集部で木ノ瀬くんを待つことになったのである。
「春田が会議に出てるんじゃ、賑やかな会議になりそうだな」
森川先輩が言う“春田”が、木ノ瀬くんの上司で編集長だ。エネルギッシュな人で木ノ瀬くんは“理解のある上司ですけど、猪突猛進なところがあって止めるほうは大変なんです”と少しぼやいていたっけ。
でも私は春田さんの下だからこそ、木ノ瀬くんは飽きないで働いているんじゃないかと思っている。
「そうですね。あ、そうだ森川先輩。さっき受付で木ノ瀬くんの所在を聞いたら、美人さんにちょっと睨まれたんですけど、なんででしょう」
「俺じゃなくて竹倉に聞け。竹倉、聞こえたな」
「まったく編集長は……あのですね蒼葉先生、木ノ瀬さんは社内でも人気があるんですよ。特に女性に」
「ああ、なるほど。確かに外見も性格も仕事もソツがないもんね」
いちおう恋愛小説家なので、そこから先は灯ちゃんに聞かなくても分かる。でも、私なんて警戒しなくてもいいのに。
「互いに牽制しあっているのかな。巻き込まれるほうは困っちゃうわね、灯ちゃん」
「ほんとですよねー。木ノ瀬さんとは先生の担当を引き継ぎした関係で、顔を合わせれば雑談くらいするので時々怖い視線がくるんですよ。蒼葉先生はまだいいですよ、私なんて同じ会社なんですから」
「先生、竹倉さん。なんだか面白そうな話をしてますね」
私と灯ちゃんは思わず飲んでいたお茶にむせた。森川先輩はいつのまにか席を外しており、そっと後ろを向くと笑顔の木ノ瀬くんが立っていた。
「先生、原稿をわざわざありがとうございます。さ、編集部に行きましょうか」
私の頭のなかには、売られていく子牛の歌が流れていた。
原稿をわたして帰ろうとすると、木ノ瀬くんが傘を持ってきた。
「先生、雨がふっているみたいですよ。駅まで送ります」
「え、折りたたみ持ってるからいいって」
「僕もコンビニで買い物するので、ついでですよ」
「ああ、そうなの」
一瞬、わざわざ送ってくれるのかと思ってしまった。いやいや、それはないか。しかも“ついで”と言われて何ちょっとがっかりしてるんだ私は。最近、恋愛小説書いても恋愛してないからなー。
ビルの外に出ると、確かに大粒の雨。折りたたみをバッグから出そうとすると木ノ瀬くんがそれを止めた。
「先生、僕の傘にどうぞ。2人並んで傘をさすと邪魔になりますし、先生がぬれてる道ですべって転んで大変な目に合うのを防げるのは僕だけですよ?」
「木ノ瀬くんさー、なんだか私のことをおっちょこちょいって思ってない?」
「あれ?そんな風に聞こえましたか。おかしいなあ、そんなつもりはないんですけど」
結局、私は木ノ瀬くんと同じ傘のなか。
「先生、竹倉のことを灯ちゃんって呼ぶんですね。竹倉も蒼葉先生って呼びますよね」
「担当してもらったときに気が合ってねー。どうしたの木ノ瀬くん?」
なぜか彼が珍しく眉間にシワを寄せている。ど、どうした?でも私が見ているのに気づいたらしく、いつもの穏やかな表情にすぐ戻った。
「先生、僕の名前知ってます?」
「知ってるよ。典くんでしょ?」
「そうですか、知ってるならいいです」
よく分からないけど、私が木ノ瀬くんの下の名前を知っていたことで彼は満足したらしい。うん、深く考えるのはやめよう……。